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上小便り 蚕都上田―②

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:暇つぶし
2022.11.17 17:35
 昭和から三代の天皇の資料はガラス越しの為、写真では一寸分からないので、資料を補足しながら説明しようと、不遜にも思いながら・・・。
 昭和天皇のご行幸啓で女工さんは小旗を振り歓迎、白い半そでシャツにもんぺ、時代を感じさせる写真です。陛下は室温27℃という繭の糸口を見つける自動繰糸機の作業を見て女工さんに「みんな疲れることはありませんか」と声をかけられていました。
 皇后さまは食堂前に飾られた生け花に目を止められ「女子工員が休み時間に教養として習っています」という説明にニッコリされていました。

 上皇、上皇后両陛下は平成二十八年八月推測ですが、思い出の軽井沢に一週間避暑で滞在された折、官立蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)当時の原料繭を生糸に加工するまでの間貯蔵しておく「貯繭庫(ちょけんこ)」や繭の標本の展示などをご覧になり、翌々日23日には「常田館製糸所(現笠原工業)」をご訪問。大正時代の製糸所の様子の模型などの説明をお聞きになったそうです。

 今上天皇(現天皇)ご一家の今年(令和4年)の「小石丸」収繭のご様子写真も飾られていました。左手前におられるマスク姿は愛子内親王でしょうか。

 前出の宮中の御養蚕所における皇后御親蚕に用いられる品種「小石丸」は日本在来種の一つ。「幻の絹、天女の羽衣」と称され宮中の繭は「正倉院」の所蔵品の修復に使われるそうです。
蚕の中で最も細い糸をはき、艶があって張力が強く、けば立たない、藍の染色性に優れるなどの特性を持っていますが、あまりにも小さく繭糸量が少ないため経済性にかけるとの理由で一時期民間からは姿を消しました。
 宮中でも明治の昭憲皇太后から始まった小石丸養蚕はその後、貞明皇后・香淳皇后と受け継がれ、香淳皇后の時廃棄の危機に陥ったが、当時の美智子妃のたってのお願いで養蚕は続けられ、雅子妃に受け継がれています。

 小石丸復元には諸説あるようですが、一番有力な小石丸発祥の地(小田中家)、大日本蚕糸会発行『蚕の種類号』には「伊勢山(上田市)の小田中源右衛門寛政(1789 年〜1801年)のはじめごろ在来種より特別良種を発見せ し原種にて、虫質強壮光沢優美、解じょ(繭を解きほぐして、生糸を引き出すこと)良好なり。繭質堅硬 にして指頭の力を加うるにあたかも石の如し。たまたま同 家伝来の繭形奇石あり、よって小石丸と名づく」とあります。

 小田中家を訪ねたのですが、老夫婦は今は亡き人で、近くに長男夫婦が家を建ておられましたが「今は床も抜けお見せする状態にはない」とのこと。泣く泣く玄関わきに掲げられた「寛政年間 蚕種 小石丸の生まれし家」の看板を撮ったのみ。展示品のあると思われる土蔵はリホームされていましたが、内部はごちゃごちゃでした。


 二階、三階の展示室には「和紙ランプシェード」の作品展、作者は「小宮山洋一」どなたかと思ったら「常田館(笠原工業)」のどうも専務さんらしい。もったいないのでブログに関係はありませんがいくつか紹介します。




 渡り廊下を進み「五階繭倉庫」へ向かいます。明治38年建設のこの建物は現在国内唯一の木造五階建て繭庫です。以前、干繭庫に改造され、白漆喰塗大壁には無数の窓がありましたが、今はほとんど塗りつぶされ、今は「明り取りの窓」のみになりました。





 窓から外を見ると今は煙も出ないコンクリートの煙突とボイラー棟。製糸場では大量の湯と蒸気が必要で、駅直結の燃料の石炭を運ぶトロッコがあり、帰りのトロッコに生糸を積んでいたと、心配になって見に来て下さった方のお話でした。


 見学コースから外れますが道を隔てて、創業者「笠原家」の住居、書庫などがあり昭和天皇皇后両陛下行幸啓の際の玉座などもあるそうです。


 他にも、四階繭倉庫、賄蔵、炊事場なども保存されていました。今も笠原工業として「電子部」「精密加工部」のほかに農業用製品などの製造業として存続しています。



 毛色の変わったブログを投稿しています。お気に召さなかったら、過去に拘らず見ないという選択をしてください。執念深くはありませんのでご安心下さい。(^^♪
ジャムkanekoホテイラン飛翔シーホースーY@スズジイ@信々亭☆ 福 老(ふくろう)流星ひと山 27人がいいねと言っています
コメント
柚月さん
柚月 さんのコメント
2022.11.18 10:18
姨捨山人さん♪ こんにちは♪

事細かに取材されたのですね。
小石丸という繭があることなど到底知りませんでした。
天皇家で養蚕が代々受け継がれていることは知ってはいましたが
上田市との関係が深いなどということは知る由もありません。

今は日本人であっても和服すら着なくなってしまった時代ですけれど
絹織物、私は好きです。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.19 8:13
柚月さん
お早うございます。いつもコメント有り難うございます。

自然由来の絹は化学繊維などの有害物質を排出しません。綿(木綿)や麻のように何時までも遺して置きたいものです。

皇室で飼育されている小石丸の生まれた家の資料がなくなるのは残念に思っています。せめて何か文献として残っていないか調べてみたいと思っています。
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一の糸さん
一の糸 さんのコメント
2022.11.17 22:31
繭の解じょ って子供の時、やった記憶があります。
母が実家で養蚕をやっていた。
繭をお湯に入れて、虫を殺し、指で触って糸口を探す。
なんか楽しかったな。
貴重な写真をありがとうございます。
「小石丸」というのですね、とても一般じゃお目に掛かれない優れ物ですね。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.18 8:22
一の糸 さん
お早うございます。
「解じょ」などという言葉よくご存じですね。家では「ぶしょ繭(売り物にならない繭)」を湯につけて真綿を取っていました。サナギは甘辛く煮て食べました(長野県はゲテモノの虫などたんぱく源としてとっています)
多分、小石丸は研究機関か皇居でしか見られないと思います。
0人がいいねと言っています
ホテイランさん
ホテイラン さんのコメント
2022.11.17 19:05
こんばんは~
明治の昭憲皇太后から始まった皇后陛下の養蚕に使われる箒が
コウヤボウキで造られているとか・・・
正倉院には子日目利箒(ねのひのめとぎのほうき)が保管されています。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.18 7:58
ホテイラン さん
お早うございます。
掃きたてのホウキがそんな昔からあるとは知りませんでした。情報ありがとうございます。私も子供の頃は家で養蚕をしていたので、おぼろげな記憶を辿って皆さんにお伝えできたらと思っています。
小石丸という採算に合わぬ蚕を皇室で大事のされているのは大変貴重だと思っています。新小石丸なる蚕も生み出されていますが、到底小石丸にはかなわないと聞いています。
1人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2022.11.17 18:49
中々貴重な建物、シッカリ保護して管理されておられるのに、感服しました。
貴重なもの有難うございます、懐かしい,色入り貴重なもの有難うございます。個人的には、そう,「量り」ああこんな格好して、量り、体重測定などやったなと思い出しました。
1人がいいねと言っています
姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.18 7:45
しょうく さん
お早うございます。
先人の遺産を残すのは大変だろうと私も思います。学校ではパンツ一で秤に乗ったのを思い出しました。しょうくさんのように目の付けどころが違うのに感心しました。

2日ばかり体調を崩しております。御返事もまともでなくゴメンナサイ。
0人がいいねと言っています
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