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ビルマ ミッチーナ

のんびりさん
2021.7.7 9:39
  鉄道で行ける一番北の町です。

戦争当時、多くの日本人兵士、ミャンマーの方々が亡くなられた街だそうです。
奇跡的に生き残った方や、遺族の方々の寄付によりとても立派なお寺や涅槃佛が出来ていました。
ただ、隣にあった二本の供養塔が、書いてある文字すら判別できない状態だったのが気がかりです。

お参りしてきましたが、やはり戦争は悲しみと憎しみを作り出してしまいます。

雨のミッチーナでうれしかったのは、こんな山奥の町でも日本語を勉強している若者がたくさんいたことでした。
この日本語学校に、えせビルマ人の格好で行くと、校長先生と言われました。

「なぜ日本語を?」の問いに、「日本に興味があるから、日本に行きたいから」の答え。
「日本に行って何をするの?、日本は世界で最も物価が高くて大変だよ」
「日本の学校に入りたい、勉強をしたい」

4年前とは大違いですねー、それだけ経済が良くなっているのかな?

行きは列車で23時間かかりました。
ガイドブックでは30時間と書いてあったので、もしかして急行かもしれません。
シートは木製です、私のやわなお尻では完全に悲鳴を上げてしまいました。
帰りは・・・やはり木製です・・・
理由、一番安いから。

今度は衣類等を袋に詰めて座布団を作って乗りました。
最初は「完璧!」と思っていましたが、5,6時間でやはりお尻が悲鳴を・・・・
地元の人はそんな私を喜んで見物していました。

時間は、あと2,3時間というところで突然ストップ。
みんな列車を降り始めました、トラブルが有ったらしいです。
駅を出るとたくさんのバスが並んでいます。
しかもすし詰め状態で・・・・

何とか、お風呂にあるようなプラのいすに座れましたが、1時間ほど走ったところでみんなストップ。
なんと道がありません、道を川が横断して、中ほどでトラックバスが半分横転しかかっていました。
何人かが土嚢を作り、何とかわたれる状態にして、ようやくそこを通過できました。

結局26時間ほどかかってマンダレーに戻りましたが、雨季には良くあることらしく、地元の方々はまるで平然としていました。
彦左しょうく柚月topkat@スズジイ@ふぐのひれ酒四つ葉流星ぬる湯真実一路 11人がいいねと言っています
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