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ゆっ~くり道草北國街道を歩く-25ー1

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.7.4 8:43

 なだらかな坂の町でもある柏原宿です。俳人小林一茶の生まれ故郷でもあります。土地柄でしょうか皆さんあったかいです一茶の心に通じるものがありました。古いものを大切に守っている姿にも心洗われる気がしました。旅に出たらその土地の人に声をかけて見て下さいこれも旅の醍醐味です。
古間、柏原、野尻の三宿は度重なる大火によってその姿を大きく変えてしまいましたが、当時の面影が所々残っています。その昔、賑わいを見せていた宿場に思いをはせてみたいと思います。

 江戸時代、信濃と越後を結ぶこの街道は佐渡の金銀を運ぶ輸送路として「御金荷(おかねに)街道」とも呼ばれていました。
   梅雨晴れや
      佐渡の御金が
          通るとて
一茶は町のざわめきなどどこ吹く風といった様子がうかがえます。

 中山道追分宿で分岐し越後の出雲崎宿まで特に厳しかった難所を「中山八宿」といい牟礼宿、今の信濃町の野尻宿、(柏原宿、古間宿)はその中に数えられています。後の宿場は越後の(関川宿、上原宿)(田切宿、二股宿)関山宿、(松崎宿、二本木宿)荒井宿を上げています。数が多いのは(柏原宿、古間宿)のようにカッコで囲まれている宿場は「合宿(あいしゅく)」と言われ、半月毎に交代で宿場として機能し、三千人を越える加賀百万石の参勤交代の時は総出で対応した宿場です。また、街道筋には鼠宿や篠ノ井追分宿のような「間宿(あいのしゅく))というものもあり、これは宿場と宿場の間に作られた休憩所など非公認の宿場で表向き宿泊はできないものでした。
本陣跡に掲示されている柏原宿の見取り図に、柏原宿に因んだ一茶の句が紹介されていました。ICタグで読み取って下さい。

   我宿は
    朝霧昼霧
      夜霧哉
冬は豪雪で人馬の往来が出来ず、夏は濃霧が発生して街道の難所と言われていました。

 宿場の入り口近くに「諏訪神社」。境内に一茶の碑があります。一茶の三回忌に弟と門弟が宿場入り口に建てていたが、松平氏のお陰と60餘州の民がみな楽々と松陰に寝て食うという珍しく幕府の善政を詠んでいる為、巡幸の明治天皇の目に留まってはと、ここ諏訪神社に移したと言われていますが、実際は宿場入り口拡張の為神社に移したのだそうです。一茶最古の句碑です。
   松影に
    寝てくふ
      六十よ州かな



 先ず、神社を起点に宿場のメイン通りを歩き昔の面影と一茶の句を観賞しようと思います。神社を出て直ぐこんな句碑がありました。晩年の句と思われます。「元日から真っ青な青空で、この上なく縁起が良い」となりますが、深読みすれば、この句を作る前に、次々と子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、9年間連れ添った最愛の妻も37歳の若さで亡くなってしまいます。不幸続きの後に詠まれた発句です。
   元日や
    上々吉の
      浅黄空

 道の筋向い(右側)には一茶旧宅跡。父の遺言で手前右の弟の家に隣り合って暮らしていたが、大火の類焼で、居宅を失い、所有していた土蔵(左奥)で生涯を閉じました。


   是がまあ
     つひの栖か
        雪五尺
(これがまあ ついのすみかか ゆきごしゃく)
三人目の妻ヤヲは一茶の死後五ヶ月後に女子たを生み、一茶の家系は現在に続いています。又、娘のたをの建てた「俳諧寺一茶位牌堂」が土蔵の裏にあります。

 敷地内は私が見た中学生の頃とは違い、綺麗に整備され句碑も新しく建てられていました。

   ほちや々と
      雪にくるまる
          在所かな
(私の見解ですが、ほちゃ~はオノマトペに幼児語を足したようなものだと思います:ふっくらと丸い可愛らしいさま)
   美しや
    障子の穴の
       天の川
 29歳の時、14年ぶりに俳諧師となって帰郷した際に詠んだ句碑があります。その時の感慨をよんだものです。
   門の木も
     先つゝがなし
          夕涼

 隣の柏原物産館の広場に「小林一茶之像」が建てられていました。観光客の方は像を横目で見ながら物産館にまっしぐらでしょうか(m´・ω・`)m ゴメン…
チョット像の説明を「建設によせて」から抜粋しようと思います。
“自然や草花を愛し、雀や蛙の小動物を可愛がり深い同情を寄せた一茶。私たちの心の奥には一茶のような心があります。
 子供を詠んだ童謡詩人であり、庶民の心を代表してズバリズバリと言ってくれた彼の風貌は誰も知りません。弟子の書いた肖像画や直系の親族の写真をもとに再現したのがこの像です。
前の松は畑山秀吉氏が豪雪地で丹精込めて育てた100年になんなんとする赤松です。
昔の面影を留めぬ松並木だった街道を目の前に見て、一茶はこの松に何を語りかけているのでしょう”
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コメント
柚月さん
柚月 さんのコメント
2021.7.4 11:28
姨捨山人さん♪ こんにちは♪

小林一茶の句碑がこんなにもたくさん残されているのですね。
「元日や上々吉の浅黄空」
小林一茶の境遇も深くは知りませんでしたし句もほんの一部しか
知りませんでしたけれどこの句はちょっとほろっときます。

それにしましてもよくぞ細かく取材されて。。。
ここに書かれている何倍もの取材をなさってそして纏めておられるのですよね。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.4 12:07
柚月 さん
久しぶりの投稿ですが忘れずお読み頂き有り難うございます。
所詮、素人の投稿で、独断の句の解釈です。
柚月さんと同じように「ほろっと」する句が多いですね。幼いころに母親を亡くし、浄土真宗に帰依したことが根底にあるのでしょう。

嫌われ者の「ハエ」でさえ「やれうつな 蠅が手をする 足をする 」と作句しています。蠅が手を擦り足を擦って命乞いをしているではないかと詠んでいます。
この後、うんざりする程一茶の俳句を書きたいと思っています。
1人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.7.4 10:01
小林一茶の区で、私が初めてなるほどと思ったのが、
 「これがまあ ついの住処か 雪五尺」でした。
 さすがにたくさんの句碑が残されているんですねー。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.4 10:39
しょうく さん
こんにちは!久しぶりの投稿にコメント有り難うございます。
昭和50年ころは4基ほどの句碑しかなかったようですが、平成25年の一茶生誕250年ころから飛躍的に多くの句碑が建てられたそうです。
私が見たところ個人宅の庭に自費で建てたものもあるようです。
1人がいいねと言っています
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