とんとん さん
とんとんさんの投稿
1月29日(日)
-
とんとん さんのブログ2017.1.29 21:12
昨日はやっぱり眠れなくて
今朝は何回も目覚めながら 9時頃やっと起きた
患者会の連絡事があって、起きてじきに電話を貰う
願ったような返事じゃ無かったので、ちょっとガッカリ
又その後、お昼過ぎにも困った連絡が入って・・・
どうもうまくいかない
昨日の夜からそんなことの繰り返し、参った
起きたときにはもう夫の姿が無くて、どこに行ったのやら
3時頃から長男達と買い物と夕ご飯
夫にラインするも夕飯も食べてきて良いと返事
久しぶりに長男達とご飯してきた
7時過ぎに帰宅、もう夫は2階のベッド
今日一言も会話をしていない
明日は月曜日、今月はとうとう実家の長姉の家に行かなかった
明日は家に居ることにするし、明後日は埼玉ピアだ
2月に入ったらなるべく早く長姉の所に行こう
夫の両親も私の両親も、4人全員が、呆けることなく、下の世話をすることなく、ほとんどPPKの状態で旅立ったことを、子ども思いの人たちだなんて思っていた
でも、今となって考えたら
末っ子になった夫も、末っ子の私も、親孝行の数字を持った(お誕生日の数字の意味というか性格)2人だけれど
愛着障害というほど、親に愛された実感の無い2人に、これ以上の介護とかいうことがあったら、どんなにひどい人生かと
母が亡くなる数年前に達観したつもりの私だったけれど
それでも現実介護ということになったとき、どんな鬼になるのかと、思って見ても恐ろしい
愛着障害にはなったけれど、あんた達に世話をかけないで逝くことが出来て良かったよと、4人の親たちが言ってくれているかもしれない
夫の母のことは好きだったから、亡くなるまで、だから素直に亡くなったことが悲しかった
そして泣いてる私自身に実家の母が亡くなってもこんなふうに泣けるだろうかと問う私が居た
現実、数年して母が逝ったとき、私はその知らせを携帯で受けても、泣くこともなかった
ピアサポートのミーティングの日で一緒に電車に乗った人が驚いて私の顔を見ていたのをよく覚えている
普通の何も無かったような顔をして、母が亡くなった連絡だったと、言ったから
母のことを許すことが出来る年まで生きていてくれたのかもしれないという思いはあったけれど、83で亡くなった母に、悲しいという思いが無かった
今までも、高齢で亡くなった人ばかりだけれど亡くなったことを淡々と見ていた
その時には愛着障害などと言うこと知らなかった
だから自分でもなんと冷たい娘かと思ったりもした
多くの方が、老齢の親御さんの介護をし、施設に入所させて、ご苦労をしているところ、私の所は何も無いことを、妙な思いで見ていたけれど
親と子の愛がちゃんと有る人だからこそ、親は子どもを頼りにしてきたのかもしれない
死というものに恐れがない私
いつ亡くなっても大丈夫と思っている自分の死に対しても執着が無い
ご飯の後、いつ逝っても良いと話をしていたら
長男に言われた
そんなこと言う人は早く逝けないよ、そういうものだよ、早く逝きたいなら言わない方が良いと思うよって・・・すまんのう^^;言い過ぎたか
今の生活を何年するかと思うとついつい言ってしまって
ある人に聞かれた、今まで感動した本とかはある?って
すぐに答えられなくて、何も無いと思った・・・
今日、少し前の日記のコメントを戴いて、で思い出した
大草原の小さな家の本は、私をワクワクさせた、そんな本が有ったじゃないかって^^まあ、子ども向けの本だったけど・・・
田舎に引っ越しをするなら、すぐそばに小川のあるような所に住みたかった、大草原の家みたいに
そんなの無理なのに
反対に今は、都会の駅のそばに住みたい
次男も1人で電車に乗って出かけられるような都会に・・・
今はもう無理か・・・
今朝は何回も目覚めながら 9時頃やっと起きた
患者会の連絡事があって、起きてじきに電話を貰う
願ったような返事じゃ無かったので、ちょっとガッカリ
又その後、お昼過ぎにも困った連絡が入って・・・
どうもうまくいかない
昨日の夜からそんなことの繰り返し、参った
起きたときにはもう夫の姿が無くて、どこに行ったのやら
3時頃から長男達と買い物と夕ご飯
夫にラインするも夕飯も食べてきて良いと返事
久しぶりに長男達とご飯してきた
7時過ぎに帰宅、もう夫は2階のベッド
今日一言も会話をしていない
明日は月曜日、今月はとうとう実家の長姉の家に行かなかった
明日は家に居ることにするし、明後日は埼玉ピアだ
2月に入ったらなるべく早く長姉の所に行こう
夫の両親も私の両親も、4人全員が、呆けることなく、下の世話をすることなく、ほとんどPPKの状態で旅立ったことを、子ども思いの人たちだなんて思っていた
でも、今となって考えたら
末っ子になった夫も、末っ子の私も、親孝行の数字を持った(お誕生日の数字の意味というか性格)2人だけれど
愛着障害というほど、親に愛された実感の無い2人に、これ以上の介護とかいうことがあったら、どんなにひどい人生かと
母が亡くなる数年前に達観したつもりの私だったけれど
それでも現実介護ということになったとき、どんな鬼になるのかと、思って見ても恐ろしい
愛着障害にはなったけれど、あんた達に世話をかけないで逝くことが出来て良かったよと、4人の親たちが言ってくれているかもしれない
夫の母のことは好きだったから、亡くなるまで、だから素直に亡くなったことが悲しかった
そして泣いてる私自身に実家の母が亡くなってもこんなふうに泣けるだろうかと問う私が居た
現実、数年して母が逝ったとき、私はその知らせを携帯で受けても、泣くこともなかった
ピアサポートのミーティングの日で一緒に電車に乗った人が驚いて私の顔を見ていたのをよく覚えている
普通の何も無かったような顔をして、母が亡くなった連絡だったと、言ったから
母のことを許すことが出来る年まで生きていてくれたのかもしれないという思いはあったけれど、83で亡くなった母に、悲しいという思いが無かった
今までも、高齢で亡くなった人ばかりだけれど亡くなったことを淡々と見ていた
その時には愛着障害などと言うこと知らなかった
だから自分でもなんと冷たい娘かと思ったりもした
多くの方が、老齢の親御さんの介護をし、施設に入所させて、ご苦労をしているところ、私の所は何も無いことを、妙な思いで見ていたけれど
親と子の愛がちゃんと有る人だからこそ、親は子どもを頼りにしてきたのかもしれない
死というものに恐れがない私
いつ亡くなっても大丈夫と思っている自分の死に対しても執着が無い
ご飯の後、いつ逝っても良いと話をしていたら
長男に言われた
そんなこと言う人は早く逝けないよ、そういうものだよ、早く逝きたいなら言わない方が良いと思うよって・・・すまんのう^^;言い過ぎたか
今の生活を何年するかと思うとついつい言ってしまって
ある人に聞かれた、今まで感動した本とかはある?って
すぐに答えられなくて、何も無いと思った・・・
今日、少し前の日記のコメントを戴いて、で思い出した
大草原の小さな家の本は、私をワクワクさせた、そんな本が有ったじゃないかって^^まあ、子ども向けの本だったけど・・・
田舎に引っ越しをするなら、すぐそばに小川のあるような所に住みたかった、大草原の家みたいに
そんなの無理なのに
反対に今は、都会の駅のそばに住みたい
次男も1人で電車に乗って出かけられるような都会に・・・
今はもう無理か・・・
同じですね^^私も痛いのはイヤです、痛いのだけなんとかしてくれたら、何もしないで逝きたいです
長姉が独身で、今一人暮らしをしていますが、猫の介護だけが問題で、週に何度も連絡を取っているのは、長姉が亡くなったら猫がひもじい思いをするからと・・・
出来るなら、今居る猫を看取ってから言ってほしいと思っていますが、5匹のうちの1匹はとても若いようなので、と言っても、7,8才かしら
いつでも逝きたいというのは、長姉との日常の会話です^^
そうですか、介護をすること無く、4人の親御さんを見送られたんですね^^
で、今はお連れ合いとお二人
私達の人生のシナリオはどんなふうになっているのでしょう^^
それを見ることが出来たら良いように生きるんですけどね
ケセラセラ・・・私もそれで良いと思っていますが^^
海というのは母親の胎内に一番近いと聞いたことがあるような
海の傍、良いですね^^
いつ死んでも良いなあ~
今日だってかまわないです。
痛いのは嫌ですけど。
死ぬことは別に 何とも思わないな。
小さく 小さく 小さくなって
この世から 消えてしまえると良い。
私という人間が生きていた痕跡なんか
全部 綺麗に消えてしまえば良いと思います。
足跡も 自分が吐いた二酸化炭素も回収したいくらいです(≧▽≦)