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北國街道東脇往還(松代道)を歩く-プロローグ①

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.10.1 16:36
 ゆっ~くり道草北國街道を歩くの最終回出雲崎がどうしてもアップロードできません。少し先の話を投稿しますがご容赦ください。

 松代道を歩く前に、歴史を遡り、古墳時代から始めようと思います。矢代宿が出来るずーっと昔、この地に「科野(しなの)のクニ」がありました。この地を治めていた王の墓が、治めていた地が一望できる尾根の上にあります。後世の人はこの墓を「森将軍塚古墳」と呼んでいます。

 東日本最大のこの前方後円墳は全長100Mの尾根に沿った曲がった後円墳で仁徳天皇陵(大仙古墳)のような整然とした墳墓ではありません。これほどの規模の古墳は大和朝廷との密接な関係があると思われます。

 ここ「科野(しなの)の里歴史公園」には有明山麓に広がる歴史公園。園内には古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する森将軍塚古墳館、長野県立歴史館。(館の下からも土器など出土)などの史跡や「科野(しなの)のムラ」の住居跡の復元が見られます。

 今日は「科野のムラ」から「森将軍塚古墳」を見に行きます。ムラには数軒の竪穴式住居、高床式建物が見られます。田んぼにも数種類の古代米が栽培されています。




 ムラを見学した後は1km先の「将軍塚古墳」へ向かいます。ゆっくり車道を歩いて20分程です。古墳見学バスも運行されています。途中に説明板、休憩広場があります。歩くのがおすすめ。健脚向きには途中2か所ほど急登の近道もあります。マムシ、蜂、猪に注意してください。


 到着です。まず4号墳の上から「将軍塚古墳」の全体像を見ます。写真でチョット見には曲がっては見えませんが実際には尾根伝いに20°曲がっています。判読できないと思いますが、説明板を撮りました。



 古墳の前方部から石段を登ります。周りには大きな三角の穴の開いた朝顔形埴輪、円筒埴輪、家形埴輪が並べられています。出土した埴輪を忠実に複製したものだそうです。夜、埴輪の中にろうそくを灯したら幻想的だろうな、などと妄想しています。前方部は後円部に向かう通路、又は儀式の場所ではないかと言われています。説明板あり。






 石段を登って後円部へ行きます。中央の石で四角く囲まれた所は竪穴式石室が設けられ、王が埋葬されていました。石室は特に大きく、床面積は日本最大と言われています。石室は発掘当時そのままにここに埋め戻されています。
説明板と後円部の一段下がった埴輪を巡らせた先端部。




 この墓に眠る王は治めていたクニを一望できるこの高台に静かに眠れているだろうか。この墓に眠る主はどんな王だったのでしょうか。

 他にもこの地域には周辺や尾根づたいに7世紀までに築かれた円墳は13基で子孫とみられ、また、古墳の裾や前方部には小さな石棺64基、埴輪棺12基が埋葬されており古墳の被葬者に仕えていた者とみられています。
 主なものは、「森将軍塚古墳」の前方ある2号墳(円墳)には、男女二人が一緒に埋葬されていました。ハチの巣があり通行止めキイロスズメバチが飛んでいます。将軍塚古墳の上部にある有明山には「有明山将軍塚古墳」。古墳時代の初めに造られた前方後円墳、長さ37mほどの墓で、前方部、後円部どちらにも段築が設けられていたそうです。説明がないと、単なる小山です。


 ついでに「有明山山頂(651.8m)」へ。眺望は望めずただ登っただけ。車道を下り「科野のクニ」を通過して「森将軍塚古墳館」へ。ここで予備知識を得て森将軍塚古墳へ行くもよし、森将軍塚古墳を見てから訪れるもよし自由にどうぞ。

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コメント
チャコさん
チャコ さんのコメント
2021.10.3 0:52
科野(しなの)が信濃になったのでしょうか。 諏訪地方には黒曜石がいまでも出土したり、埴輪の博物館もありますが、有明にこれほどの規模の古墳があるとは知りませんでした。 青森の三内丸山遺跡で縄文の風に吹かれたいと長っているのですが、最早かないそうもありません。 
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.3 19:04
コメントありがとうございます。
長野県は筑摩県(松本伊奈地方)と長野県(長野上田地方)が合併して長野県になりました。実際にはもっと細かく廃藩置県の頃は伊奈県とか、中野県とかもっと細分化されていました。
科野が信濃になったかは定かではありません。

唯一黒曜石の産出する長野県はほかの地方との交易も盛んだった事でしょう。交流を通して色々な所の知識や文化をわがものにしたと思います。
 明日も良い日が訪れますよう・・・。
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コキリコさん
コキリコ さんのコメント
2021.10.1 20:47
こりゃ変わった古墳ですねー。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.1 22:30
曲がった尾根を削り作ったものですからこんな形になったのでしょう。
前方後円墳の上に登れる古墳は貴重だと思っています。王の墓はこの古墳に埋め戻されています。天皇陵の上には登れませんもの。
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topkatさん
topkat さんのコメント
2021.10.1 18:54
姥捨山人さん、こんにちは。

Wow 素晴らしい景観の 壮大な古墳群!
まったく知りませんでした。

これだけの規模があるということは、当時、かなりの勢力を持った豪族が代々権力を握っていたというとでしょう。
時間はもちろん、人手も相当なければならないし、人が集まれば住居や食料の確保、社会制度の確立、教育や技術なども受け継がれた高い文化があったのだなと思うと、とても興味深いです。

円筒埴輪や家形埴輪は富や権力を現わすものでしょうか・・、朝顔形は何なのかしら?
それとなく中国の古墳のコンセプトにも似てるように思います。

最近テレビで見ましたが、建設現場の地中に発見された32tの花崗岩、最後の氷河期にスウェーデンから流れついたものとか、テーマパークに移動するのに細心の注意と最大のクレーンやトラックの出動で、今の時代でも大変なものでしたよ。
大昔の人達、いったいどんなものだったのか・・、想像もつきません。

単なる小山もこんな歴史を秘めてるのですね。
知ると知らないとの違いってとてつもなく大きいのに気づきます。
なんだかボンヤリしてられない気がしてきました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.1 22:26
以前から何度か訪れている古墳群ですが、どちらかというと学習というより
足腰の鍛錬です(^_^)

一生のうち知ることのなんと少ないことか。さしずめ私自身は群盲、象を撫でるだけだと思っています。
昔の埴輪は壺(つぼ)とこれを乗せる台(だい)からなっていましたが、次第にくっつき、以前の形が忘れられ朝顔形になったと聞いたことがあります。
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しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.10.1 18:50
山などがあって、きれいな墳丘は作りにくかったのでっしょうね。
大分前にこの古墳について書かれた本を熱入れて読んだのを思い出しました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.2 8:40
余り高くない山の中腹に自分の治めたクニを見渡せる場所に墓を作ってもらった王は住民には良い王だったのでしょう。山に石を持ち上げる労力を惜しまなかった尊敬できる主だったのだろうと思っています。
それにしても、しょうくさん勉強家でいらっしゃる。
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雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.10.1 17:05
このような場所が日本にもあるのですね〜
全く知らない世界です。
整然と整えられていますね(^^♪
お疲れさまでした。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.1 22:06
有り難うございます。
このブログがアップできるのに「出雲崎宿」がいまだにアップできず困っています。
1人がいいねと言っています
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