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薔薇ネコ さんのつぶやき2023.3.11 17:41
★3.11の日★
今日は友達と畑仕事しました。
いつもお昼やおやつを用意するので、「そうだ!ちらし寿司でも」
と思い、昨日その具材を買ってきましたが、夜にふと、
「明日は3.11なのに、チラシ寿司はないわ」と。
今日は朝からどのテレビ局でも特集を組んでいました。
その中で、当時の映像を流している番組は、私は見ることができませんでした。
帰宅困難者となり、怖い夜をその映像を見続けて過ごしたからです。
東京で遭遇した私でさえ、こんな気持ちなのですから、当事者はまだまだ辛いことでしょう。
一方で、この災害を知らない若い子も増えています。
今日、この災害でお父さんを亡くされた佐々木投手が
今夜のWBCに先発投手で投げる予定らしいです。
皆で応援し、今後の被災地の励みになることを祈ります。
今日は友達と畑仕事しました。
いつもお昼やおやつを用意するので、「そうだ!ちらし寿司でも」
と思い、昨日その具材を買ってきましたが、夜にふと、
「明日は3.11なのに、チラシ寿司はないわ」と。
今日は朝からどのテレビ局でも特集を組んでいました。
その中で、当時の映像を流している番組は、私は見ることができませんでした。
帰宅困難者となり、怖い夜をその映像を見続けて過ごしたからです。
東京で遭遇した私でさえ、こんな気持ちなのですから、当事者はまだまだ辛いことでしょう。
一方で、この災害を知らない若い子も増えています。
今日、この災害でお父さんを亡くされた佐々木投手が
今夜のWBCに先発投手で投げる予定らしいです。
皆で応援し、今後の被災地の励みになることを祈ります。
もう12年なのか、まだ12年なのか。
少なくとも被災地に住む人にとっては、生涯忘れることができない日だと思います。
あの日、夫は所用で車に乗って町外に。
尋常ではない揺れに、そのまま高校生だった息子を迎えに行き、帰宅の途中で津波に遭遇しました。
そこまでは連絡がついたんですが、携帯の基地局も津波で流され、固定電話も使えなくなったので連絡は途絶え、もしやという不安で押しつぶされそうになったのを覚えています。
夫たちは内陸部にあった私の妹宅までたどり着き、一夜を過ごして翌日帰宅。
私も停電して凍えそうな家で、余震と津波におびえながら眠れぬ夜を過ごしました。
佐々木選手の故郷の陸前高田市は、津波の被害が甚大でした。
私の故郷の隣の市だったので、震災直後の状況は目に焼き付いています。
佐々木選手、見事に大舞台で活躍してくれましたね。
かなりのプレッシャーはあったと思いますが・・・
心からの拍手を贈りたいです(*^^*)
とにかくご無事で・・・・
東京で帰宅困難者になった私ですら、災害の映像は涙が止まらず見れませんでした。
もう12年でも、復興はまだ12年です。
そんな中で、佐々木選手の活躍はどんなにか、皆さんを勇気づけることでしょうか?
辛い思い出の中、コメントありがとうございます。
狩野川台風のときに実家の1階が土石流で一杯になりました。
生後間もない弟は、茶箱に入れられ増水した流れにのまれても浮かんでいられるようにと。
すっかり落ち着いたころに、近所の赤い郵便ポストが土砂に埋もれて見えなくなってました。
(これシニアにも書いた)
そうして弟さんは危機一髪では?
土石流も怖いでしょうね。
テレビで見るだけですが。
夫も3.11の時、仙台に居て、隣の崖が崩れてきたそうです。
コメントありがとうございます。
いろいろな歴史を抱えてますね。
職場のTVで
まるで映画の様な津波を見た時に
現実であることに
衝撃を覚えました。
娘は東京で帰宅困難者になり
職場に泊まりました。
福島の友人の安否を確認し
5月にやっとボランティアで訪問できました。
それから何度か福島を訪れています。
佐々木選手の活躍を応援したいですね。
>いろいろな歴史を抱えてますね。
本当におっしゃるとおりです。
うちの娘は一人は職場、一人は大学で泊りでした。
私は行くところがなく、その場で仲良くなった人たちと都庁に向かいました。
困難の大小はあったとしてもどの方にも衝撃であったと思います。
東北の方たちが今夜の佐々木選手に・・いえ、日本全国の方が、
応援するので、プレッシャーに負けないで!
コメントありがとうございます。
野球に詳しくない私も、佐々木朗希選手の事は知ってました。
ただ、東日本震災で、祖父母とお父様を亡くされたと今朝読みました。以前聞いたような気も〜(汗)
当時は小学生だったようです。
今日の晴れ姿を見せてあげたかったでしょうね。
これから多くの青年になる子も出てくることでしょう。
その子たちが震災を乗り越えて、社会で頑張ってくれることを願います。
さぁ~野球、普段は見ませんが、みることにしましょう(笑)
コメントありがとうございます。
何時まで待っても帰って来ないのが頻繁に。最終手段は「歩き」なのですが・・・帰り着く
のが数時間かかるらしい・・・
待ってる体調不備の年寄りは、姿が見えるまで心配のタネは尽きません。
お隣のお嬢さんは新宿から、甲州街道を歩いて帰宅されました。
でも私も、もう歩けないと思います。
大きな地震がないことを祈るだけです。
でもトルコ地震もありましたから、ないことはないですね。
コメントありがとうございます。