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ゆっ~くり道草北國街道を歩く-25-番外編その2

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.7.10 10:55
 「小丸山公園」をスルーしてJA長野信濃町支所の前には見た目難解そうな句碑がありました。稲の花を咲かすのにどれほどの農民は精力を使ったことかとなりますか。農家に生まれながら、ついに生産的な農耕の仕事とは無縁であった罪悪感が一茶にはあったでしょう。
   いくばくの
      人の油よ
        稲の花

 信濃町商工会の前にこんな句碑があります。その前にある信濃町総合会館にも句碑があり、素直に読んでみました。
   花の木の
     もって生れた
         果報哉

   はつ蝶の
     夫婦連して
        来たりけり


 メイン道路を渡り街道の右側エリアに移り、句碑を探します。信濃町役場の北側にある「信濃町立信越病院」玄関脇に句碑がありました。(涼風=すずかぜ)一茶が江戸に住んでいた頃に詠んだものだと言われています。夏の終わり頃に吹く涼しい風が、表通りからその裏長屋のまたその奥のつきあたりにある我が家へは、せっかくの涼風も曲がりに曲がりくねって、もはや涼しい風ではない…と、皮肉っています。
   涼風の
    曲がりくねって
         来たりけり

 探すのに行ったり来たり、辺りの人に聞いても分からず、あきらめかけて帰る途中草陰で見つけました。信州信濃町の蕎麦は江戸時代の古地図に「そば切り新田」の名が記されているように、昔から蕎麦どころとして有名で冷涼な霧の湧くこの地のそばは香り高く「霧下そば」と呼ばれるようになりました。
蕎麦は「他家受粉」。たくさんの蜜を出しハナアブ、ハチ、チョウ、アリ、テントウムシなど沢山の虫を集めます。どさくさに紛れて蠅も蜜を舐めています。白い花々にはどの昆虫も似合っているが、なかでも白い花に留まり、時に低空に飛ぶ赤とんぼとの風景は格別であるといったところか・・・。
   そば所と
     人はいふ也
         赤蜻蛉

 再び、街道を渡り「小丸山公園」に足を運びます。公園内の「一茶記念館」に行くと、休館日で入館はかないませんでした。
記念館前にやはり句があります。五重塔などのてっぺんについている「九輪」という金属製の装飾に形が似ているのが名前の由来。寒くてやせた土地なので、その数が少ないと自虐交じりに詠んだ俳句です。山登りで見たクリンソウは2~3段止まりしか見たことがありません。
   九輪草
     四五輪草で
        仕舞けり




 館を半周したところにも「一茶さん」の童謡歌碑、句碑がありました見逃す人も多いのではないかと思われる場所です。そこらの雑草のように生えるヨモギ(餅草)の若芽を摘んで草餅にしよう、有難い世になったものだなぁとなりますか?ちょうどこの頃、弟との間の財産相続争いも一段落し、何よりも28歳という24歳も若い妻を娶り草さえ餅に変える程の幸せの絶頂期。なんともめでたい句ではあります。
   おらが世や
      そこらの草も
          餅になる
          
 公園の中をウロウロ。ひょろ長い石の句碑を見つけました。五尺(約150cm)も降り積もったみすぼらしい家で人生の最後を迎えるのか、なんとわびしいことか。他にも公園内や俳諧寺の内部にも「山頭火」など沢山の句碑や句がありますが今回は割愛します。
   是がま阿
     ついの栖か
         雪五尺

 一茶記念館の後ろに「俳諧寺」があります。お寺というより庵といった方がいいように思う静かな佇まいです。横には一茶の旅姿の像があり、その隣に句碑もありました。
   初夢に
     古郷を見て
        涙かな



 俳諧寺の裏手に「一茶の墓」があります。訪れる人はわずかなのでしょう静かに眠ってござっしゃいます。中央の高い墓石が一茶の墓です。

 信濃町にある一茶の句碑は、昭和50年(1975)以前は4つだけであったが、平成24年(2012)6月一茶記念館刊『一茶』17版によると、同書発行時点で116基あるとされていますが、個人で建てたものも含めてか、歩いて見つけたものはそれほど多くはありませんでした。
最後に載せてなかった句碑を2,3載せて終わりにし、次の同じ町内の「野尻宿」へ向かいます。
”酒土瓶 茶どびんも出る こたつかな”

”はつ瓜を ひっとらまへて 寝た子哉”

”涼風や 何食わせても 二人前”四人目の子どもを産んだ嫁「きく」の産後の肥立のよいのを祝った句です。
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コメント
柚月さん
柚月 さんのコメント
2021.7.10 18:19
姨捨山人さん♪ こんにちは(#^-゜#)v

一茶の句って境遇を知ると、うれしいであろう句であっても
憂いを含んでいるように思えてしまします。
立派な句碑ではなくてそこいらの河原の石かな?と思えるような石に
彫られているところに庶民的で親しまれた人なんだろうなぁと想像します。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.10 19:01
柚月 さん
こんばんは!
柚月 さんの言う通り句の底に何とも云われぬ淋しさや、優しさなどないまぜになっていると私も同感です。
彼の行った先々に句碑があるのは、素直に優しい句を皆さんが愛している証拠のような気がします。
1人がいいねと言っています
チャコさん
チャコ さんのコメント
2021.7.10 16:37
立派な御影石のようなものではなく、どこにでもありそうな石に刻まれている句詩がいいですね。
どの句も一茶の優しさがしのばれます。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.10 19:48
チャコ さん
コメント有り難うございます。
一茶の句碑は河原に転がっているような石に刻まれているのがふさわしいと私も思います。
一茶の最初の妻「菊」の句に
   我が菊や
     形にもふりにも
          かまはずに
があります。24歳も下の菊を優しく見守っている一茶が目に浮かびます。
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雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.7.10 13:38
この石碑の石 見つけるのも大変だったのではと思えるようなものが
多々ありますね~(^^♪
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.10 14:30
雪豹 さん
こんにちは。
最近、特に息切れがひどくチョットの坂でもハァハァ見つけるより体がミシミシ云っています。
自分自身の体の調子の表現です。傍から見ると80の坂を上り始めた体には見えないと人は言います。お世辞ですけれど。
1人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.7.10 12:38
小林一茶の句碑、実に沢山あるんですねー。
実は私、東海道53次歩いたとき、松尾芭蕉の句碑、あれこれ尋ね歩いたのですが、39基しか見られませでした。小林一茶の句碑、北国街道沿い、相当な数あるのでしょうね。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.7.10 13:04
しょうく さん
こんにちは。いつもコメント有り難うございます。
ブログには載せていない一茶の句碑街道筋に沢山あります。
一茶が足跡を残した地には沢山の句碑が建てられているようです。それだけみんなに愛された俳諧師の左証なのでしょう。
ちなみに、四国の愛媛県には一茶の句碑が25基あるそうです。
0人がいいねと言っています
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