柚月 さん
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トヨタ産業技術記念館 紡績編
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柚月 さんのブログ2022.5.17 6:10
私は今までの人生の1/3を繊維や織物に関係した環境で過ごしてきました。
生まれ育った家は「三ちゃん機屋(とうちゃん、かあちゃん、ばあちゃん)」と
言われる家内工業の機屋さんに周囲を囲まれていたような感じで四六時中織機の
音が聞こえていました。
母はそういった3~4軒の機屋さんから手伝いを頼まれてはパートに行って
いましたので、私も学校から帰ると工場へ行って「ただいまぁ」と顔を見せに
行くのが日課になっていました。
地区には100人前後の従業員をかかえた織物会社もたくさんあって、私はその
中の一社に就職しました。事務職でしたので機を織ることはできませんが。。。
そんなこんなで織物に関することには懐かしさ、興味そんなものが多くあります。
今回、トヨタ産業技術記念館を見学したのも久々に織物の雰囲気に触れてみたい!
そんな気持ちがあったんです。
「日々の間に間に」は〝小額空木と箱根空木〟を載せています♪
併せて見ていただけるとうれしいです♪
こちらからどうぞ → http://majo1103.jugem.jp/
トヨタ産業技術記念館には紡績部分と織物部分がありましたので
まず紡績部門から。。。
綿や羊毛から糸にすることを「紡績」といいます。
ちなみに繭から生糸をとることは「製糸」と言われています。
小さな綿のかたまりが機械の中でいくつもの工程を通り紐状になって出てきます






この後2~3の工程を経て更に細くしていき織物にできる細さにします


ワインダーと呼ばれる機械でコーンに糸を巻いて、縦糸にも横糸にも
使えるようにしていきます
このあたりの機械からは、私が勤めていた会社にもありました。
ただ当時の機械からは巻き取るスピードも人の手間も省けるように
かなり進化していますが。。。(*^-^)

明日は織物部門に。。。。
生まれ育った家は「三ちゃん機屋(とうちゃん、かあちゃん、ばあちゃん)」と
言われる家内工業の機屋さんに周囲を囲まれていたような感じで四六時中織機の
音が聞こえていました。
母はそういった3~4軒の機屋さんから手伝いを頼まれてはパートに行って
いましたので、私も学校から帰ると工場へ行って「ただいまぁ」と顔を見せに
行くのが日課になっていました。
地区には100人前後の従業員をかかえた織物会社もたくさんあって、私はその
中の一社に就職しました。事務職でしたので機を織ることはできませんが。。。
そんなこんなで織物に関することには懐かしさ、興味そんなものが多くあります。
今回、トヨタ産業技術記念館を見学したのも久々に織物の雰囲気に触れてみたい!
そんな気持ちがあったんです。
「日々の間に間に」は〝小額空木と箱根空木〟を載せています♪
併せて見ていただけるとうれしいです♪
こちらからどうぞ → http://majo1103.jugem.jp/
トヨタ産業技術記念館には紡績部分と織物部分がありましたので
まず紡績部門から。。。
綿や羊毛から糸にすることを「紡績」といいます。
ちなみに繭から生糸をとることは「製糸」と言われています。
小さな綿のかたまりが機械の中でいくつもの工程を通り紐状になって出てきます
この後2~3の工程を経て更に細くしていき織物にできる細さにします
ワインダーと呼ばれる機械でコーンに糸を巻いて、縦糸にも横糸にも
使えるようにしていきます
このあたりの機械からは、私が勤めていた会社にもありました。
ただ当時の機械からは巻き取るスピードも人の手間も省けるように
かなり進化していますが。。。(*^-^)
明日は織物部門に。。。。
実は私も若い頃(住〇〇織物)に入社と言っても作る工程は全く知らず
デパートの絨毯やカーテンの販売を....懐かしいです(*^_^*)
退社した後は技術、経営と楽しむ程度の仕事をしています。
機械の工程を見るとなるほどと勉強になりました。
コメントありがとうございます♪
>デパートの絨毯やカーテンの販売を....懐かしいです
そうなんですかぁ♪
繊維に関係してますから興味も湧きますよね(*^-^)
>退社した後は技術、経営
自営業ということなのですね♪
お描きになられるPC画からはちょっと想像できませんでした(^▽^笑)
お時間がとれたときにお描きになるのですね♪
お時間をたくさんとってまたすてきなPC画見せてくださいね( ͒ ु•·̫• ू ͒) ♡
繊維の環境で育ったのですね。
もしかして、お洒落さんではないですか、センスが良いでしょうね。
そんな気がします。♪
こちらにはジーンズの会社が多いです。
だから、ジーンズは安く手に入りますね。
お洒落な人は羨ましいです。!(^^)!
コメントありがとうございます♪
>こちらにはジーンズの会社が多いです
そっかぁ!学生服もですよね?
クラボウなんて大きな紡績会社もありますよね♪
岡山城、後楽園行ったことありますよ(*^-^)
倉敷の美観地区も行きましたし。。。(^^♪
>お洒落な人は羨ましいです
(^▽^笑)お洒落ではないですけれど自分の洋服は
ほとんど自分で作っていますので、そういう面では
他人と違ったものを着ているかもしれません。
和服の絵羽織からチュニックにリメークしたのは気に入っていて
よく着ています。
でもかなり色が褪せてきたのでそろそろ処分をと思っているところです。
子供の頃の記憶って、ふとしたときに鮮明に浮かびますよね。
五感で思い出すと言うか・・・映像だけじゃなくて、匂いや音まで。
館内を巡りながら、様々なことを思い出されたのではないでしょうか?
>綿や羊毛から糸にすることを「紡績」といいます。
ちなみに繭から生糸をとることは「製糸」と言われています。
そうだったんだ!なんとなく使っていた言葉でしたが、そんな区別があったとは知りませんでした。
無知を反省(m。_ _)/
箱根空木はこちらでも見かけますが、優しい色合いの花が寄り添ってる姿がきれいですね。
小額空木は知りませんでしたが、写真の白い花びらのなんて美しい事。
そっと触れて見たくなります(^^♪
コメントありがとうございます♪
>五感で思い出すと言うか・・・映像だけじゃなくて、匂いや音まで。
それはありますね(*^-^)
ときどき夢を見たりしますよ(^▽^笑)
>なんとなく使っていた言葉でしたが、そんな区別があったとは。。。
>無知を反省(m。_ _)/
いえいえ!無知ではないですよ。知らなくて当たり前です♪
私はたまたま少しの間だけれど携わってきたから知っているだけの
ことですから(^^♪
>写真の白い花びらのなんて美しい事。
そうですねぇ~♪
日陰の暗いところに咲いていましたけれど浮き立って見えました
今日は懐かしい写真が並んでいますね
原綿から糸になるまでの工程です
明日の糸から布になる織布になる工程の
織機がの写真が載るのでしょうね。
コメントありがとうございます♪
>懐かしい写真が並んでいますね
>原綿から糸になるまでの工程です
そうでしたか♪
私は紡績のほうの機械はまったく知らないんです。
糸になったものを扱う織物会社でしたので。。。
私の育った土地も毛布の生産地で(大阪府泉大津市)織機の音の中で育ちました、懐かしいです。
全ての工程を小さな町の中で細分化された家内工業で受け持って毛布が出来上がるので、
何処に行っても何処の家も家族で仕事をしてました、なので朝も昼も作り置きの粗末な食事でしたよ(^^)
育ち盛りも学校から帰ると手伝っていた様です。
会社規模で経営していた家は御殿が建ってましたねぇ(^^)
私などは親父は働きに出ていたので家に放ったらかしに されていて、
小2頃に自分で焼き飯を作ってました。
最近では「機」を「はた」と読める人は少ないと思います(^^);
コメントありがとうございます♪
>織機の音の中で育ちました、懐かしいです。
そうでしたか♪
よく機屋さんの赤ちゃんが織機が動いていればスヤスヤと眠って
織機が止まると目を覚ます。。。なんて言われてましたよ(^▽^笑)
>会社規模で経営していた家は御殿が建ってましたねぇ(^^)
まぁねぇ~!儲かった時期もあったようですしね♪
>小2頃に自分で焼き飯を作ってました。
そうだったんですかぁ♪
それが基礎となっていらっしゃるのでしょうね♪
今の日々の食生活をとても器用にお上手にこなしておられますから。
>最近では「機」を「はた」と読める人は少ないと思います(^^);
あっ!そうかもしれませんね♪
そこまで気が付きませんでした(*^.^*)
ただ「ガチャマン」と言う言葉は覚えてます。
機織り機が「ガチャ」と言えば、「万」のお金が入ってくる。
昭和30年ごろは繊維が花形産業でしたね。
コメントありがとうございます♪
>機織り機が「ガチャ」と言えば、「万」のお金が入ってくる。
>昭和30年ごろは繊維が花形産業でしたね。
この言葉は私も聞いて知ってはいますがその頃は子供でしたから
感触はまったく無いんです♪
就職したのは40年代に入ってからですので、その頃にはもう坂道を
下りている途中でした。
それでも金の玉子と言われる子たちが少しは入ってきてましたけれど。
私が就職して5年後には政府が動いてない織機を買い上げてくれて
80数台あった織機が50台くらいになり、その4年後には工場が閉鎖に
なりました。
むかしトヨタ織機なるラグビーチームあったような記憶があります。
コメントありがとうございます♪
ラグビーチーム。。。
そうですねぇ~♪ あったかもしれませんね♪
ごめんなさい!私ははっきりとした記憶がなくて。。。
三ちゃん農業もありました~
昔 実家では養蚕をしていました(年に3回ほど)
夜中も2~3時間おきに 桑の葉を与えてました
半分 寝ながら~(笑)
繭にして出荷です
其れが製糸になりまが
後の工程も 複雑ですね =^_^=
コメントありがとうございます♪
>実家では養蚕をしていました(年に3回ほど)
>夜中も2~3時間おきに 桑の葉を与えてました
そうなんですかぁ!
昔はすべてが手作業でしたからどんなお仕事も大変でしたよね♪
>後の工程も 複雑ですね =^_^=
そうですよね♪
製糸してもすぐに織物にできるわけじゃあないですしね。
さらにいろんな工程を通ってやっと織物に。。。
その後もいろいろの工程を通ってやっと布地となりますものね♪
そっか~ぁ・・・1/3か・・え~と計算出来ん・・・割り算苦手やねん
一番若い時代の、思い出・・・あの頃は、ある意味高度成長期だったのかな
繊維や織物の環境で育ったんだ~ぁ・・・事務職してたんだ、偉いな
浴こんな繊維や織物の機会・・・誰が考え、誰が作ったんだろうね・・・尊敬するわ。
コメントありがとうございます♪
>あの頃は、ある意味高度成長期だったのかな
(^-^*)う~~ん♪何年ごろのことか知らないけれど
たしかに高度成長と言われた時期があったようですね♪
あたしぃ~!子供だったからぁ~!わかんなぁ~~い!
〃^∇^)o_彡☆あははっ
>事務職してたんだ、偉いな
(*^^*ゞアハハッ! なんで偉いの?どこが偉いの?
たしかにね、身体はエラかったよ!20kg以上ある織り上げた反物を
運ぶのを手伝ったことあるし。。。50kgくらいの糸が入った箱を
引きずって片付けたりしたこともあるし。。。。◕‿◕)ノ ♫♫
最初のうちはこういう身体を使う仕事もさせられたよ。
あのね、名古屋弁でね、身体がキツイってときにも「エライ」って言うんだよ♪
(ξ^∇^ξ) ホホホ