姨捨山人 さん
2021年9月 (月別アーカイブ)の投稿一覧
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姨捨山人 さんのつぶやき2021.9.25 12:12
数日前からブログ「ゆっ~くり道草北國街道を歩く」を投稿するのですが、アップロードできません。数十行の記事も2行しか表示されません。十行以下の記事でも2行しか表示されません。パソコンを変えても変わらず。...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-42
石地宿は磯に恵まれた海岸を持ち、漁業、又、馬持50軒、商人70軒など陸海に盛んな宿場であった。日本石油を創業した「内藤久寛」は大庄屋の出で、宿場中央に長屋門の大邸宅がある。机立観音堂跡を後にして程なく...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-41
椎谷宿は北國街道で唯一海岸が南北(他は東西)に延びる位置に宿があり、夕日が美しい、堀氏250年、1万石の陣屋町兼宿場町であります。椎谷宿に向かって歩いていると「高浜中学校跡」「高浜小学校跡」の石碑が目...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-40
ホテルに泊まった夜は雷、カーテンを通して稲光、朝起きると土砂降りの雨。このまま家に帰ろうかと思ったほどでしたが、雨は降っているのですが海の方の空が明るくなってきたので傘をさして(一部は傘のいらない雁木...

ゆっ~くり道草北國街道を歩く-39
柏崎の町は、日本海と内陸の低地の間に形作られた砂丘の上にあります。航海の目印の柏の大木の言い伝えと共に港町であり、佐渡の金銀を運ぶため北國街道が整備され人馬、公文書の取次、北前船の寄港でにぎわいこの地...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-38
ここ鯨波は、米を袋に入れて来た小学校6年の修学旅行の地であります。生れて初めて見た海でもあります。貝殻や海藻を拾ったり、波と戯れたりした思い出の地です。70年近い前のことですが、今でもその時の光景が目...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-37
米山三里の難所越えの入り口にあたる小さな宿場ですが、佐渡の金荷、芭蕉、伊能忠敬等が米山三里を越えて辿り着いた宿で、合併なので鉢崎は町、駅、学校名は米山に変わり、辛うじて郵便局、神社などは「鉢崎」を守っ...
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-36
黒井宿から柿崎宿までの17km余りの間には直海浜(のうみはま)、三ッ屋浜、上下浜、雁子浜(がんこはま)、九戸浜(くどはま)、四ッ屋浜、土底浜(どそこはま)、下小船津浜(しもこぶなつはま)、上小船津浜、...