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ゆっ~くり道草北國街道を歩く-21

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.6.13 14:49
 メリハリのない旅ブログですが一人でも読んで頂ける方がいるうちは試行錯誤しながら続けたいと思っています。

 善光寺境内突き当りを右に曲がり北國街道を北上します。ここからの街道は越後方面へ向かう人か、善光寺に参拝して越後方面へ帰るひとたちの道です。突き当りは商売繁盛の「西宮神社」。

 農業・商業・漁業の守護神で七福神信仰筆頭の神さま八重事代主神・蛭子神、五穀豊穣・殖産興業の神さま倉稲魂神が御祭神と多彩。毎年1月19日、20日の初えびす祭開催時に、商売繁盛を願い「お種銭貸し出し」が行われる。えびす様の御霊を込めたお種銭を貸し出し、1年間商売繁盛に励み、家内安全、開運招福などご利益をいただき、翌年の参拝時にお返しする。善光寺七福神の恵比寿(秘仏)もあります。

 兵庫県の西宮神社(西宮えびす)総本社は存じ上げませんが、ここでは「およべっさん」。えびす講期間中、江戸里神楽(東京に伝わる民族芸能で、重要無形民俗文化財)が奉納されます。

 善光寺宿をだんだん離れると、そんなに古い建物ではありませんが、漆喰の二階家が街道の雰囲気を醸し出します。街灯に「北國街道」の突出看板を見るとホッとします。


 この辺りの旧北國街道でも神社仏閣以外にあるものといえば、馬頭観世音などの「野仏」位のもの。歴史的建造物などは滅多にありません。故に、街道を紹介すると勢い、神社仏閣になってしまいます。早速の「社子神社(しゃご)」小社ですが境内には「ヒムロ」の大木があり、樹齢は古くはっきりしないそうです。

三輪山時丸寺

延命院。もはや寺の体を成していないように見えました。

 皇足穂吉田大御神宮(すめたるほよしだおおみかみぐう)。御祭神は天照皇大神、豊受皇大神。境内神社百社は伊勢神宮別宮十三社、日本全国を六十八州に分けた延喜の頃(九百一年~)各州の一の宮(例)信州は諏訪大社、埼玉の氷川神社など全国一之宮六十八社、町内鎮守社十社があります。横町本町鎮守市神社(巨石)の後ろの塀に見えるのは全国の「一之宮」の祠です。


街灯に「北国街道」

 寺の往時には四囲が堀であったが、慶長年間に長沼街道が整備された。ここに樹齢900年と言われる、長野市天然記念樹の「大いちよう」があります。寺紋は真田家の「州浜(すはま)」と呼ばれる家紋です。保護を受けていたのでしょうね。



 寺内に信行寺(右奥)・本覚寺(左入口、写真なし)・浄専寺(左奥)・「正宗寺」の4寺を抱える浄土真宗があります。



 此処で雑学:真田家の家紋といえば「六文銭」(ろくもんせん)。三途の川の渡し賃としての六文銭は、戦に決死の覚悟で臨む、という意味合いがあります。
実は有名な六文銭の他にも、家紋があります。
平時には「結び雁金(むすびかりがね)」「州浜(すはま)」はめでたい時に使う家紋だそうです。

 門を抜け、幼稚園の中を通り山門に「耕雲種月境」と山額があり本堂へは入れませんでした。不勉強の為調べてみたら、耕雲種月(境)の耕雲とは雲の下で耕すこと。種月は月の照らす中で植えること、あわせて労苦を厭わず耕作して種を播くこと。
古くより禅僧は自分たちで田畑を耕して作物を生産したことから、苦心労役を厭わずに弁道修行に精進するさまをもいうとありました。


 街道の傍に「六地蔵坐像」があるのは珍しい「真照庵」

 もう若槻三村の一宿「新町宿」に入ったのか定かではありませんが、稲積村(現在の稲田)、徳間村、東条村の三村で一宿を構成し、諸役を分担した宿場です。長野市民からは「旧北国街道」と呼ばれる親しみ深い道筋だが、現在、宿場時代の面影を残すものはごくわずかであります。
稲積の本陣問屋と高札場跡ですが、面影のかけらもありません。説明板がむなしい。(決して吉澤家を責めた訳ではありません)


 稲田神社。由緒によると祭神は「建御名方命(たてみなかたのみこと)」と妻神の「八坂斗女命(やさかとめのみこと)」の諏訪社。近隣の諏訪社4社を合祀しています。


 同じ稲田区にある「円通庵」創建年代は不明ですが、本尊は戦国大名「村上義清(1.501~1.573)」の守護仏だと伝えられ、行基の作と言われています。小さな庵にしては見るべきものが沢山ありました。

 境内には「大乗妙典千部供養塔」の碑。大乗妙典とは衆生を迷いから悟りの世界に導いてくれる教えを記した経典。本来は大乗仏教の教義を記した経典全般を指しますが、一般的には法華経、妙法蓮華経のこと。この経典を一定回数読誦したときの記念に建てたものでしょう。「大乗妙典」読誦記念碑とでもいうもの。
 横には「三界萬霊塔」。人も獣も広く生あるものの霊を永遠に祀るために建てられたといわれる。欲界(欲の世界)・色界(物質の世界)・無色界(精神だけの世界)の三つの世界を指し、発生から死滅まで繰り返している世界で、三界萬霊塔 はこの世の生き物全ての霊をこの塔に宿させているものでしょう。

 更に入り口付近に「六地蔵菩薩」それも2基。片や、光背の付いた立像。もう片方には赤い涎掛けをした六地蔵の座像。この菩薩の首に吾子が日常していた「よだれかけ」をかけて亡児の冥福を祈る母親は世界にどのくらい多いか勝手に妄想しています。
全ての世界の為に三界萬霊塔、六道輪廻の世界の為に六地蔵様 日本の先人達は念には念を入れたんでしょうね。


 10分程歩いたところに分岐の「道しるべ」がありました。ここから草津へ行くには志賀高原、渋峠を越え険しい道のりだったと思います。草津街道の経路は北国街道の新町宿(長野県長野市)で分岐して渋温泉(長野県下高井郡 山ノ内町平穏)、渋峠(標高:2172m)を経て草津温泉に至る行程です。

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コメント
姨捨山人さん
姨捨山人 さんのコメント
2021.6.13 17:28
コメント、いいねをして下さった方返信が出来ませんが、有り難うございました。
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チャコさん
チャコ さんのコメント
2021.6.13 15:43
渋温泉 祖母がリュウマチの治療に滞在していたとき訪ねて行ったようですが、幼かった私には長野までの長時間の列車の旅に疲れ果てたようです。 
渋峠 志賀から渋峠経由で草津にひとりスキーツアーに出かけましたが、肝心のケーブル駅に着いた時にはすべる体力をなくし、ケーブルで降りる始末。

長野市にはホームステイの説明に3回ほどお邪魔しましたが、善光寺の横の東山魁夷の美術館が主目的。 信仰心がないのでごめんなさいです。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.13 16:46
渋温泉の地獄谷野猿公苑、冬雪の降る頃、頭に雪をかぶり温泉に入るおさるさん。渋には同級会で泊まることもあります。
今はスキーもすることのできない体ですが、草津白根山の火山規制が解除になったらスキーツアーもしたいですね。
信濃美術館の併設する「東山魁夷館」私も善光寺にお参りもせず帰ることがあります。特に「緑響く」が好きで、よく御射鹿池に写真を撮りに行きます。
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ぎ~やんさん
ぎ~やん さんのコメント
2021.6.13 15:12
崩し字の道しるべは、味がありますねえ。おおむかしの人は、何の苦もなく読めてたと聞きますから
現代人も勉強しなきゃアカンと思いました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.13 15:38
古文書など全く読めず、説明文などなければチンプンカンプン。
発音も今とは違うように感じています。
今からでは遅いと思いますが、勉強させてもらいたいと思います。
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しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.6.13 15:07
北国街道、中々いろいろ残ってるんですね。
六国街道には、一里塚は築かれてないんですよね。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.13 15:33
徳川幕府は慶長年間、主要街道一里ごとの塚を街道の両側に築いたようです。
六国街道は主要街道ではないので一里塚は築かれなかったのでしょう。
お読み頂き、コメントありがとうございました。
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