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北國街道東脇往還(松代道)を歩く➝神代宿から平出追分へ

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:寄り道散歩
2021.11.29 21:08
 前回お話した通り、一期一会ですが、その土地の人との出会いを楽しんでいます。早速、近所の人に聞いた「圓徳寺」。静かな環境の中の山寺の雰囲気がありました。お寺の歴史が分かりませんでしたが葵の御門のお寺で「超出常倫」と書かれたお茶所がありました。親鸞聖人は「常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん」と読まれたそうです。浄土真宗のお寺さんでした。
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 再び街道に戻ります。すぐに分岐に「つつじ山道」道標が現れます。よく読めませんでしたが「右名勝つゝじ山道」左側に「左ハ牟礼道(松代道)」と彫られているように見えました。
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 近所の人の言うには、牟礼道は途中から藪になり通行は困難との情報を得、途中まで行き引き返してつゝじ山道を行くことにしました。牟礼道の途中に「神代坂の大石」の上に馬頭観音が鎮座し昔の旅人を見守っていたのでしょう。神代坂の説明板は風化が激しいので読むのに苦労しました。
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 近所の人の言う通り、白坂峠まで直線的な急登が続き相当な難所であったらしい。戦後子供の手などに栄養の偏りか衛生面のせいでイボのできた子がいると大石の馬頭観音に供物を上げて、振り返らず帰るとイボが取れると言われていたそうです。畑の片隅に忘れられたお地蔵様か分からない石仏がありました。振り返ると歩いてきた「長沼宿」などが見えます。
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 神代坂(かじろざか)の難所を昔の旅人のように経験せずに、緩い坂道の「つゝじ山道」を登ります。緩いカーブを曲がると「八雲台古墳」の矢印が招いています。行かずばならないと横道にそれます。下を見ると通ってきた「長沼宿」がはるか遠くに見えます。
古墳は1基のみ、円墳は玄室をむき出しにしています。先ほど参拝した「伊豆毛神社」の旧社地内にあり、古来より神社の宝物庫と伝えられていたと説明板には記されています。
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 こんな事ばかりして居るので先に進めません。3つ4つのカーブを曲がると「北信五岳道路」で分断された街道を右に折れます。リンゴ畑の端に「南無阿弥陀仏」とだけ書かれた石碑、五輪塔が並び、立て札には「このあたり大悲閣聖林寺跡伝承地」・千年松跡・六字名号出土地・貞享の板碑・五輪塔群と盛沢山。
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 リンゴをもいでいたリンゴ園の方の許可を得てリンゴを落とさぬよう、腰をかがめて目的の「五輪塔群」を目指します。五輪塔の多さに驚きました。
現豊野観音堂の前身として鎌倉時代の弘長2年(1262)に創建されたといわれ、全盛時には塔中12坊を擁する大寺院であったという。蓮池の中ほどに2本の千年松があったそうですが落雷で焼失してしまったそうです。
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 すこし上った所に大きな「豊上線竣工記念碑」があり、碑の下を見ると頭の部分が欠けた小さな「神代村住居址」の碑、何か悲しい気持ちになりました。
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 クネクネだらだら坂を登ります。上神代地区の集落を通り、薄暗い林を抜け幾曲がりしたか分からないほどのカーブを越してようやく「旧白坂峠」に着きました。
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 峠は急坂難所の牟礼道(松代道)が交わります。峠に着いたとたん「つゝじ山道」の碑、案内板、風雨に晒されていくばくかの命の峠の説明板。急ににぎやかになりました。
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 案内板の通り200m先に「丹霞郷」のモニュメント(鳥になった少年)。桃の花が咲き桃源郷のような景色は未だ見たことがありませんが、一度は見たいものです。
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 峠とは名ばかりの平坦地を行くと三叉路に突き当たります。此処が「新白坂峠」新道を少し下がった所に「一里塚」。残った片方の塚も半分拡張工事で削り取られている。初夏に通った次の「四ツ屋一里塚」は両方とも残っていました。
何故ここに一里塚があるのか頭の整理が必要です。写真では左の道が旧白坂峠。
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 翻って平出分岐へ向かいます。道が二股に分かれますが、どちらを行っても北國街道に交わりますが、分岐へ向かう右の道を進みます。人家の間を抜け北國街道に交わる1軒手前の「原田家」の庭の片隅にその「長沼道道標」がありました。御留守だったので何故ここに道標があるのか聞くことが出来ませんでした。道標には「左長沼みち 右善光寺みち」と彫られています。善光寺道というのは北國街道のことです。
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 とうとう東脇往還(松代道)を完歩しました。北國街道側から松代道の分岐、写真の細い道を見つけるのは至難の業です。分岐を示すものはありません。家2軒目に分岐の道標があるとはだれも夢にも思わないでしょう。
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 最後まで気の利いたコメントが出来ません。この年になって昔の不勉強のツケが続くとは夢にも思っていませんでした。皆さんに恥をさらけ出したことが悔やまれます。
ホテイランジャムおかしふぐのひれ酒まるえ79一の糸コキリコ信々亭飛翔topkat 19人がいいねと言っています
コメント
チャコさん
チャコ さんのコメント
2021.11.30 11:55
ご苦労様でした。 これだけの道のりを徒歩で、そして丁寧な歴史を踏まえてのご説明に感服するばかりです。 かって繁栄した街道沿いの町や村の佇まいには心惹かれる思いで読ませていただいておりました。 すごいことです。 有難うございます。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.11.30 15:56
チャコ さん
こんにちは!単純ですから素直にねぎらいとお褒めのこと、こそばゆい気持ちでお受けしました。
チャコ さんのようにうまい文章は書けませんが、これからも愚直にブログを書いていこうと思っています。
有り難うございました。
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一の糸さん
一の糸 さんのコメント
2021.11.29 23:24
素敵な紀行文拝読させて頂いています。
綺麗に整備された昔からの街道。
多分観光で行っても通り過ぎるだけと思います
ネットならではの出逢いを感謝いたします。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2021.11.30 7:19
一の糸 さん
お早うございます。御読み頂き有り難うございます。

私自身も今までは観光旅行、車での通過で地元の人達の地域を愛するボランティアでの保存整備を知りませんでした。頭の下がる思いです。
○○を愛する会、○○を守る会、等々知らないことばかりでした。
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