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ゆっ~くり道草北國街道を歩く-15-2

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.5.17 17:13
 信濃宮とは後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王のことで、十字路を右に進んでしなの鉄道を渡った先にある柏王神社に髻(もとどり)を埋めた塚があります。柏王とは宗良親王のことでもあります。
柏王神社は、主祭神を伊弉冉命(いざなみのみこと)、相殿を相良親王として1300年代に創建されたと伝えられています。相殿には菊の御紋章が在りますが写真では見えませんm(__)m


 宗良親王が南朝軍率いて、越後・信濃を転戦したが、この地で病に罹り薬師様に髻を供物し祈ったところ全快し、その髻(髪の毛を頭の上に束ねて所)を埋めた塚(宝篋印搭)があります。地元の人に聞くと道路を広げた時、境内に移したという事です。

 同じ境内と言ってよい所に「柏岩寺(はくがんじ)」。戸倉町指定有形文化財の木造薬師如来坐像が安置されています。境内には新しい「青麻大権現」。中風(脳出血などによって起こる、半身不随、手足のまひなどの症状)退徐だそうです。ちなみに、青麻(あおそ)とは別名カラムシはイラクサ科の多年草。麻とは別物で「奈良晒」「越後縮」の繊維として高価なものであったらしい。
 
 街道の右手に田圃が広がるところを進むと、左手に南無阿弥陀仏碑、二十三夜碑、石柱に乗った石祠、道祖神が近くの物を集め並んで立っていました。無造作に道端に安置されていた方がいいようにも思うのですが・・・。

 他の所にも「青麻大神」や不明の祠、名無しの権兵衛が道路拡張でここに鎮座させられたのでしょう。青麻大神については我が郷土の市報をご覧ください。

https://www.city.chikuma.lg.jp/docs/2016060300040/files/msf54.pdf
 この上町集会所の隣に寂蒔水除水提(じゃくまくみずよけどて)があります。説明板をご覧ください。寛保2年(1742)の戌の満水(いぬのまんすい)の時は寂蒔村では百五十八名の流死者が記録されています。説明板の横には小高い水除土堤の一部の上に豪快な字の「二十三夜」「道祖神」の碑が建っています。


 道祖神等の先を進むと左右に立派な門を構えた大きな旧家が立っている。この辺りには幾軒かのそういう家が並んでいますが、中には人の気配の無い家や、門前は草茫々の家もあります。




 旧家群の中ほどに「宮本醤油味噌」の大きな味噌蔵があります。近所の方にお聞きしたところ、美味しい味噌醤油を作っておられましたが、何年か前両親が相次いでお亡くなりになり、今は娘さんが一人になったそうです。
他人事ながらこの大きな味噌蔵の行く末が心配です。

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