姨捨山人 さん
姨捨山人さんの投稿
ゆっ~くり道草北國街道を歩く-29-1
先の「田切、二俣宿」の合宿(あいしゅく)と違って「関山宿」は妙高山信仰の「関山神社」の門前町に加え宿場町として栄えました。
小野沢の大日像が覆い屋の中に馬頭観音を従えるように1m余りのいけ込み式丸彫り像が鎮座しています。「いけ込み式石仏」についてはこの後説明します。
小野沢川を渡り北上。「泉地蔵」を直角に右に曲がるのが北國街道ですが、目の前に「宝海寺」チョット訪ねてみようとしたとき雨が降り出し、寺の前の六地蔵を撮っているとにわかな土砂降り。近くにあったガレージで雨宿り、激しい雨は雷を伴って中々止みません。
小一時間の雨宿りも小降りになったので傘をさして「宿場の中心」へ向かいます。途中小さいながらも「稚児柱鳥居」の先に石祠が祀られていました。よく扁額が読めませんが「諏訪大神」でしょうか。
妙高関山大神の碑の脇に「光華照六合」の石柱。何だろうと調べてみたところ、天照大御神を最高の神として「光華明彩(ひかりうるわしく)、六合(あめつち)の内に照(て)り」(八百万の神々の調和の光である)と称えているのだとか。
先ずは、「関山神社」に参拝。妙高山を神体山として祀る里宮とされています。境内をぶらぶら散策、切り石を積み上げた上に「妙高」の守護神搭があり、(重巡洋艦「妙高」で使用された大小の砲弾が祀られ、戦前各海戦で撃沈されることもなく、戦後インド洋で終戦処理に使われたそうです。今も海上自衛隊に護衛艦「みょうこう」があり艦長始め乗組員が参拝に訪れるそうです)。平べったい「夜具石」があったり、境内御手洗池にある亀石などあったりと、見飽きることがない。
神社南側に小さいながら「妙高堂」があり、中が暗く良く見えませんでしたが、「阿弥陀三尊像」が祀られています。説明板でご勘弁ください。
妙高堂の右手に「石仏群」集落内や妙高山中に点在していたものを26体集めてあります。平安末期から鎌倉時代の制作と言われていて、上半身のみの彫像で地中に埋め込まれたような姿から「生け込み式」「植え込み式」と呼ばれ、頭部の螺髪を欠き昔から「弥勒仏」と「阿弥陀仏」の二説があるそうです。いずれにしろ「妙高山山岳仏教」の所産であることには間違いないでしょう。
雨などによって足止めされた時間が長かったので、今日は此処までで、旧信越本線(現妙高はねうまライン)の関山駅から帰りました。
二日後、関山駅から再開。関山神社へ向かう途中、妙高小学校前に大きな五輪塔がありました。織田信長が森長可(ながよし蘭丸の兄)に越後を攻撃させた際、宝蔵院の僧兵と戦った時の供養塔でしょうか。
関、燕温泉登山道と関山神社の間に「仏足石」のお堂があります。中央に仏足、左側に舎利塔、右に仏手華判(釈迦の印相) が彫刻されています。三つの図像を刻むものは珍しく、国内唯一の作例と言われています。
関山神社の「火祭り」よろしかったら見て下さい。長くなりそうなので、2回に分けて投稿します。
https://youtu.be/ZvYueLb6l5s
関山神社でも、火祭りがあるんですね。
こういった祭り末永く続いてほしいですね。
こんばんは。
私も街道歩きで初めて知りました。関山神社の火祭りは、どうも他の火を使う火祭りとは違うようです。
御神体の火山である「妙高山」と火祭りが関係しているように思います。確証はありませんが、そう考えています。
妙高山信仰から生まれた祭りで1,200余年の伝統を誇る関山神社火祭り、言われる通りいつまでも続いてほしいものです。