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北國街道東脇往還(松代道)を歩く➝松代宿-①

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.10.14 15:02
 みなさんに読んで いただくために、魅力ある文章を書かなければいけなかったのですが、 前回などとても読んで頂けるようなブログではありませんでした<(_ _)>

 松代宿は真田10万石の城下町です。北国街道東脇往還(谷街道)の街道沿いは他の街道筋とは違い、当時を知る手掛かりは少ないですが、城下町の魅力を少しでも伝えられたらと思います。

 林正寺からもと来た道を戻ります。街道を歩いていると、何故ここにあるのか不明の「南無妙法蓮華経」と書かれた髭文字の名号碑、「新馬喰町公民館」前に移設されたであろう道祖神、天神社の祠が祀られていました。


 「馬喰町」に入り「神田川橋」手前に浄土宗「直得山見性院大信寺」。山門前には徳本上人の六号名号碑、山門をくぐるとお地蔵さん(隣に六地蔵さんもおわします)がお出迎えします。この地蔵さんの故事来歴が「松代の民話」の説明板に記されていました。色々な所にある「雨乞い地蔵」のお話。ここでは、縄で縛って千曲川にドボン。




 神田川を渡り、左手に町文化財の「柏屋宮沢家住宅母屋」があり、妻側が通りに面し、間口に対し奥行きが深く、二階戸袋の二重額縁、一階下屋根の白漆喰、デザイン化された熨斗瓦などで近代的な外観が優れています。

 紙屋町の丁字路を案内板に従って「松代城(海津城)」方面へ左折します。突き当たりは「松代藩文武学校」があり、手前左には「真田勘解由家主屋」。初代藩主真田信之(信幸)の第二子信正と京の小野園子の間に生まれた信就(のぶなり)、通称勘解由信就を始祖とする家。
途絶えていた八橋流筝曲を少女時代に習い覚えた記憶と譜本をもとに八橋流筝曲を復興、伝承者となって保存に努めた「真田志ん」(国の無形文化財保持者)を輩出しています。


 右側には「旧白井家表門」。白井家は、松代藩の中級武士であり、真田家家中明細書によると、高百石、元方御金奉行、御宮奉行などを勤めました。
門部は太い槻(つき・欅)の角材でつくってあります。間口が20m余の長大な門で、背面に3つの居室部があり、白井家の家臣などが居住したとみられ、門に住宅が続いているのも珍しい例といえます。浅瓦葺(さんがわらぶき)の大型な長屋門は、松代藩では、天保期から多くなりますが、それ以前には茅葺の門が一般的であったようです。長大な間口に対して、屋根を低くおさえ、正面は間口の左右に出窓と与力(よりき)窓のみの単純・構造で意匠性に優れています。松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものです。
見学無料、茶葉の接待もあります。有料ですが近辺の施設のガイドもしています。写真は長屋門と家臣の居室部です。


 江戸時代初期、信州上田から移封された真田信之(幸村の兄)が初代松代藩主となり、真田家10代・250年にわたる城下町「松代(まつしろ)の礎を築きました。
信濃最大の藩として繁栄した松代藩。当時をしのばせる文化遺産が点在する中の一つ「松代藩文武学校」。入り口の表門は、冠木門でその姿から地元では「黒門」と呼ばれ親しまれています。門の表裏です。



 学校の内部を散策します。門の脇の「番所(学校を警備する門番がいた場所)」を通ると正面に「腰掛」の建物。藩主や重臣がやってきた際、そのお供が主人の用事が済むまで待っている場所「供待(ともまち)」とも呼ばれています。
番所の隣は「柔術所」かつては全面に畳が敷かれ格闘術の稽古が行われていましたが、幕末には戊辰戦争の影響もあり、銃器や弾薬の製造所になりました。今は「火縄銃」「スペンサー銃」「臼砲」の発射体験コーナーになっています。


 門の右側には「剣術所」。校内唯一の入母屋、破風つきの屋根を備え、入り口に相応しい格式高い建物です。藩では「槍術」「砲術」と並んで盛んでした。記録には長州藩の高杉晋作がやってきたと記されています。

 その隣には「東序」。序とは教室のことで、東所では「軍学」「儒学」の講義、歴史や医学などが教えられていました。「西序」と対をなすように配置され、二階建てとなっています。
西序は時代を反映して教室から武道所に改築されましたが、東序は一貫して学問を教える教室として使われたということです。写真は「西序」です。

 「西序」の奥には「弓術所」武器としては鉄砲や大砲の方が有利ですが、礼儀作法を重んじる弓術は松代の武士にとっては特別の武芸でありました。

 文武の両道を教える理念の学校ですが、生徒たちは学びたい授業を選択、指導者も選ぶことが出来ました。現在も剣道、弓道、古武道の大会にも使われています。
槍術所は槍の道場で、長い槍の稽古が出来るよう天井が高くつくられています。訪れた日は槍の稽古ではなく、真剣による剣術の稽古が行われていました。

 文武学校で一番大きな建物「文学所」は教室、又大勢が入る講堂として使われました。建物の西半分は「事務所」として使われ、一番西側の奥の御居間は藩主が来た時の控室やお客様が使用する特別な空間でした。建物の中ほどには台所があり事務方や指導者が食事をとっていました。
順次、役人が文武学校の運営事務をしていた「事務所」。教室では障子に影絵やビデオを投射して、見学者に説明していました。
一番奥の御居間では質素な当主の座で記念撮影が出来ます。お出かけの際は殿様気分に浸ってみては。





 次回は、真田邸(新御殿)、海津城(松代城)などを周(めぐ)ろうと思います。
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コメント
四つ葉さん
四つ葉 さんのコメント
2021.10.14 20:38
こんばんは ☆彡

いつも思いますが
昔のテレビ番組「街道を行く」や「新日本紀行」を連想しちゃうブログだと感じています
どこか懐かしくてためになる♫
(*^^*)

十万石の当主の座
気分味わってみたいです
*\(^o^)/*
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.15 16:59
四つ葉 さん
お読み頂き嬉しいです。地元に居ても、中々ジックリ見る暇はあまりないですが、少しずつ時間を見つけて歩いています。
私自身、知らないことがあまりにも多いことにビックリしています。
今後も可能な限りお読み頂ければ嬉しいです。
1人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.10.14 18:56
松代藩なるほどと思わせる学問所などなどですね。
ゆっくり眺めさせていただきました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.15 16:51
しょうく さん
こんにちは
有り難うございます。再建された建物が多いですが雰囲気だけでも感じて頂ければ嬉しいです。
しばらく松代宿に留まり新旧取り混ぜて歩いてみたいと思っています。
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雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.10.14 17:11
魅力あるブログですよ
街道の様子がよくわかります。
ひとりですと、自分の思う通りのところへ眼を向けられるので時間を
気にせずゆっくりな旅となりますよね。
それがブログの魅力ともなっています(^^♪
お疲れさまでした。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.14 17:41
雪豹 さん
もうこんばんはでも可笑しくないほど日が短くなりました。
「いいね」して下さる方も面白くないブログで少なくなって落ち込んでいました。
たった一人でも読んでくださる方がおりましたら続けたい気持ちになりました。
有り難うございます(人''▽`)ありがとう☆
1人がいいねと言っています
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