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上小便り 蚕都上田―③

姨捨山人さん
姨捨山人 さんのブログ[カテゴリ:暇つぶし
2022.11.20 9:23
 長野県上小地区は養蚕に関しては特殊な地域です。蚕種(カイコの卵)、養蚕、製糸と一貫して行っています。さらに細々ですが「上田紬」など絹製品も作られています。
 隣の地区の「塩尻地区」には蚕種で財を成した家々が立ち並び往時を忍ばせています。以前北国街道を旅した時の写真の再掲です。

 今、養蚕業は壊滅状態ですが、少しでも当時の様子を感じて頂ければ嬉しいです。今は屋敷も無人になりチョッとした説明文が貼られているだけです。佐藤家、藤本家です。佐藤家の鬼瓦には「三ツ引」が乗っていました。





 その藤本家の資料を保存している「藤本蚕業歴史館」にお邪魔しました。車で通過して頃はいつも見ていた看板ですが、今回初めての訪問です。

 見せて頂いたのは「藤本蚕業歴史館資料目録」上田市の公立大学「長野大学」の教授や学生の協力で全資料(数万点に上るか)が書庫に収められていました。


 余り資料を見せては頂けませんですが、三代目藤本善右衛門保右(やすすけ)が養蚕家に配った「蠶かひの学(蚕かいの学び)」の版木と30頁の和紙綴じの小冊子を見せて頂きました。版木には字の読めない人のために漢字にルビが振られていました。彫師は彫刻刀の刃先を0.1mm単位で板面に入れるそうで、その技に舌を巻きました。
 本文の最後に保右は「久しく蚕種業を営んできたので、国々でよい蚕の飼い方を見分している。少しでも助けになればと思い、拙いことを顧みず筆を執った」と記しています。


 私が専門家であれば資料をもっと見たいところですが、無学の私、見学者用の説明文を写真に収めたのでご覧ください。なおトリミングしてなるべく読めるようにしましたが読み辛い個所もあります。




 上田市塩尻(旧小県郡上塩尻、下塩尻村)には蚕種業で財を成した家は、藤本家の他、清水家、馬場家、と枚挙にいとまがないです。ここ藤本家の資料の概略を載せておきます。読めるとよいですが……。







https://d-commons.net/upload/4/39/008102.pdf
 「藤本蚕業歴史館」でお世話になった佐藤社長(藤本家)にお暇して、この後、塩尻地区を少し巡ってみようと思っています。「常田館」でもちょっと触れましたが、塩尻地区だけに見られる「猫瓦」を見て回りました。猫はネズミの害から蚕を守る神様です。鬼瓦というより、塀の端や小屋の屋根、棟の端によく見られます。職人さんが趣味で勝手に付けるので、無口な職人は猫瓦のことを話さないため、家人も知らない人が多いです。家の建て替えなどでだんだん少なくなっているのは残念。




 後で知ったのですが、私の生まれた千曲市、安曇野市、小諸市など養蚕の盛んな地域にも「猫瓦」があると言うことです。信州の瓦屋と三州の渡り職人が取り付けた「猫瓦」はこれから新しく造られることはないでしょう。
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コメント
チャコさん
チャコ さんのコメント
2022.11.20 14:39
猫瓦とは初めて知りました。 大変貴重なものですね。 2階が蚕部屋になっているのを白馬村の大家で見せていただいたことがあります。 桑を食べるその勢いに驚いたことを覚えています。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.20 16:59
チャコ さん
こんにちは。

瓦職人が趣味で焼いたであろう「猫瓦」。鬼瓦のように装飾性のある物ではなく、一種のネズミ除けの「まじない」の様なものだと思っています。

蚕の小さい掃きたての頃は、桑の葉だけを与えますが、大きくなると枝ごと与えるようになると休みことを知らないようにひたすら桑の葉を食べています。その食べる音がたくさんの蚕になると「ワサワサワサワサ」と昼夜休みなく聞こえてきます。

普通の人は一貫して中々養蚕の様子は見られません。良い経験をなさいましたね。小学校などでは蚕を飼う授業もあるのでしょうか?
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うららさん
うらら さんのコメント
2022.11.20 10:20
色々と教えて頂きありがとうございます。
父の実家は養蚕をしていたので、子供の頃に泊ると桑を食べる音もするし、青大将の蛇も居ました。
桑の枝を採取したり、繭の糸を手回し車でつなげ取る体験もさせてもらったことを覚えています。
これらがなつかしく思い出されます・・・  青大将を歓迎していたのはネズミ対策で、猫瓦と同じ意味合いなんですね・・・  
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.20 16:35
うらら さん
コメント有り難うございます。

うららさんと同じように、子供の頃ネズミを食べる家の守り蛇は殺すなと言われていました。養蚕をしていた子供の頃、一階、二階の畳を上げ蚕室にして人間は隅っこでカイコが桑を食べる「ワサワサ」という音を子守唄に寝たことを懐かしく思い出しています。
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しょうくさん
しょうく さんのコメント
2022.11.20 9:36
養蚕は横浜のわが家近くでも盛んだったようで、近くの神社にもお蚕さんの慰霊碑など名残っています。
私がここへ引っ越してきた当時は、まだ桑の木の名残などがあったのですが、全く消え去りました。
猫瓦珍しいですね、初めて見ました。
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姨捨山人さん
姨捨山人 さんの返信コメント
2022.11.20 15:57
しょうく さん
こんにちは
横浜は長野の諏訪や上田からまた群馬から日本の絹の道のように生糸が集まり、海外への貿易港として一大集散地であり、お世話になった地です。

こちらでも養蚕をしている家は皆無です。桑畑はリンゴやブドウ園になり山の中腹まであった桑畑は、雑木林になり野性化した桑の木をたまに見るだけになりました。

こちらの家の瓦は三州瓦がほとんどです。三河の瓦職人が焼いたものでしょうが、趣味で焼いたのか、信州の人が要望して焼いてもらったのか、今となっては分かりませんでした。
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