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ゆっ~くり道草北國街道を歩く-24

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.6.20 16:44
 今日午前中コロナワクチン2度目打ってきました。今の所、何の変化もありません。打った所が痛いとか、熱が出るとか症状が出た方が免疫ができるのではないかと、いらぬ心配をしています。別の「つぶやき」で報告しようと思いましたが、ずくを病んで冒頭に書きました。

 坂が続く民家の中を通り、民家が途切れる所は決まって道が二股に分かれます。有難いことに古道を守る会の人達が、案内標識などを設置してくれているので迷うことなく進めます。

 その分かれ道には会の人達が設置した説明板があります。長いですが読んで頂けると有り難いです。
小玉坂は約3km続く山道の難所で、石洗い坂・観音坂・赤坂・金坂と呼ばれる急坂があり、路面の整備は小玉住民の負担になっていた。過重な負担に耐えかねて、嘆願書が出されたこともありました。
元治元年(1,846)小玉村百姓代儀右衛門の嘆願書の一部です。
―――隣村落影村までは三十余丁のところ、惣名(ひとかたまりのものを一つに総括していう名称。総称。)小玉坂と唱え、そのうち極難場に石洗い坂・観音坂・赤坂・金坂などの場所これあり。雨天の節は大滑り相立ち、そのうえ荒石多く人馬の通行差支え候ほどの土地柄―――云々

 又ゝ二股分岐です。この先急坂になる予感。「クマの糞を見たら引き返すこと」「一人では歩かぬこと」目をつぶって無視。携帯ラジオの音量を上げて前に進め。



 急坂をあまり歩かないのに高度はぐんと上がったここは、小玉坂。小玉の山道を総称して小玉坂というそうです。牟礼の田園とはるか向こうの中央に「髻山」山頂が見えます。

この小玉坂辺りを加賀藩の浅加久敬(あさかひさたか)は「東武道中輯録」(正徳元年1,711)の中で、四季の小玉坂の景色を称賛しています。
  春は四方の高山に山桜を見
  夏は茂山に涼月を見
  秋は紅葉野辺の千種に鶉(うずら)の鳴を聞
  冬は雪の梢に花を見る
と書いています。

 又、古道と新道の分岐です。向かって右の道は古道、左は新道遠回りですが、傾斜は緩い。勿論右の古道を進みます。

 ヒメウツギの咲く坂道を上ると、「観音平と馬頭観音」の説明板。急ぐ旅ではないので、観音堂跡の馬頭観音を見に登ります。


 そこそこの馬頭観音の碑が集められています。「馬頭観音」「馬頭観世音菩薩」の文字だけの碑が多い中ここでは菩薩像が彫られています。頭の上に馬が彫られているので馬頭観世音菩薩と分かります。

 流石、「美しい日本の歩きたくなる道」「一茶と歩く北國街道・野尻湖の道」に選ばれるだけあって、杉、桧の木漏れ日の中を歩くのは至福の一時であります。



 新道と交わる辺りに「小玉一里塚跡」の標柱。その場所辺りだけ強い光が当たっていました。話だけですが、小玉一里塚からは鳥居川の断崖(ジャカン崖)越しに次の四ツ屋一里塚が見えることで有名で傍らには「上杉謙信馬止清水」が湧き、茶屋があったそうです。

 一里塚を過ぎると「見坂平」入り口、小玉古道の最高地点でしょうか、ここで北國街道と「戸草道」の分岐、戸草道の最高地点が「見坂平(みいざかだいら・みさかだいら)」見坂は古代の国境の峠「御坂」「神坂(みさか)」に通じ、古代から越後と信濃を結ぶ官道「東山道(支道)」が通っていたという説もあります。

 新道と古道が合流して本当に楽な小玉古道です。元気なころでしたら走りたいほどです。

 分岐を少し下ると又も「明治天皇清水窪小休所跡」の標柱、明治天皇一行が休憩した場所。地名から「清水窪御野立」とも呼ばれ、石碑のある場所に天皇の「玉堂」が、左手の平地に右大臣岩倉具視らの「随行員棟」が建てられました。
それにしても明治天皇の一夜のお休みに家を建てるというご威光はどれほどのものだったのでしょう。


 同じ場所に伊勢神宮宮司で万葉学者の荒木田久老(ひさおゆ)の歌、小玉古道には女郎花(おみなえし)が多かったようです。
  秋風をうらみもはてず 女郎花
  うたてもなびく 花の色かな
 ヤマボウシの季節です。白い花を見ながらゆっくり「落影」へと下ります。のどかな田園風景が広がります。北信五岳の黒姫山も雲の中。


 自然石其のままに彫ったような庚申塚。野のアヤメ小ぶりですがしっかり咲いています。豪雪地帯の為、消火栓等ものっぽです。庚申塔と思われる石仏、規則にとらわれない自由さがあります。主尊は、地蔵、阿弥陀、如意輪、仁王そして手洗鉢、灯籠、五輪塔、石幢など、数え上げればきりがありません。




 落影地区の小さなお社「坂上神社」杉木立の中に良く手入れの行き届いた地区の人達の心のよりどころでしょう。静かに鎮座されています。

 何処か仏閣を思わせる様な佇まい。庭には苔むした燈篭。新しいモダンな石に一茶の「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」の句。その先の家の庭の片隅に「奉納四国西国秩父坂東供養塔」どなたがどんな気持ちで建てたのでしょう。



 国道を斜めに横切り北國街道の案内標識に従って坂を下ります。ここは小古間、昔古間宿から分かれ、20軒余りの集落。石高も100石に届かなかったそうです。坂道の途中に小さな馬頭観音を収めた小堂がありました。よくよく見ると頭にお馬さん。

 小人数の集落の人達が知恵を絞り地区の神社仏閣をひとまとめにしたのでしょう。小古間集会所を中心に「斑尾山大悲院」誰もが長生き出来るよう「延命地蔵」子供が元気に育つよう「子育六地蔵」皆が安心して暮らせるよう「小古間神社」が一堂に鎮座しております。
「子育六地蔵」の横に地区内の街道から集めた石仏が並んでいます。「三界萬霊等」塔が「等」になっています。仏具を持っている「千手観音菩薩」、頭が欠けて丸い石の乗った石仏、お地蔵さんも手を合わせていらっしゃいます。




 街道を北上道に突然一茶句碑。ワシを刺した毒虫め、どこへ行ったか!お前もいつかは必ず朝露のように消える運命だぞ。出典は一茶「俳文拾遺」六「行倒れ」(一茶全集第五巻)で、「文化五年八月二日信州かしは原一茶誌」と日付まであります。一茶が前夜小古間坂を通りかかると「漆の木のように幾所も伐られた」男が死んでいました。きっと泥棒か色恋沙汰で怨みを買い神罰に当たったに違いない、といった前書きがあります。毒虫は「昆虫」ではなく、「社会の毒虫」だそうです。が、私は昆虫の毒虫の方が一茶らしいと思っています。
  毒虫も
    いつか一度は
         草の露

 普通の民家に一茶の句碑「痩せがえる 負けるな一茶 これにあり」と痩せがえるとは言い難いメタボがえるが一杯。
今回のブログは私の地が出て、北國街道を脱線ばかりしています。

 宿内に三軒の酒屋があったそうですが、明治初期創業の「高橋助作酒造店」に受け継がれ♫人情こまやか古間の里は鎌と酒とで名が高い♫と古間音頭に唄われています。銘柄は大吟醸酒「松尾」。


 少し先の草藪の中に「古間一里塚跡」の標柱。(ひょうちゅう)と読んでください。神社にある一対の柱は「標柱(しめばしら)」此処に「注連縄」を張ります)標柱の横には「南へ一里小玉一里塚」の文字。ここまで小玉古道を4km歩いて来たんだなーと感慨ひとしお。

 此処にも一茶の句の説明板。「雪五尺」と小林一茶が詠んだように、まさに豪雪地帯の悲劇でした。
  一声に
   この世の鬼は
       にげるかな

 同じ場所に句碑が在ります。アゲハ蝶が舞い降りてきてストローのような口を水たまりに突き刺して水を吸い始めたのでしょう。一茶が美しい蝶が汚れないようにと心配する視線が目に浮かびます。「でかい」などという下世話な日常語がすんなり受け止められるのはやはり一茶調の成す技でしょうね。
  ぬかるみに
     尻もちつくな
         でかい蝶

 同じ碑に白飛の句。白飛は木田白飛。一茶が住む柏原村の隣り、古間村に住む一茶の熱心な門弟で、地場産業の鎌問屋の富商です。句意は、「なんだ坂、こんな坂」蒸気機関車よろしく、古間村もひとっ飛びとばかりに渡り鳥が北を目指して飛んで行くよとでもなりましょうか。
  こんな村
    なんのと行か
        渡り鳥

 古間宿の中心部に入ります。国道18号線を突っ切り直進します。次の宿場「柏原宿」が見えるくらいの短い宿場です。そのため、江戸時代に入ると、隣接する柏原宿と合宿になり、月の後半だけ、人馬の輸送を行いました。
古間の街灯です。上のアーチは鎌をイメージしたものでしょう。古間音頭を踊っている女の人もいます。

 国道を過ぎて直ぐ「薬師院」。お堂らしきものがあるので中をパチリ。屋根付きの「六地蔵」線刻の「菩薩像?」坐像、立像があり統一していません。隅には寄せ集めの石仏。馬頭観音、石塔らしきもの、石祠等々。




 古間鎌(信州鎌)の問屋(問屋制家内工業)今は古間に3軒が残ります。信州打刃物の里として古間鎌から信州鎌に名前は変わりましたが、今は播州鎌(小野市)に次ぐ生産地です。


 古間宿の中心部に境内を構えている「行善寺」は、鎌倉時代に親鸞聖人が戸隠神社に参拝した際、案内をした行善坊が弟子になり、一宇を設けたのが始まりの真宗大谷派の寺院です。


 又趣旨とは外れますが、境内にはある「タキソジュウム」は(樹高約21.63m、幹周約4.17mの大木)ラクウショウ(標準和名はヌマスギ)の属名であり、古代に繁栄したメタセコイア属と同様に、現在、世界の限られた地域で数種のみの生育が認められ「生きた化石」の一つであり、ラクウショウは原産地では湿地や沼地に生育するため、気根(呼吸根)を発達させる珍しい形態的特徴を持つ樹木であります。

 古間宿には本陣は置かれなかったが、宿場中央で上段の間を持つ「古屋」に上級武士が泊りました。主屋は切断され半分の規模になって残っています。案内には「古間宿本陣跡」の標柱が掲げられていますのでそのまま載せます。


 戸隠神社奥社の鳥居奥から流れ出る「鳥居川」に架かる「寿橋」は今はコンクリートの橋ですが昔は水量が多いため橋脚のない「刎架橋(はねかけばし)」であった。「この橋を渡りて坂を登ればすぐに柏原也」と物の本に書かれています。
坂を上り切った所に野仏の「馬頭観世音」がありました。

信々亭topkatゆりかもめ真実一路紀ららホテイラン飛翔@スズジイ@おかしふぐのひれ酒 21人がいいねと言っています
コメント
ひろちんさん
ひろちん さんのコメント
2021.6.21 11:22
熊に出会わなくてヨカッタです(*'▽')♪
古間の街灯素敵ですね~☆
そんな所に気づける姥捨山人さん♪
ひろちんも色々気にしながらお散歩してみようと思います(⌒∇⌒)
0人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.21 13:25
ひろちん さん
こんにちは!
ただ運が良いだけで熊にも出会いませんでした。
人に害を与えない日本鹿やリスなどにはよく遇います。
今年は山の木の実が豊富なのでしょう。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの類で、見落としているものが沢山あります。
2度目のワクチンで熱が出ました。まとまらない返信でゴメンナサイ。
1人がいいねと言っています
topkatさん
topkat さんのコメント
2021.6.20 17:45
姥捨山人さん、こんにちは。

今回も興味深く拝読、拝見させていただきました。

クマが出るのですか?
ラジオがあって良かったですね。

しかし、昔の人達は厳しい社会と自然環境にあって、一般の人たちはとても貧しかったろうに、なんだか余裕があったように感ぜられます。
今とは違う・・、人情とか、信心あればこそなのかしらん?

頭にお馬さん、馬の役目が多かったのでしょうね、やっと意味が分かった気がします。

ひんやりしたヒノキ林の中、木漏れ日の中を歩くのは気持ちの良いものですよね。
私も南紀に友人がいるのでよく熊野古道は歩いたので同感です。

此方も今はアヤメやヤマボウシの花が咲いてます。
良い季節です。

六地蔵も意味深なのですね、まったく知りませんでした。
私は布などの掛けてないのが好きです。
気持ちは解るけれど、全体が見えなくなるのはもったいないと思います。

古間の街灯上のアーチはとてもモダンで素敵ですね。

北国街道の旅、こうして一茶の優しい眼を通してみると、温かみと親しさを感じて好いです。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.20 19:24
topkat さん
こんばんは
丁寧に読んで頂き感謝です。
路傍の野仏を見ているとそれを祀った人の気持ちを推し量って見たり、無縁仏碑があるとどんな方がどんな気持ちで建てたのか想像しています。
多くの俳人がおりますが、万物に優しい言葉で語りかける一茶が好きです。
私の勝手な解釈迷惑かもしれませんね。
1人がいいねと言っています
ぎ~やんさん
ぎ~やん さんのコメント
2021.6.20 17:35
2005年(平成17)に、全国の街道筋を調べたはずなんですけど、一部を残して霧散してしまってます、
これは貴重な資料ですね。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.20 19:13
ぎ~やん さん
こんばんは。コメント有り難うございます。
貴重な資料残念でした。もう五十年もして、どなたかが読んでくれたらその変わりように驚くでしょうね。
0人がいいねと言っています
ゆりかもめさん
ゆりかもめ さんのコメント
2021.6.20 17:32
一里塚。
わたしの地域にも一里塚があります。
江戸から一里。
今も通行の目標。
江戸から出発して・・一里塚を通って・・・
信州や京都に。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.20 19:08
ゆりかもめ さん
貴方のブログ読ませて頂きました。
私も古道を歩かせてもらっていますが、たとえすでに塚がなくなっていても一里塚跡の標柱があるとホッとします。
もう少し若ければ五街道すべて踏破してみたかったです。
0人がいいねと言っています
雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.6.20 17:06
しっかり拝読させていただきました。
これはブログだけでは惜しい書き物ですね
なにか本になさったらと思いながら拝読しました。
古道も近隣の人たちによって綺麗に保存されているのですね~
永い間並々ならぬご苦労もあったことでしょう(^^♪
熊に出会うことなくよかったとホッとしましたよ(^^♪
こんな人っ子ひとりいない道で熊にあったら、ひとたまりもないですものね(^^♪
お疲れさまでした。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.6.20 18:48
雪豹 さん
コメント有り難うございます。
色々のものを保存することは並大抵のことではないと思っています。
無償のボランティア活動の上に、私なんぞ抱っこにおんぶの状態です。
こうやって安全に旅を続けられるのもそういう人たちのおかげです。
感謝しても感謝しきれません。有り難うございます。
1人がいいねと言っています
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