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天狗の親父さんの投稿

京都の「ラジオ塔」について。

天狗の親父さん
2016.10.6 21:56
何で「ラジオ塔」なん?と思われるだろうね。
先日、何気なく古いアルバムを見ているときに、私が父親から初めて自転車を買ってもらい
当時住んでいた家の近くにありました「橘公園」で写した物がありました。
それが・・・・ラジオ塔の前で写しているんです。
周囲の雰囲気は60数年前とがらりと変わっていますが、このラジオ塔は当時のままです。
①番目の写真が「橘公園のラジオ塔」です。

で・・・ラジオ塔について調べましたら、面影を残しているものは全国で28あるそうですが、なんと28の内、京都に8つもあるんですよ。驚いたナァ~~もう~~(笑)

ラジオ塔とは公衆用放送聴取施設のことで、街頭など人が集まる場所でラジオ放送を一同に会して聞くことができるものである。人の背ほどの高さの塔の中にラジオ受信機とスピーカーが組み込まれている。
 『大百科』によれば、最初のラジオ塔は1930(昭和5)年に大阪・天王寺公園に設置された。以後、各地に設置され、その数は450ヶ所ほどにのぼるようだ。
 日本でラジオ放送が開始されたのは、1925(大正14)年3月22日、東京放送局が最初である。
当時、東京放送局と聴取契約を結んだ人は約3500人、全国のラジオ所持者は8000人と推定されていた。当時は鉱石ラジオセットが30円、真空管ラジオが100~200円だった(当時の東京の男性小学校教員の初任給が月額25円ということから、1円は今の価値では1万円とすると、鉱石ラジオで30万円、真空管ラジオで100万~200万円ほどになる)。
 また放送聴取料を見てみると、東京・名古屋・大阪の放送局が解散し(社)日本放送協会が発足した1926(昭和元)年8月の放送聴取料は月額1円であり、ラジオは庶民には高嶺の花であった。
 しかし、1931(昭和6)年9月、満州事変が勃発し、ラジオの速報性が評価されたことや、エリミネータ受信機(商用交流を電源とする真空管受信機)の価格低下、地方局の開設などが要因となり、1932(昭和7)年2月、全国のラジオ聴取者は100万人を突破した。エリミネータ受信機は鉱石ラジオと違い、レシーバーでなくスピーカーで聞くことができるため、一家全員で聞くことができるようになった。
 また、函館、秋田、新潟、長野、静岡、岡山、松江、高知、小倉、福岡の各地方局の開設により、聴取可能地域が拡大した。
 しかし100万とはいえ、普及率は8.3%にすぎず、多くの家庭では依然としてラジオ受信機を持つことができなかった。街頭ラジオとしてのラジオ塔は、こうした需要はあるが手が届かない人々の要求を背景に拡大していった。また、戦争という時代のため、ラジオを使って国民の思想統制を図るという目的もあったと思われる。

②番目の写真のラジオ塔は我が家の近くの小松原公園の堂々とした立派なものだ。
 一段高い台の上に鎮座しています。
 建造は1940年(昭和15年)とある。
③番目は京都コンサートホール近くの萩児童公園内にあります。
 前面にJOOKの文字の跡があります。
 建造は1941年(昭和16年)です。

残りは、円山公園、八瀬のケーブル近く、船岡山公園、北区の立命館小学校の近くの公園
共通しているのは全て人が集まる公園が多い。
ACANGANAアカシア猿嘘次郎長ふるちゃんまるえ 6人がいいねと言っています
コメント
天狗の親父さん
天狗の親父 さんのコメント
2016.10.7 21:07
ふるちゃん

こんばんわ!貴殿の豪邸の周辺はいよいよ「紅葉」が始まりますね。
本当は、9月末か10月早々に栂池高原の紅葉散策を計画していたのですが・・・・写真展やら
4人の孫の運動会日程が目白押し。
孫の最年長6年生の美人から「小学校最後の運動会やで・・・絶対に来なアカンで!」と釘をさされて・・・。
可愛い女の子の孫に言われたら・・・・自分の欲を捨てました(笑)

ラジオ塔・・・
今回初めて歴史を知りました。
ふるちゃんが言うように「鉱石ラジオ」、私も作り、物干しにアンテナまがいのワイヤーを張って聞きました。
懐かしい思い出ですねl~~。

コメントありがとうございました。
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ふるちゃんさん
ふるちゃん さんのコメント
2016.10.7 14:30
天狗の親父さん こんにちは

ラジオ塔の存在は知りませんでしたね。
小学生の頃、家族でラジオを囲んで聞いていた頃を思い出しました。
また中学生や高校生の頃は鉱石ラジオやゲルマニュームラジオを作って
聞いて楽しんでいましたね。
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