姨捨山人 さん
姨捨山人さんの投稿
北國街道東脇往還(松代道)を歩く➝長沼宿から神代宿へ
始めに気の利いたコメントを入れてから始めようと思っているのですが、性格でしょうか器用なことが出来ないでいます。
長いリンゴ園の道を進みます。並行して走る国道117号線は通称「アップルライン」と呼ばれ親しまれています。生産者の直売所ではりんご狩りが楽しめ、信州りんごを生産・直売・全国発送もしています。
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林檎生産組合「ぽんど童」(長野県長野市赤沼)も台風19号によって大きな被害を受けたりんご畑の復旧作業もボランティア活動などにより美味しいリンゴが実るようになりました。
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県道368号線と長沼公園への分かれ道に来ました。公園に行くことも考えましたが県道を進みます。わかれて直ぐに祠ともつかない中に2体の仏像と庚申塔が納められていました。黙って通り過ぎるのも嫌なので、軽く手を合わせましたが、考えてみると、水害の時はどうだったのだろうと気がかりでした。
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細くなった県道を歩いていると寺ともつかぬ建物があり、訪ねた人が親戚の方でしたので、庭を見せて頂きました。寺ではない普通の民家だそうですが、五輪塔、大きな碑、石仏があります。この家の亡くなったお爺さんが昭和30年代にチェーンブロックを使って建てたのだそうでその意図は分からないそうです。
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筋向いには「林学院至心山妙願寺」境内には一茶の句碑があります。「牛馬も 元日顔の 山家哉」
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しばらく歩きます。右手に「太田神社」創建は不明ですが、12世紀に再建されたと伝わる。ここは長沼宿の北端にあたり、南端の「長沼神社」と対を成しています。拝殿の後ろの本殿も見事な彫刻がされています。境内には水害の爪痕がまだ残っていました。
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真新しい家、建築中の家、更地の土地が平らにならされている中を歩くと左手に「浅慶院」草茫々の中にマスクをしたお地蔵さんが向き合っています。此処も水害の犠牲になったのでしょうか。
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長沼宿の北端の終わりまで来ました。角に土蔵造り長屋門の家の隅に「馬頭観世音」の石碑。側面には「為飼馬松葉號」と彫られています。よほどお互い心を通わせていたのでしょう。
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国道117号線との赤沼交差点を渡ります。目の前の「北陸新幹線」の高架下には「善光寺平洪水水位標」寛保の戌の満水の時は6.4mにも達したそうです。この水位標は平成4年に建てられましたが、戌の満水の下に「令和元年十月十三日」が表示されるとはだれも思ってもいなかったでしょう。
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新幹線の下をくぐると「長野新幹線車両センター」。写真の建物の後ろが「車両基地」洪水時には新幹線の車両が水に浸かっている映像が流された場所です。浸かった車両は全て廃車両になったそうです。
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浅川の橋を渡るとそこは「神代宿(かじろじゅく)」。京都の「物集女(もずめ)」。以前、北國街道新井宿で「美守(ひだのもり)」など地名で苦労することも度々あります。人に教えて頂けるのがとても有難いです。
災害にあった「長沼宿」が平安な日常に戻ること、全国の地震など自然災害の猛威さらされた地に以前の平安がともに訪れますように。
長いリンゴ園の道を進みます。並行して走る国道117号線は通称「アップルライン」と呼ばれ親しまれています。生産者の直売所ではりんご狩りが楽しめ、信州りんごを生産・直売・全国発送もしています。
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林檎生産組合「ぽんど童」(長野県長野市赤沼)も台風19号によって大きな被害を受けたりんご畑の復旧作業もボランティア活動などにより美味しいリンゴが実るようになりました。
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県道368号線と長沼公園への分かれ道に来ました。公園に行くことも考えましたが県道を進みます。わかれて直ぐに祠ともつかない中に2体の仏像と庚申塔が納められていました。黙って通り過ぎるのも嫌なので、軽く手を合わせましたが、考えてみると、水害の時はどうだったのだろうと気がかりでした。
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細くなった県道を歩いていると寺ともつかぬ建物があり、訪ねた人が親戚の方でしたので、庭を見せて頂きました。寺ではない普通の民家だそうですが、五輪塔、大きな碑、石仏があります。この家の亡くなったお爺さんが昭和30年代にチェーンブロックを使って建てたのだそうでその意図は分からないそうです。
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筋向いには「林学院至心山妙願寺」境内には一茶の句碑があります。「牛馬も 元日顔の 山家哉」
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しばらく歩きます。右手に「太田神社」創建は不明ですが、12世紀に再建されたと伝わる。ここは長沼宿の北端にあたり、南端の「長沼神社」と対を成しています。拝殿の後ろの本殿も見事な彫刻がされています。境内には水害の爪痕がまだ残っていました。
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真新しい家、建築中の家、更地の土地が平らにならされている中を歩くと左手に「浅慶院」草茫々の中にマスクをしたお地蔵さんが向き合っています。此処も水害の犠牲になったのでしょうか。
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長沼宿の北端の終わりまで来ました。角に土蔵造り長屋門の家の隅に「馬頭観世音」の石碑。側面には「為飼馬松葉號」と彫られています。よほどお互い心を通わせていたのでしょう。
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国道117号線との赤沼交差点を渡ります。目の前の「北陸新幹線」の高架下には「善光寺平洪水水位標」寛保の戌の満水の時は6.4mにも達したそうです。この水位標は平成4年に建てられましたが、戌の満水の下に「令和元年十月十三日」が表示されるとはだれも思ってもいなかったでしょう。
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新幹線の下をくぐると「長野新幹線車両センター」。写真の建物の後ろが「車両基地」洪水時には新幹線の車両が水に浸かっている映像が流された場所です。浸かった車両は全て廃車両になったそうです。
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浅川の橋を渡るとそこは「神代宿(かじろじゅく)」。京都の「物集女(もずめ)」。以前、北國街道新井宿で「美守(ひだのもり)」など地名で苦労することも度々あります。人に教えて頂けるのがとても有難いです。
災害にあった「長沼宿」が平安な日常に戻ること、全国の地震など自然災害の猛威さらされた地に以前の平安がともに訪れますように。
今まで少ない車両でやりくりしていたのが、ようやく元の状態に戻り良かったです。
テレビの映像を見るたび胸が痛みました。