かんけん さん
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安楽寿院へ行ってきました
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かんけん さんのブログ2016.11.8 13:42
この駅で降りたのは何回目でしょうか。
最初は十年ほど前。
記憶通りだとこれで三度目。
近鉄線に乗って、京都駅から奈良方面に向かって四つ目の竹田駅。
かつてはこの駅を過ぎるとすぐ、車窓から田圃の向こうに優しい姿の多宝塔とその森が見えたものです。今は線路沿いにマンションや民家が立ち並び、それらのすき間からちらっと垣間見えるだけになりました。
その多宝塔に会うために竹田駅に来たのです。南口を出て、目の前の道を電車の進行方向と同じ方角に歩きます。あまり人通りの多い道ではありません。
しばらく行くとセブンイレブン。早い昼食の後すぐ出て来てコーヒーが飲みたくなりました。百円で買います。
セブンイレブンの角を右へ、熱いコーヒーカップを持って、はてさて飲む場所があるか、と心配しながら歩きます。もう多宝塔は見えています。
どうも飲む場所はなさそうだ。一度、塔をやり過ごしてその北側の安楽寿院薬師堂や大師堂との間の石畳を行きます。ありました。コーヒーを飲む場所が。
寺の真っ白い築地塀に沿って、車が当たらないように点々と置かれた石。その一つに座ってコーヒータイムにします。
ウォーキング姿の男性が二人通り過ぎて行きました。二人とも単独での散策です。一人はコンビニの袋を提げて。中身は弁当でしょう。缶ビールが透けて見えました。
引き返して多宝塔の前に立ちます。この塔は、実は近衛天皇安楽寿院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんみなみのみささぎ)で陵墓なのです。
森ではいろいろな鳥がしきりに鳴いています。ここはいつ来ても静かです。
現実はそうではないのに、かつての田圃や畑があった風景が記憶に染みついているからか、田舎道を歩いてきた気がします。
疲れた時などは、よくここの光景が心に浮かびます。


安楽寿院は、院政期の鳥羽離宮あとにあります。発掘されたものなのでしょう。お顔もはっきりしない石仏です。
最初は十年ほど前。
記憶通りだとこれで三度目。
近鉄線に乗って、京都駅から奈良方面に向かって四つ目の竹田駅。
かつてはこの駅を過ぎるとすぐ、車窓から田圃の向こうに優しい姿の多宝塔とその森が見えたものです。今は線路沿いにマンションや民家が立ち並び、それらのすき間からちらっと垣間見えるだけになりました。
その多宝塔に会うために竹田駅に来たのです。南口を出て、目の前の道を電車の進行方向と同じ方角に歩きます。あまり人通りの多い道ではありません。
しばらく行くとセブンイレブン。早い昼食の後すぐ出て来てコーヒーが飲みたくなりました。百円で買います。
セブンイレブンの角を右へ、熱いコーヒーカップを持って、はてさて飲む場所があるか、と心配しながら歩きます。もう多宝塔は見えています。
どうも飲む場所はなさそうだ。一度、塔をやり過ごしてその北側の安楽寿院薬師堂や大師堂との間の石畳を行きます。ありました。コーヒーを飲む場所が。
寺の真っ白い築地塀に沿って、車が当たらないように点々と置かれた石。その一つに座ってコーヒータイムにします。
ウォーキング姿の男性が二人通り過ぎて行きました。二人とも単独での散策です。一人はコンビニの袋を提げて。中身は弁当でしょう。缶ビールが透けて見えました。
引き返して多宝塔の前に立ちます。この塔は、実は近衛天皇安楽寿院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんみなみのみささぎ)で陵墓なのです。
森ではいろいろな鳥がしきりに鳴いています。ここはいつ来ても静かです。
現実はそうではないのに、かつての田圃や畑があった風景が記憶に染みついているからか、田舎道を歩いてきた気がします。
疲れた時などは、よくここの光景が心に浮かびます。
安楽寿院は、院政期の鳥羽離宮あとにあります。発掘されたものなのでしょう。お顔もはっきりしない石仏です。
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