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殺人

いのうえさん
いのうえ さんのブログ[カテゴリ:人権とは
2021.8.14 8:02
殺人は、何故悪いのか、Quoraで何度も回答している。その一つが下記。

この世のものごと、人がかかわる事象の全てに、善悪という基準はありません。

真偽や正義も含めて、言葉や概念は、人が社会生活の必要からつくりだした道具にすぎません。道具なので使い方を間違えれば不便になります。

さて、殺人とはどういうことかです。

すべての殺人は、その件だけの固有のいきがかりや歴史があります。
殺人には、それに至る過去の歴史があります。
たとえ、行きずりの通り魔殺人でも、そこで出合うまでの経過があります。
当人たちのこころの遍歴です。

人は未来に生きることも、過去に生きることもできません。
過去を引きずっているとしても、意識が知覚できるのは、表面の一部だけです。

人の生は、それほど確かなものではありません。
人は自分やおのれが何であるのか、ほぼ無知です。
多くの人は知っていると自惚れていますが。

人にあるのは、今、この瞬間だけ、はかない存在です。
ある意味、無実で投獄された死刑囚のようなものです。
ある日、突然に、死刑が執行されます。死です。

人は正義や真理を保持している立派な存在ではありません。
とても弱く、はかなく、哀れな存在です。

例外なく、すべての人は同情に値するものです。
人としての限界の中で、あくせくしながら、あがきながら、
よくやっていると褒められてもいいのです。

人として生まれ、誰もが、極悪人になることも、
聖人になることもできます。

また、誰もが、殺人者にも、被害者にもなれます。

人生で善行を重ねても、それで善人になれる訳ではありません。
殺人者になる可能性すらあります。

誰もが、極悪人になれるのが、この世です。

もし、殺人者にならないで一生を終えることができたら、
稀有な幸運を与えられたのだと、自慢してもいいでしょう。
当人の努力やこころのあり方だけで、幸運を得ることはできないでしょう。

殺人が悪いのは何故か。
幸運に見放されたからでしょう。
あるいは、不運に見初められたからかもしれません。
酔どれアンコウ 1人がいいねと言っています
コメント
おーさん
おー さんのコメント
2021.8.14 11:25
誰もが、殺人者にも、被害者にもなれるからといって、同じ境遇であっても、誰もが殺人者になりません。
誰もが、殺人者にも、被害者にもなれるけど、そのほとんどが殺人者にならないのは、その意思決定をしないからです。
それを自分に認めたら、他人にも自分の命を任せなくてはなりませんから。
1人がいいねと言っています
酔どれアンコウさん
2021.8.14 9:11
おはようございます
引用させて頂きます
⚫︎>>善悪という基準はありません。
真偽や正義も含めて、言葉や概念は、人が社会生活の必要からつくりだした道具にすぎません。<<

⚫︎>>人は正義や真理を保持している立派な存在ではありません。<<
この2点は若い頃からの私の生き方です、否定されても頑なに凝り固まって居ります(^^)
じゃあ何を基準に生きているのだと問われます、それは
『自分がソレを好きか嫌いか』それだけが判断基準です、
このツールは私には、実に有効です、理由は不変的でないからです、
自分の能力、時代背景に呼応出来るから、
言ってみれば生物遺伝子とほぼ同じ進化が可能です、突然変異も勿論あります(^^)

殺人は何故いけないか?
についても、社会通念を必要としません
「嫌いだから」です。
でも好き嫌い判断はときとして組織行動からはみ出てしまう難点があります、ありました、
会社勤めも長続きしませんでした、それでも何とか合計25年は厚生年金の加入期間があり
ギリギリセーフの年金生活者ですが
実に清々しい生活を送って居ります。(^^)
1人がいいねと言っています
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