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北國街道東脇往還(松代道)を歩く➝松代宿-③

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.10.21 16:49
 松代城は松代宿の一番北に位置します。その先は天然の要害でもある千曲川になります。城を後にして、散策しながら街道の反対側、南を目指します。

 南に向かいながら「真田公園」傍の「真田宝物館」へ寄り道しました。内部の写真はありませんが、国の重要文化財「青江の大太刀」、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、石田三成らの書状など、貴重な資料を年4回展示替えしています。

 町の中心を通る街道を横切り、角の宮坂醸造の道を南に向いて進みます。左手の奥に「旧横田家住宅」があります。中級武家屋敷の典型的な間取り、構成を残しており国の重要文化財に指定されています。

 横田家は、官営富岡製糸場へ伝習工女として学んだ(「富岡日記」で知られる)和田英(えい)をはじめ、幕末から昭和にかけて秀雄は大審院長、その子正俊は最高裁判所長官、秀雄の弟は鉄道大臣など多くの人材を輩出しました。

 屋敷は1.000坪ほどあり住宅は長屋門、一部二階建ての主屋、隠居屋、土蔵、遠山を借景とする庭園、庭を流れる泉水などが見られ江戸時代当時の暮らしぶりが身近に感じられます。
主屋と隠居屋。母屋と一体でありお互い行き来出来、隠居屋は8畳の座敷と6畳の居間、板の間は勝手で囲炉裏がしつらえてあります。現在の二世代住宅でしょうか。


庭園と勝手と勝手前の泉水、鍋、釜を洗うのに利用したのでしょう。



 もと来た道に戻り、所々に武家屋敷を模した家々の間を抜け、歩みを進めます。間もなく右手の道を曲がると幕末に活躍した「佐久間象山記念館」と象山神社にたどり着きます。地元では象山(しょうざん)ではなく、「ぞうざん」と濁って呼ばれ親しまれています。


 江戸木挽町に塾を開き、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本左内など維新の英才を輩出。松陰密航に連座し投獄、後、故郷松代に七年間蟄居、その間、高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎、山形半蔵らが訪れ激論を交わし、象山の学識に感動し去りました。
元治元年幕府の命を受け京都に上り、将軍家茂、慶喜、山階宮、中川宮に「公武合体開国」を説いて活躍中、三条木屋町で凶刃にたおれ、尊皇開国の捨て石になり最期を遂げました。
その後四年して明治維新の世を迎え、象山の尊皇開国という憂国の至情がそのまま具現されました。

 象山神社の鳥居をくぐり、左手の象山生誕跡地を見に行きます。残っているものといえば井戸ぐらいで、京、木屋町の加茂川べりの一戸建てに住んでいた家を煙雨楼と名付けていたものを京都象山会の好意でこの地に移築「煙雨亭」と名付け往時をしのびます。




 拝殿の右横には御神木の色づき初めたイロハカエデ、その隣には国元蟄居の折、来客と時勢を論じた「高義亭」があります。


 神社を出てさらに南へ向かいます。山の中腹に「竹山随護稲荷神社」が祀られています。江戸藩邸にあったものを松代城➝敬明寺➝この地へと還座したものです。


 先に大きなお屋敷の塀が見えます。それもそのはず、松代城下では最大の長屋門形式の表門の「山寺常山邸」(国登録記念物)です。
知行160石の中級武士の家格で、寺社奉行、郡奉行などを務めました。知らなかったのですが松代では、佐久間象山、鎌原桐山と共に松代の三山と称えられているそうです。
表門と渡り廊下でつながる近代和風建築の書院。池(泉水)のある庭園が残されています。表門は無料休憩所やトイレ、書院は多目的に使える和室、庭園は散策できるように整備されています。



 道路から一段下がった所に、黄檗宗(おうばくしゅう:開祖隠元禅師)」象山恵明禅寺。3代藩主「真田伊豆守幸道」により造営され藩主作の布袋和尚像が安置され、伊予宇和島藩主伊達宗利の娘「豊姫」の御霊屋、墓所(幸道の正室)があります。
松代を中心に「森地区」などのアンズ(杏)の栽培が盛んなのは、故郷を忍ぶため豊姫が持参した杏が始まりであると伝えられています。




 山寺常山邸、恵明禅寺の背後にある真鶴山、皆神山、象山に地下壕があります。一般には「象山地下壕」と言われています。第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに大本営、政府機関、皇居、皇族住居、賢所、日本放送協会(NHK)、中央電話局(電電公社)などを移転する大工事が極秘裏の内に企画されました。

 上の写真の外観は今風ですが、奥にある「スペース六考舍」は和田英らが活躍した「六考舍」の建物を一部建築再生したものです。「もう一つの歴史館・松代」から学び、考える空間として利用されます。

 ヘルメットをかぶり、地下壕に入ります。入り口からしばらくは高さが低いですが、次第に広く高くなります。所々格子で閉ざされた坑道(支道)が幾つもあります。これは碁盤の目のように張り巡らした地下壕の一部だからです。





 ここが見学の最終地点、約1kmの行程です。象山地下壕の総延長は6km、舞鶴山地下壕は2.6km、皆神山地下壕は1.9Kmであります。皆神山地下壕は現在気象庁松代地震観測所として使われています。旧ソ連の核実験の震度を感知する程の高性能観測所です。


 街道筋の話から外れた話になりチョッピリ後悔の念はありますが、知られざる戦争末期のお話をさせて頂きました。
 計画は7、8分通り進みながら、ポツダム宣言受諾により工事はそのままになり、資料も焼却処分になったと思われます。戦後地元の私立篠ノ井旭高校沖縄選研究班(現長野俊英高校郷土研究班)の働きにより、市などを動かして、見学、整備、研究が進められています。「長野俊英高校郷土研究班」で検索してみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=Qe2fCsBD0Rw
 興味がありましたら、海軍が進めていたもう一つの「天理の大本営跡」なども見て頂きたいと思います。今思えば狂気の沙汰としか言いようがありません。此方も「天理の大本営跡」で検索して見て下さい。
http://web1.kcn.jp/sizinkyo/yanagimoto.html
https://www.liveinpeace925.com/action/yanagimoto_fieldwork.htm
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コメント
topkatさん
topkat さんのコメント
2021.10.22 6:06
姥捨山人さん、こんにちは。


今回もまたズッシリと読み応えのあるブログをありがとうございました。
興味深く読ませていただきました。

表現の仕方は拙いですが・・・、昔学校で習ったうろ覚えの歴史の数々の点が、このように現場の写真を見ながら、いろいろそれぞれの関連性を知ることによって、線で繋がってきて形作られてくるというか、画が見えてくるという感じがして、歴史を学ぶことも楽しくなりますね。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.22 6:54
topkat さん
お早うございます。
脱線に脱線を重ねたブログですが、意をくんでお読み頂いている様子が目に浮かび、心が温まります。
私自身、知らないことが多く勉強しながらの散歩ですが、楽しんで歩いています。
0人がいいねと言っています
雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.10.22 5:22
素晴らしい道程でしたね。
名所旧跡しっかり歩かれて、その結果をこうして書き進めるということは
誰でもができることではありません。
いつも拝読していてその意欲に最敬礼です。
寒くなりますから、お体にはくれぐれもご留意ください。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.22 6:48
お早うございます。
いつもお心遣い感謝です。最近、急に寒くなりました。着替えの厚手の服を持ち歩いています。
何とか、雪の降る前に、もう少しなので歩き通したいと思っています。文は下手ですがじっくり読んで頂いているようでうれしいです。
1人がいいねと言っています
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