メニュー
ゲストさん
姨捨山人さんの投稿

ゆっ~くり道草北國街道を歩く-43-1

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.10.3 6:53
 今の軽井沢、中山道追分(分去れ)から北國街道は始まり、善光寺を経て越後の城下町高田迄。加賀藩の参勤交代の道は高田から加賀街道に分岐します。又、高田からお金荷街道と言われる道は金銀が佐渡から対岸に控える出雲崎までを北國街道とするのが一般的ですが、高田までが北國街道 いや、高田からは奥州道と諸説あるようです。

 信濃から辿った私は北國街道の終点は出雲崎宿としますが、佐渡、出雲崎からすれば高田宿、善光寺、追分宿から中山道を通り江戸に向かう出発点は出雲崎宿になるのでしょう。

 徳川の屋台骨を支える金銀は50km沖合からこの出雲崎に運ばれる。海と丘陵に挟まれた狭い土地に800軒もの街並みは当時から圧巻であったでしょう。

 石地宿との境を越え、遠くに佐渡島を見ながら天領の里出雲崎(代官所が置かれた直轄地)へ。家はまばらですが「勝見」地区に入ると右手に「源九郎稲荷神社」(勝見稲荷堂)。社名の「源九郎」は「義経千本桜」に出てくる源九郎狐のこと。奥州に落ち延びる義経を守ったことで知られ、義経の名「源九郎」を与えたことが由来となっています。

 源九郎稲荷神社の写真の左にチョコット見えるのが「法持寺」。参道に妊婦の安産を守護する「子安地蔵尊」。こんな大きなものは見たこともない米山信仰米山さまの「米山塔」。塔にコモを巻いて腐ったり傷ついたりするわけでもないのに冬囲いをする地域もあります。
「大切なものは目に見えない」と星の王子さまのきつねが言うように、冬囲いをする人の信仰心、心もキツネの言う目には見えないけれど大切なものだろうと隣の源九郎狐もうなずいていることでしょう。


 国道352号線を進むべきか、長ったらしい名前「いずもざきゆうひラインきょう」漢字で書けば「出雲崎夕日ライン橋」の手前の「北國街道」とおぼしき右の脇道を進むべきかハムレットの心境です。
優柔不断な姨捨山人、意を決して右の脇道を登ります。
登り切った所に我が故郷の「官軍松代藩士の墓」。出雲崎を旅立つ人は、ここで家族、友人に別れを告げます。なので「旅立ちの丘」と呼ばれています。
この周辺は地滑りが多く、地元では「蛇崩れの丘」とも呼ばれているそうです。藩士の墓の隣の碑は、「良寛出郷」の碑です。良寛の書が刻み込まれていますが、浅学の身、読めませんでした。

 言い訳ですが少し離れて良寛の讀孝婦碑もありましたが書いてある文字が薄く全く歯が立ちませんでした。


 「旅立ちの丘」を下るとそこは北國街道の「獄門跡」来た道は間違っていませんでした。ほとんどの方は「いずもざきゆうひラインきょう」の西詰から「獄門跡」へ回るようです。
長閑な田園風景の道を進みます。突然周りの空気が変わります。予告編みたいに「出雲崎代官所獄門跡」の標柱。すぐ先に獄門跡、一番奥へ進むと「尼瀬獄門跡」の説明板。周りを見ると小さな地蔵堂や供養塔が見られますが、まだ異様な空気は消えません。
良寛は、名主見習いの時、首切りの立会いが嫌で、出家の動機とも言われる。




 旧街道だと確信を持った「北國街道」の木標、距離が書いてある側を逆方向ですが撮りました、木標の上部の石の乗ったミニ屋根は昔の漁村を思い出させます。反対側には歴史街道推進協議会の主催により発表されている探索ルートの総称である「歴史国道出雲﨑宿」の文字。旧街道を進み小川に架かる「あらやばし」を渡ります。やたら「北國街道」の文字が目に飛び込んできます。



 先には桝形でしょうかクランクの道を進もうとしましたが、鉤型に曲がった先の細い小路のブロック塀に案内板「綱掘式石油井戸C-2号」があったので見に行きました。夕方の為井戸の櫓はシルエットになってしまいました。
手掘りから機械掘りになった記念塔でもあります。今は役目を終えましたが最初の頃は日産16,910Lでした。


 小路を戻りクランクを先に進みます。出雲崎の「妻入りの街並み」です。妻入りとは、切妻側面の三角形の壁面方向に出入口を設けこれを正面とする建築様式のこと。出雲崎の案内には「この妻入りの街並みは全国的にも珍しく、訪れる人々に安らぎを与えてくれる光景であり、末永く後世に伝えていきたい光景です」と決意を述べています。
海岸線に沿った3,6kmに及ぶ「妻入り」の家並みは、北國街道の名残であり当時の面影を今に伝えています。
馬籠、妻籠、奈良井宿のようにいつまでも私たちの心の故郷であってほしいと思いました。


 妻入りの街並みを歩きます。とても静かな街並みです。後で聞いたところ空き家の家も最近は多いとのこと変に納得しました。右手の道の奥まった所に竹の柵に囲まれた「出雲崎代官所跡」の碑。そのまた奥に「出雲崎小学校跡」「出雲崎中学校跡」空き家と同じ淋しい気持ちになりました。



 歩いていると所々に町による心遣いがあります。ここは歩き疲れた観光客のチョットした休憩所。トイレの「厠」も懐かしい。若い人がトイレだとわかるかな?

 街並みのあちこちにある「辻行灯(つじあんどん)」は夜の街道をロマンチックな気分にするでしょう。

 何時もあるわけではないでしょうが、東京芸術大学大学院の生徒さんの「出雲崎の街並みスケッチ画」が観光客を楽しませます。
 地元の方が、街並保存運動の一環として、夏休みに芸大生を招待し「妻入りの街並」を描いてもらい、そのスケッチを地元に残してもらえないかと、芸大の事務局長さんへ提案がなされました。
当時日本画科主任教授の平山郁夫先生(後の芸大学長)から「作品を地元に差し上げるのであれば、参加者は大学院生に限るべき」と提案され、芸大日本画科院生の皆さんによる「出雲崎街並スケッチ合宿」が始まりました。昭和62年夏から現在まで、192点の作品が描かれ、町の大切な宝物となっています。


 旧街道を忘れ脱線してしまいました。最後の宿場と思うとなかなか去りがたく未練がましくぐずぐずしています。
信々亭ホテイランゆりかもめしょうく飛翔コキリコゆりのき彦左tetsu柚月 22人がいいねと言っています
コメント
柚月さん
柚月 さんのコメント
2021.10.3 11:35
>妻入りとは、切妻側面の三角形の壁面方向に出入口を設けこれを正面とする建築様式のこと
この地方の気候、風土にあった建築様式で珍しい街並みの風景ですね。
残していただきたいとは思いつつも維持してくにはそれなりの大変さや不便さがおありでしょうね。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.3 20:17
よそ者の私もそう思いますが、ほんと、柚月さんの言う通りです。
妻入りの街並みも櫛の歯が欠けた跡にモダンな家が後を埋めています。

もう少しで終わります。御読み頂けたことに感謝します。有り難うございました。
1人がいいねと言っています
コキリコさん
コキリコ さんのコメント
2021.10.3 8:37
あまり知られていないが、いろいろ見どころ満載ですね。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.3 20:08
いつもコメント有り難うございます。
夫々の土地に、それぞれの人達が一生懸命生きているのを肌で感じた旅でした。未だこの旅も終わってはいませんが、これからの一生も死ぬまで旅だと思っています。
知らないことが一杯で、若い頃からもっと勉強しておくべきだったと悔やんでいます。
1人がいいねと言っています
雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.10.3 8:10
これだけ貴重な石碑などを守るのも大変ですが、地本のみなさんはよく守られて
来たものだと思います。
廃村の所もあるでしょうけど、遠い昔を偲べるものがあるということは、
素晴らしいとしか言えませんね(^^♪
去りがたい気持ちよくわかります(^^♪
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.3 20:01
やっと四苦八苦しながらアップすることが出来ました。有り難うございました。
歩いて感じることや歩かなければ見えない風景を見ることが出来ました。
皆さんに読んで頂けたのが励みになりました。

明日も良い一日になりますよう・・・。
1人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.10.3 7:55
出雲崎、大分前に行ったきりで、記憶もだいぶ薄れてます。
それに、すっかりあれこれ変わっている感じを受けました、そう、わたしが行ったのは、まだ昭和の時代でしたから無理もないですね。
貴重な風景ありがとうございました。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.3 19:55
そうですね。昭和の終わりからもう32年ですか?
1年もたたないうちにすっかり変わるこ事もあります。私も何年も東京へ行っていないので今浦島だと思います。
喜んで頂けて此方こそうれしいです。
0人がいいねと言っています
人気記事

Slownetの公式SNSアカウントをチェック!

ボタンをタップしてフォローしてね!