姨捨山人 さん
姨捨山人さんの投稿
ぶらり善光寺―その3ー1
~身は此処に 心は信濃の善光寺
導きたまへ 弥陀の浄土へ~
山門に「お数珠頂戴」見合わせの立て看板。「お数珠頂戴」とは、お朝事の時などに大勧進貫主や大本願上人が参道を往復される際に、頭を数珠でなでてもらうこと(なでて貰うというより当ててもらう感じ)で功徳を授けるもの。これにより悪い因縁を断ち切り、幸せを与えるとされています。写真は善光寺公式ページよりお借りしました。


撮影禁止の禁を破り後ろめたい気持ちで本堂に向かいます。山門上から本堂までの石畳は西光寺欣誉単求の寄進によって敷設されました。参道の敷石は、ノミで切り出されたため、本来凸凹していました。それが多くの方々に踏まれることで、今ではつるつるに磨かれたようになっています。前にも書きましたが、今日も、善光寺へお参りにいらっしゃる方々の足下を、平兵衛、西光寺欣誉単求の思いが支えてくれています。
大香炉(常香炉)の煙を浴び、身を清め本堂にお参りしましょう。平日でコロナの影響もあり人影はまばらでした。

国宝の善光寺本堂です。本堂内部は撮影禁止、今度は守りましょう。言葉だけで説明するのは難しい。困りました。⑫

本堂(外陣)には靴のままで参拝出来ます。本堂に入り最初にお会いするのが「びんずる尊者(賓頭廬)」。別名「撫で仏」といわれ、悪い患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰があります。
尊者の座像は皆に撫でられ、顔はのっぺらぼう目鼻も分かりません。
1月6日18:~には「びんずる廻し」が行われます。「びんずる尊者像」をもみ上げ、参詣者とともに妻戸台の周りを5回曳き廻す行事で、参加は自由です。
終了後参加者には杓子が授与され、その杓子で「びんずる尊者像」をなでて持ち帰ると、1年を無病息災で過ごせるといわれています。

内陣(畳敷き)での参拝は参拝料がいります。共通券(本堂内陣・善光寺史料館、山門登楼、経蔵拝観)は1.000円、単体だと500円だそうです。(未確認)
内陣でお坊さんの読経と共にお祈りしましょう。
御祈りが済んだら内々陣の奥、右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡ります。右手を腰のあたりに構え、壁に沿って進みます。中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様(一光三尊阿弥陀如来)と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。入口には、タイ国王より贈られた仏舎利(お釈迦様の御遺骨)とお釈迦様の像が安置されています。
本堂内を巡り終えたら、東か西の出口から境内を散策。今日は東からご案内します。順路は私の独断で性格通りのバラバラです。東出口から出ます。

本堂東に鐘楼があります。6本の柱を持つ珍しい形式で、柱の本数は「南無阿弥陀仏」の六字名号に因むと言われています。梵鐘は寛文七年(1667)の鋳造で今でも時の鐘として用いられています。
「日本の音風景百選」「NHK除夜の鐘」平成十年二月七日、20世紀最後の長野冬季オリンピックでは、この鐘の音が開会の合図として全世界に響き渡りました。


東の境内には「東くめ(和歌山県新宮市生まれ)」作詞、滝廉太郎作曲の「鳩ぽっぽ」の歌碑があります。善光寺の鳩の姿を見て歌詞を作ったといい、碑文は自筆によるものだそうです。くめと滝廉太郎による童謡は「お正月」「雪やこんこん」など日本で初めての口語による童謡を作りました。

文学作品は他にも善光寺を詠んだ句碑がいくつかあります。
生きて仰ぐ
空の高さよ
赤とんぼ 漱石
夏目家の出自は源頼朝から賜った信濃の国夏目邑(長野市近郊)であると伝えられる。

春風や
牛にひかれて
善光寺
開帳に
逢ふや
雀も親子連 一茶

八重ざくらうつくしく
南無観世音菩薩像
すぐそこでしたしや
信濃路のかっこう 種田山頭火

「真田家関係古搭」江戸時代善光寺の外護職を務めた松代藩真田家の重臣「木村土佐守」らの供養塔。今でもご開帳の大回向柱の用材は松代町が寄進しています。

「木造地蔵菩薩立像」平成二十三年三月東日本大震災では約2万人の尊い命が奪われました。寺ではその方々の追悼と復興を願い、津波で倒れた陸前高田市の高田松原の松を用いて、親子2体と子2体の「おやこ地蔵」を作りました
この堂におられる像は親地蔵の一体で、他の三体は陸前高田市の「普門寺」境内に安置されています。

西のエリアに移ります。目に入ったのは「仏足跡(仏足石)」お釈迦様の足跡を石に刻んだもので、お釈迦様を表す象徴として礼拝の対象とされていたそうです。もう一つは見飽きるほど見てきた徳本上人の「南無阿弥陀佛」の名号碑
珍しく花押が裏面に書かれていました。




建物で目立つ「経蔵」。宝暦九年(1759)に建立された経蔵も国の重要文化財。宝形造りのお堂で、内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した「一切経」が収められています。輪蔵の腕木を押して回すと『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。
3トンの輪蔵を回すには相当の力がいります。回し始めは傍にいたガイドさんに手伝ってもらいました。女性一人で回す方もおられるそうです。
導きたまへ 弥陀の浄土へ~
山門に「お数珠頂戴」見合わせの立て看板。「お数珠頂戴」とは、お朝事の時などに大勧進貫主や大本願上人が参道を往復される際に、頭を数珠でなでてもらうこと(なでて貰うというより当ててもらう感じ)で功徳を授けるもの。これにより悪い因縁を断ち切り、幸せを与えるとされています。写真は善光寺公式ページよりお借りしました。
撮影禁止の禁を破り後ろめたい気持ちで本堂に向かいます。山門上から本堂までの石畳は西光寺欣誉単求の寄進によって敷設されました。参道の敷石は、ノミで切り出されたため、本来凸凹していました。それが多くの方々に踏まれることで、今ではつるつるに磨かれたようになっています。前にも書きましたが、今日も、善光寺へお参りにいらっしゃる方々の足下を、平兵衛、西光寺欣誉単求の思いが支えてくれています。
大香炉(常香炉)の煙を浴び、身を清め本堂にお参りしましょう。平日でコロナの影響もあり人影はまばらでした。
国宝の善光寺本堂です。本堂内部は撮影禁止、今度は守りましょう。言葉だけで説明するのは難しい。困りました。⑫
本堂(外陣)には靴のままで参拝出来ます。本堂に入り最初にお会いするのが「びんずる尊者(賓頭廬)」。別名「撫で仏」といわれ、悪い患部と同じところを触れることでその神通力にあやかり治していただくという信仰があります。
尊者の座像は皆に撫でられ、顔はのっぺらぼう目鼻も分かりません。
1月6日18:~には「びんずる廻し」が行われます。「びんずる尊者像」をもみ上げ、参詣者とともに妻戸台の周りを5回曳き廻す行事で、参加は自由です。
終了後参加者には杓子が授与され、その杓子で「びんずる尊者像」をなでて持ち帰ると、1年を無病息災で過ごせるといわれています。
内陣(畳敷き)での参拝は参拝料がいります。共通券(本堂内陣・善光寺史料館、山門登楼、経蔵拝観)は1.000円、単体だと500円だそうです。(未確認)
内陣でお坊さんの読経と共にお祈りしましょう。
御祈りが済んだら内々陣の奥、右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡ります。右手を腰のあたりに構え、壁に沿って進みます。中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様(一光三尊阿弥陀如来)と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。入口には、タイ国王より贈られた仏舎利(お釈迦様の御遺骨)とお釈迦様の像が安置されています。
本堂内を巡り終えたら、東か西の出口から境内を散策。今日は東からご案内します。順路は私の独断で性格通りのバラバラです。東出口から出ます。
本堂東に鐘楼があります。6本の柱を持つ珍しい形式で、柱の本数は「南無阿弥陀仏」の六字名号に因むと言われています。梵鐘は寛文七年(1667)の鋳造で今でも時の鐘として用いられています。
「日本の音風景百選」「NHK除夜の鐘」平成十年二月七日、20世紀最後の長野冬季オリンピックでは、この鐘の音が開会の合図として全世界に響き渡りました。
東の境内には「東くめ(和歌山県新宮市生まれ)」作詞、滝廉太郎作曲の「鳩ぽっぽ」の歌碑があります。善光寺の鳩の姿を見て歌詞を作ったといい、碑文は自筆によるものだそうです。くめと滝廉太郎による童謡は「お正月」「雪やこんこん」など日本で初めての口語による童謡を作りました。
文学作品は他にも善光寺を詠んだ句碑がいくつかあります。
生きて仰ぐ
空の高さよ
赤とんぼ 漱石
夏目家の出自は源頼朝から賜った信濃の国夏目邑(長野市近郊)であると伝えられる。
春風や
牛にひかれて
善光寺
開帳に
逢ふや
雀も親子連 一茶
八重ざくらうつくしく
南無観世音菩薩像
すぐそこでしたしや
信濃路のかっこう 種田山頭火
「真田家関係古搭」江戸時代善光寺の外護職を務めた松代藩真田家の重臣「木村土佐守」らの供養塔。今でもご開帳の大回向柱の用材は松代町が寄進しています。
「木造地蔵菩薩立像」平成二十三年三月東日本大震災では約2万人の尊い命が奪われました。寺ではその方々の追悼と復興を願い、津波で倒れた陸前高田市の高田松原の松を用いて、親子2体と子2体の「おやこ地蔵」を作りました
この堂におられる像は親地蔵の一体で、他の三体は陸前高田市の「普門寺」境内に安置されています。
西のエリアに移ります。目に入ったのは「仏足跡(仏足石)」お釈迦様の足跡を石に刻んだもので、お釈迦様を表す象徴として礼拝の対象とされていたそうです。もう一つは見飽きるほど見てきた徳本上人の「南無阿弥陀佛」の名号碑
珍しく花押が裏面に書かれていました。
建物で目立つ「経蔵」。宝暦九年(1759)に建立された経蔵も国の重要文化財。宝形造りのお堂で、内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した「一切経」が収められています。輪蔵の腕木を押して回すと『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。
3トンの輪蔵を回すには相当の力がいります。回し始めは傍にいたガイドさんに手伝ってもらいました。女性一人で回す方もおられるそうです。
「お数珠頂戴」・・・これ受けたと思います。
子供が幼児のときに両親が連れて行ってくれたことは
先日コメントさせていただきました。
お朝事に間に合うようにと早い時間に旅館を出て参拝しました。
読経の前だったか後だったかは記憶はありませんが膝間づいて
手を合わせていたのは記憶にあります。
お早うございます!
「お数珠頂戴」の経験がおありなんですね。他のお寺さんではあまり聞いたことが無いので、良い経験をされましたネ。
子供に頃から何度か経験がありますが、物心ついてからは、前の一条智光上人、前の小松玄澄貫主からもお数珠を頂戴したことがあります。
回数が多いだけでなんてこともありませんが・・・。
一度は行きたいと思いながら行った事が
ありません。牛がいないので^^;
一度は行ってみたい所です。
出雲参りは行ったんですが^ - ^
是非一日、日帰りも出来ますのでおいで下さい。
長すぎて途中で切れてしまい、2ページになってしまいました。
よろしかったら続きもご覧ください。
私はいつもびんずるさんの頭を撫ぜています。
一度杓子をもらいたいと思っていますが、寒い冬は苦手で実現できていません。
田しか記憶にあるだけで、3回も行ってますが、見落としたのか、記憶に何のか、行き塚の句碑や歌碑、じっくり拝見しました。
たぶんもうゆけないかなと思いますので、貴重です、ありがとうございます。
こんにちは。
お読み頂き有り難うございます。
若い頃は通り一遍しか見ないので、私を含めて皆同じだと思います。
この頃やっとじっくり見れる時間と余裕が出てきました。