メニュー
ゲストさん
しょうくさんの投稿

無事帰ってきました

しょうくさん
しょうく さんのブログ[カテゴリ:しょうくの鶏肋日記
2016.8.27 7:45
8月27日(土)
 今朝窓際温度計は、28℃、湿度74%、晴れ、二日ほど締め切っていた我が家は、暑さがあちこちに残っている、思い切って今朝は盛大にあちこちの窓など開けはなした、外気の涼しさがよくわかる風が入ってくる、やっと一息。
 昨日夜10時少し前に我が家へ着きました。女房の弟の通夜・葬儀、も無事終えて、島から帰ってきたわけです。瀬戸内の島、大急ぎで出かけたのが25日の朝、新幹線と、在来線呉線を乗り継いで、竹原に着いたのが14時過ぎ。

 竹原の駅前です、前の朝ドラ、マッサンの竹鶴さんの出身地、酒どころでもある街です、古い町並みなどが保存されているところもあります。
フエーリーはたくさん出るのだが、島の本州側にしか止まらずそこから歩いたらとんでもない時間がかかるから、高速船で島の反対側まで行く船を待ち、16:30頃やっと着きました。船着き場からは15分ほどのところが家です。
 いろいろ聞いてみましたら、ガンで抗がん剤治療を始めてからそれほど時間あは経っていなくて、今度のお盆にも、息子さんたちが来て、21日に帰ったばかりだったそうで、23日に急に容体が悪化したとのこと。
 義弟の息子たちは、八王子に住んでいて、帰ってすぐまた飛んできたとのこと、娘の方は広島市内に世帯があり、大勢そろいました、母屋のほかに広い離れがあり、また、ミカンの貯蔵庫の2階も広い部屋がある、息子・娘一家にはそれぞれそちらに泊まってもらうこととした。
田舎の家は、広いからこういう時にはとても役立ちいます。
6:00からご近所の方々が通夜に来られて、お坊さんも来られ、8:00過ぎにお開きにして、あとは我々でしめやかなお通夜。母屋の仏さまと一緒の部屋に我々は文字通りの通夜を営ませていただいた。
 翌朝、5:00近く、ちょっと外へ女房、もう一人の弟、妹とで、少し近くを散歩。瀬戸内の海はとても静かです。

 道路を拡張して、そのあたりには消波ブロックが、やや無粋な姿を見せていました、義弟は、大学時代は水泳の選手で、1500m自由形だったと思いますが、相当有望視されていたのですが、卒業と同時に家業のミカン農家の仕事に精魂傾け、農協などの仕事も引き受けたり、消防団の仕事なども熱心にしていたのでした。

 この頃は、山の中腹から下の畑でないときついということで、家の前の畑に、晩柑類を増やしたりしていたそうでした、今年誕生日が来て77歳、喜寿の祝いのちょっと前に亡くなってしまったことになります。
26日は朝10:00から葬儀、荼毘に付してからお寺で、初七日の法要ということにして、無事葬儀などは終え、15:00過ぎの新幹線で帰ってきた次第です。

 瀬戸内の島々の山の頂には、バラボラアンテナが見受けられ、やはり、時代だなーと感じた次第です、帰りは極めて早く帰れたのは、三原から来ていら弔問の方の車に便乗させていただき、沢山走っているフエ―リーに乗れ、三原まで送っていただくことができ、三原からは新幹線が利用できたからということになります。何しろ呉線ですと1時間に1本しかないので、時間の無駄が多いのです。
 女房もだいぶ疲れていたようで、今日はゆっくり休ませようかと思っています。

 荼毘に付した義弟を見ての一句
   有機物無機物となり夏果てる   しょうく
信々亭セキサン2太十katsu625なか 5人がいいねと言っています
コメント
まるえさん
まるえ さんのコメント
2016.8.27 17:38
しょうくさん こんにちは

お見送り お疲れ様でした
ちょっと不便な その分自然豊かな場所なんですね

行ったこと無いので 書いてあるブログ読みながら 想像しています
0人がいいねと言っています
なかさん
なか さんのコメント
2016.8.27 17:11
しょうくさん

おかえりなさい。大変お疲れのことと思います。
義弟さんのご冥福をお祈りいたします。
(竹原はマッサンの放映中、行ったことがあり懐かしく、
 その時のことを想い出し、写真を観させて頂きました。)
0人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2016.8.27 11:49
アセビストさん
 いつもありがとうございます
 義弟もゆっくり永い眠りについたことでしょう。
 もうすぐ行くからねと声をかけてきました。
 すぐ向かいの島は、四国と橋でつながり、もう一つの小さな島も、呉市と橋でつながったりして、ずいぶん変わってきています。
0人がいいねと言っています
しょうくさん
しょうく さんのコメント
2016.8.27 11:45
たぬきさん
 こんにちは、いつも書き込みありがとうございます
 島というのは、陸続きのところと違って、やはりいろいろ大変です。
 瀬戸内の島々にあちこち橋がかかったわけもよくわかりました、実は女房の郷の島も隣の島は橋が架かり、呉の街とつながったので、呉市に合併しました。
 その島との間の距離は大したことないのですが、海流が強く、船の便もあまりありません。
 瀬戸内は、波は静かなのですが、海流は相当早い、瀬戸といわれる場所が多いようです。今度も3年ぶりに行ってきましたら、島のあちこちだいぶ変わっていました。スーパーもコンビニもないので、自給自足が原則の島です。フエ―リーに乗ったら、郵便局の車やら、宅配便の車などがたくさん乗っていました。
0人がいいねと言っています
アセビストさん
アセビスト さんのコメント
2016.8.27 11:03
しょうくさん こんにちは。

義弟さんのご冥福をお祈りいたします。遠い瀬戸内海でのお見送り、ご苦労様でした。
どうぞお疲れの出ないようにしてください。

素朴に人間として生活するには、瀬戸内海の島の生活はきっと自然に近い生活だろうと
推測しますが、交通等の便利さが必要になった時にはかなり大変な苦労も付きまとう
ことでしょう。
0人がいいねと言っています
人気記事