環 さん
環さんの投稿
クリスマス 考
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環 さんのブログ2019.12.21 12:18
今朝の朝日新聞に「あの日、あの時」と題して昭和14年(約80年前)のクリスマスについての投書が載っていた。 クリスマスと浮かれ騒ぐ人々の何パーセントが真のクリスチャンであろうか…云々と言うものである。
私も夫もクリスチャンではない。だから、二人の子ども達が幼いころから、クリスマスプレゼントもクリスマスケーキ無かった。我が家はキリスト教信者では無いのだから、世間の商業主義のイベントに乗せられる事の無いような人間に育って欲しいとの願いを込めての事だったのだが…。当の子ども達は、文句も言えないで、他所の子どもたちが、靴下を吊るしてプレゼントを待つのを指をくわえて見ていたのだろうか?
自分たちの子ども(私の孫)にはサンタクロースを容認し、子どもが寝た後で靴下にプレゼントを入れ、その喜ぶ姿を見て幸福感に浸っているようだ(^^♪
それを見るにつけ、私は複雑な思いだ! 「ああ、あの子たちも口には出さなかったけれど、人並みにプレゼントが欲しかったのだろうな…」と。その反動が自分の子への「クリスマス」なのだろうか?
私達の方針が間違っていたとは今でも思わないが、巷にはそこ、ここにきらびやかなクリスマスツリーが飾られ、クリスマスソングが流れている。チクリと胸が痛むクリスマスが、もうすぐ今年も来る。 アーメン
私も夫もクリスチャンではない。だから、二人の子ども達が幼いころから、クリスマスプレゼントもクリスマスケーキ無かった。我が家はキリスト教信者では無いのだから、世間の商業主義のイベントに乗せられる事の無いような人間に育って欲しいとの願いを込めての事だったのだが…。当の子ども達は、文句も言えないで、他所の子どもたちが、靴下を吊るしてプレゼントを待つのを指をくわえて見ていたのだろうか?
自分たちの子ども(私の孫)にはサンタクロースを容認し、子どもが寝た後で靴下にプレゼントを入れ、その喜ぶ姿を見て幸福感に浸っているようだ(^^♪
それを見るにつけ、私は複雑な思いだ! 「ああ、あの子たちも口には出さなかったけれど、人並みにプレゼントが欲しかったのだろうな…」と。その反動が自分の子への「クリスマス」なのだろうか?
私達の方針が間違っていたとは今でも思わないが、巷にはそこ、ここにきらびやかなクリスマスツリーが飾られ、クリスマスソングが流れている。チクリと胸が痛むクリスマスが、もうすぐ今年も来る。 アーメン
この日は、地域の人たちがお祝いのお菓子などを持ちより、近隣のお地蔵さんにお供えをしたあと、地域の子供たちに贈り物として分け与えます。
恐らく、社会全体が貧しかったころ、宗教的な理由を作ってお祝いのお菓子を集め、それをふだんは口にすることができない子供たちに分け与える習慣ができたのではないかと思います。
クリスマスも、もしかしたら、地蔵盆と同様、キリスト降誕を祝って教会にお供えを集め、子どもたちに分け与える習慣がはじまりだったのではないでしょうか。
ユダヤ教にも類似の行事があるそうですから、クリスマスはたまたまキリスト教の行事ではあるが、子どもたちに特別のお祝いを与える行事という観点に立てば、宗教の違いは克服できるような気がします。
関西の地蔵盆でも、国の英語教育事業で海外からきている若者たちが浴衣を着て一緒にお菓子を食べていますから、宗教の違いはあまりクリティカルな要素ではなさそうにかんじます。
何と昭和14年の話ですね
戦後の話かと思っちゃった
其の頃、クリスマス騒ぎがあったのですね
私が小学3年か?
わが家はクリスチャンホームでしたから、朝は全員揃ってちゃぶ台に並び、父のお祈りが終わり「アーメン」と唱えないと食べられません。
クリスマスは集会所に行きお祝いの劇などやりました、今は幼稚園でやっていますね
靴下もぶら下げました。
然し父は言います「クリスマスプレゼントは恵まれない人たちに与えられるものだ、それを忘れるな」
とプレゼントをくれましたが。
キリスト教に関係ない人がバカ騒ぎをしている
若い時はそういう気持ちを持ちましたね
でも最後の「キリストは果たして天国で喜んでいられるだろうか」
はちと違いますね
「キリストの名さえ知らない人がいる、その人たちに、キリストの名を覚えて貰うだけでも
いいのだ」と言われるでしょう。
なにか苦しんだ時に、キリストの名を思い出せば救いがあるかも知れません。
何故、キリストの誕生がこれほどまでに祝われるのか
西暦元年と言われる理由
復讐の世界から愛の世界へ変わったからです
叩かれたら、叩き返せ、目には目を、歯には歯を
これが掟だった「殺されたら殺し返す」
これでは憎しみの連鎖は絶えない
「敵を愛せよ」180度違う事を彼は説いた、ここで人類は全く新しい原理を見出したのです
「殺されたら、殺し返す」のが出来ない人の救いになったのです。
現実は難しいことがあります。
でも復讐しないでもいいのだ、いやそれが最高のことなのだ、という安らぎ、平和に理論
「お前は意気地なし、仕返しもしきらんで」と罵られることもない。
そういう世界の始まり
だから、お祝いをするのです。
が商業ベースにのってるつもりもありあせんんがどこの子供も慶ぶクリスマス
2人の子供にプレゼントしていmしたしてました 現在4人の孫gいますが電話で欲しいもの聞いて
送っていmす。べつに 子供が慶ぶことしてyっています。