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生と死

いのうえさん
いのうえ さんのブログ[カテゴリ:人生について
2020.5.1 17:15
昨日の回答の一つが下記。

https://jp.quora.com/ヨーガや瞑想を続けていると-外側の世界で起こるこ/answers/212420837

全ての答えは、外側にあるのではなく、内側にあるのでしょうか。という質問。

おもしろい質問なので回答した。

さて、人の認識には、外側と内側の
両方があるのだろうか。

人は感覚(5感と体内感覚)を使い、外界とつながっている。
胎児から人の脳と身体に蓄えられる情報は大量。

この大量の情報を処理するのが、人の一生だろう。

人を構成する細胞は約十兆。
そして人体は100兆以上の微生物と共生している。
一つ一つの細胞は、独自に情報を受信・発信し、
周囲の細胞と情報交換している。
生まれてから死ぬまで、この働きは続く。

情報には、内側と外側の区別はないだろう。

人体は、一見、外界から独立しているように見える。
しかし、実際、外と内の境界はない。
ウイルスが簡単に体内に取り込まれるように。

瞑想していると、
内と外がつながっていることが、
ありありと、よく分かる。

過去や未来ともつながっている。
そして、今の私は、世界とつながっている。
畳を這う虫ともつながっている。

だが、
自分、自我、私という概念も、
あやふやだ。

自分など、どこにもいない。
それが、分かるのが瞑想。

生や死も本当にあるのだろうか。
なぜなら、私というのは概念であり
ただの想念にすぎないからだ。
思い込みに実体はない。

たぶん、物質やエネルギーに実体がないのと同じだろう。
それは周囲との関係で、推測されるだけ。
一つの仮説にすぎない。
とても都合の良い仮説で人の生活に役立つのだが。

この世が存在するか、どうか。
それも、はっきりしない。
勿論、今、生きている人は、
存在することを信じないと、生きていけない。
私があることを信じないと生きていけないと同様。

現実とは、集団の全員が見る夢だとしても、
強烈な夢だから、信じないと、
やっていけない。

もし、生を疑えば、生きるのが、より大変になる。
若い人たちには、教えたくない危険な考え。
しかし、老人は、そう考える方が、
生きやすくなる。
生がなければ、死もなくなる。
ただ、漂うだけでいいことになる。
流星 1人がいいねと言っています
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