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北國街道東脇往還(松代道)を歩く➝松代宿-➃

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.10.25 19:19
 松代町には寺が多い。私が、ざっと数えただけでこの狭い地域に寺院は42寺もあります。その寺々では長い歴史とその時代に依った各方面へのゆかりを持っています。
仏像、建築物、寺宝や文書。それにドラマチックな伝説、松代の証拠となるものを内に秘め静かな佇まいを見せているのが松代の寺です。

 象山地下壕を後にして、東寄りの寺が多く集まっている道を今度は北上します。松代から地蔵峠を越えて上田に向かう街道筋に「報恩山孝養禅寺」があります。取り立てて紹介する事柄はありませんが、境内には「おしゅん地蔵(叶うこと地蔵))」という石仏があります。


 これからは北上です。道すがら右手に何の変哲もない空き地があります。「佐久間象山蟄居の跡地」の立て看板。その空き地に仏像なぞがあると変哲もない場所が、途端に「へぇー」となります。


 右左の路地を歩いていると黄土壁仕上げの土蔵作りで長屋門の山岸家が目につきます。松真館と言って裏手に「松真舍牛乳店」がありました。松代格子など明治時代の建築様式をよく残しています。


 私が昼食をとった「寺町商家」である旧金箱家住宅。江戸期から質屋を営んでいましたが、家主が東京へ行き空き家になった屋敷を市が買い上げ地区の交流拠点として6年前にオープンしました。
表門は「薬医門」で敷地内は主屋、北の蔵、離れ、質蔵、南の蔵、学問所などの建築群、泉水路と池をもつ庭園によって構成されています。
残念ながら食事に夢中で屋敷内の写真を撮り損ねました。食い意地が張っていてお里が知れます。杏のこわ飯美味しゅうございました。




 ここ「寺町」をあちこちランダムに歩きます。町筋を順序良く廻るよう気を付けていますが、なかなかうまく行きません。
初代信之の正室・小松姫の菩提を弔う寺である「皓月山大英寺」。以前「上田宿」で、上田城周辺をご案内した折、「法泉寺」祀られていたが、信之が上田から移封された際、ここに移したと記しました。
表門は霊屋の正門として本堂と同時に造られ霊屋に相応しい豪壮な桟瓦葺き四脚門です。本堂(霊屋)は間口5間半・奥行5間は本堂としては小さいが、真田家の霊屋としては最大の大きさであります。



 寺巡りは続きます。大英寺からちょっと東に行った所に「寒松山大林寺」があります。真田昌幸(真田信之、幸村の父)の妻「寒松院」の発願で上田市房山に「大輪寺」を建立しました。没後この寺に葬られましたが、信之が移封されたので、信之は上田の大輪寺は残したまま、母寒松院の遺骸を松代に移し、一寺を建立したのが現在の大林寺です。だから、上田の大輪寺にも寒松院の墓が残り、松代の大林寺にも本堂の裏に墓が建立されています。
本堂の左手の墓地には赤穂浪士大石内蔵助の姉が嫁いだという岩崎家の墓もあります。それぞれの寺に故事来歴があり不謹慎ですがおもしろいです。


 門前の六地蔵の逸話が書かれた松代の民話の看板がありました。


 寺を離れて「旧前島家住宅」を訪れます。二代目作左衛門一之は、真田昌幸・幸村の九度山蟄居にお供したと伝えられます。江戸時代中期には300石の禄高であり、松代入封の時拝領した屋敷と伝えられ、幕末の763坪の屋敷地から今は半分ほどに過ぎませんが、棟門(むなもん)、主屋、土蔵、庭園などが残されています。


 また寺巡りに戻ります。親鸞聖人が倉科の自證院を再興して本誓寺(正式名:平林山新田院真田園本誓寺)とあらため、弟子の是信坊を開基とした古寺「本誓寺」。旧横田家から養子に出た小松謙次郎(通信の父と言われ、鉄道大臣、貴族院議員)の菩提寺(青山霊園から墓地を移築)。本尊は親鸞聖人作『瀬踏みの阿弥陀』と呼ばれる秘仏で正月3日間だけ拝観できるそうだ。


 本誓寺の向かい側に「白鳥山證蓮寺」がある。親鸞聖人の弟子西仏坊の子が開いた寺です。「聖徳太子像」を祀った太子堂、鐘楼も毎朝6時、住職によって撞き継がれています。


 山門を入ってすぐ「勝軍地蔵」があり、武士の信仰が厚かったといわれる「高安山龍泉寺」。寺宝には大きな『閻魔大王図』があり、毎年1月16日が縁日で一般の参拝がゆるされます。


 日蓮上人が佐渡へ流されたときも、ゆるされて帰るときも自分の館に泊めたという縁で自分の館「久龍山蓮乗寺」をそのまま日蓮宗の寺にしました。佐久間家の菩提寺であり、『富岡日記』で知られる和田英の墓などもあります。



 ここ寺町には外にも上田にある「願行寺」をそのまま松代にも同じ願行寺を建てた寺などありますが今回はこれまでにします。
 抹香くさい話を延々と語ってきましたが、最後まで何の足しにもならない話をお読み頂き有り難うございました。次回も、懲りずにもう少し寺の話を聞いてください。

 平安の昔、この地方で花開いた仏教文化は鎌倉時代の新興宗教の教祖たち(日蓮・親鸞等)によって信州を通った道すがらの縁、弟子、土地の人々の帰依によって寺が創建され、更に、戦国時代になると武将たちが戦勝を祈願して多くの寺を創建しました。江戸時代になるとこの土地を領有した領主たちが菩提寺、乱れた世で安心を得たい人々によるものもあったでしょう。
 細かいことを言えば、松代が城下町になると城主に関係する寺が造られたり、上田の寺との縁、真田氏一族によって作られたり、既存の寺も新領主に進んで縁を求めたであろうと想像できます。
 忘れてならないのは、今は全く姿を消した江戸時代に盛んだった修験道の山伏寺、災害・兵火・政治権力などで、堂舎を失い墓地だけ、観音堂だけ、跡地が畑になっているのをこの街道歩きで「世の無常」を嫌というほど見聞きしてきました。
 葬式仏教などと揶揄される世の中ですが、名もなき庶民の力がなければ、早晩廃寺の悪夢が現実のものになります。
再び言いますが、寺の回し者でもない私は神社仏閣の今、昔を知りその行く末をしっかり見たいと思っています。
信々亭ホテイランありさ ☆四つ葉チャコtopkat@スズジイ@コキリコnobuo飛翔 17人がいいねと言っています
コメント
柚月さん
柚月 さんのコメント
2021.10.26 17:18
姨捨山人さん♪ こんにちは♪
先日来、松代道を拝読させていただいておりますが
ここもまたとても歴史の古いところなのですね。
お寺一つ一つが何某かと繋がっていて、それを丁寧に事細かく
取材なさったお姿にただただ頭が下がります。
>残念ながら食事に夢中で屋敷内の写真を撮り損ねました
はい!お食事くらい十分に味わってください(^▽^)/
そのお食事ほんとに美味しそうですこと(*^▽^)/★*☆
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.27 8:07
お早うございます
又ポカをしたようです。
丁寧にお読み頂いているのが手にとるように見えます。有り難うございます。
寺に限らず、人間の縁(えにし)も不思議だと思っています。何千年も昔の先祖の血が目の前の名も知らぬ人と繋がっているかもしれません。

食事に夢中は口実で向こう受けを狙って慣れないことをして失敗しただけでした。<m(__)m>
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しょうくさん
しょうく さんのコメント
2021.10.26 8:01
じっくり拝見しました。
古いものが実にたくさん残っていますね。
お寺などの建物の風情も、昔をおもわせる姿、しっかり拝見しました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.26 8:28
しょうく さん
おはようございます。
いつもコメント頂くのに、こちらはしょうくさんのブログは拝見しているのですが、コメントも書けず後ろめたい気持ちでいっぱいです。

なかなかお寺などの情景を表現するのは難しく、いつも外観だけの説明に終始しています。実にもならないブログを辛抱強くお読みくださって感謝です。
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雪豹さん
雪豹 さんのコメント
2021.10.26 5:35
このようなお寺も直属の家系が引き継いでいるとしたら凄いことですね。
でも同じ家系で引き継ぎできないところもあったことでしょう

余談ですが、父の実家はお寺さんでしたが、跡取り息子も娘もいなかったため、
今はさびれて見る影もないものとなっています。

このように立派に管理されているのは本当に素晴らしいものだと思います。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.26 7:21
雪豹 さん
おはようございます。
寺を維持してゆくのに四苦八苦しているお寺や、左うちわのお寺さんも数多く見てきました。
檀家を減らしている寺もあれば、広い墓地に墓檀家を誘致しているお寺もあります。
檀家のないお寺さんもありますが、本山からの援助や観光で息を継いでおられるなど様々で、いずれにしても行く末が心配です。

内の菩提寺も遠く四国からお婿さんをもらって維持しています。
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チャコさん
チャコ さんのコメント
2021.10.25 21:30
丁寧に保存され管理が行き届いている様に驚嘆です。 

ランチ美味しそうですね。 写真を撮るのをおわすれになるお気持ちがわかります。 
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.26 7:03
チャコ さん
お早うございます!
ブログがどのように見えているのか心配です。私が見る限り間に広告が入ったり、あるいは数行間が空いて見えます。
お寺の話を延々としているので皆さん辟易しているのではないかと心配しています。

しばらく前、拾ってきた栗で栗おこわを作ったばかりで又、アンズおこわを食べてしまいました。
お餅などもち米を使った料理には目のない食い意地のはった姨捨山人であります。
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チャコさん
チャコ さんの返信コメント
2021.10.26 12:07
私はスローを見る時はあえてExploreで見ています。 Cromeより広告が入りにくいのを発見しています。 ですから一つのプログの中に広告がはさまることはありません。 

栗ごはん いつか蓼科で道に落ちていた栗でご飯を炊いて美味しかったこと。 大菩薩の裏の方でテントの周りが朝騒がしくなり起きたらきのこ拾いの人でした。 そのクリタケをいただいて汁にしておいしかったこと。 スーパーに並ぶ栗やキノコは虫食いが多かったり値段も高くなるばかりで悲しくなりますよ。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.10.26 21:40
今年は松茸が豊作でした。高い時の半値程でマツタケを賞味することが出来ますが、私は天然の雑キノコの方が好きです。シモフリシメジ、センボンシメジ、などのシメジ類が特に好きです。
「匂い松茸味しめじ」と言われるくらいですから。
ヌルヌルしたハナイグチ(ジコボウ)も好きです。本当の名前は知りませんが、母と採ったカラマツ林に生える白や黄色の小さな「カラマツキノコ」(母はそう言っていました)を干して、冬にキノコご飯を炊いてもらうのが大好きでした。

ゴメンナサイ。キノコ談議になれば100ページあっても足りないくらい見境もなく続いてしまいます。_(._.)_
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