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ペトロくんさんの投稿

日ごとの福音172

ペトロくんさん
2017.3.18 4:23
 四旬節第二土曜日
第一朗読:主は再び彼らを憐れみ、すべてに罪を海の深みに投げ込まれる。
 (ミカの予言7・14⁻16,18⁻20)
福音朗読:お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなったのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。
 (ルカによる福音書15・1-3,11⁻32)

…でありまして、福音はもっとも有名は”放蕩息子”のお話になります。主導句も長いのですが、本文も長~いのです。
 読むのに忍耐が必要であるのです。
 そして、この聖句を理解し、納得をするのには、もっともっと、時間がかかるのです。

また、どんなに時間をかけても、理解まではたどり着けますが納得するまでには、神の導きや手助けが必要でしょう。
 ここで話される”放蕩息子物語”を、いろいろなケースに置き換えてみると、納得なんかできる人は何人いることでしょうか?

 ある仲の良いお友だちがぶつぶつ言います。彼は真面目な信者さんで教会の為や日曜ミサをかがしたことはありません。
 見も知らない、信者さんが教会に来ます。
 その大昔洗礼を受けてからほとんど教会で姿かたちを見かけません。
 
 それから何十年後に、ひっこり教会に来て”神様お助けよ”と言いながらなくなり、お葬式を神父さんに依頼しました。
 もちろん、お仕事柄(❓)神父さんはOKです。そして葬儀ミサが行われます。
 その時のつぶやきが、どうして知らない人のために”葬儀ミサ”を手伝うのです。納得できないふうです。
 こんなお話しは、幾らでもありほとんど彼には影響なんかはないのですが、損得の世界に生きている我々は一方的に儲ける人には非難や、厳しい目を向けます。自分自身に関係なくてもです。それが一旦損をしたり、害を受けると、相手許しません、糾弾します。
 
 こう話していると、本題から外れるのがわたしの悪い癖で、若干頭がカッカしてくるのです。
 
 もっと、スマートに”放蕩息子”の事例を取り上げて、理解はすれど、納得はできない人間の性(さが)を演出したかったのですが、無理なようです。
 次回また放蕩息子が現れたら、彼の長男の立場で、父(神様)に申し開き(文句)のひとつやふたつをやりたいと考えておるのです。
  神様は言います。
   ”汝の敵を愛せよ”
   ”隣人を愛せよ”そして、
   ”放蕩息子”を赦せよと!
あっきん 1人がいいねと言っています
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