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ペトロくんさんの投稿

日ごとの福音173

ペトロくんさん
2017.3.19 4:39
 四旬節第三主日(2017年3月19日)

第一朗読:「我々に飲み水を与えよ」
 出エジプト記17・3⁻7
第二朗読:わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちに注がれている。
 使徒パウロのローマの教会への手紙5・1⁻2、5⁻8
福音朗読:永遠の命に至る水がわきでる。
 ヨハネによる福音書4・5⁻42

 飢えたイスラエルの民は、指導者であり教祖?であり、独裁者でもある”モーゼ”に不満を漏らします。
 飢えることは死を意味しますから、文句の一つでも言いたくなります。
 長い年月を得ると、どんな強靭な指導者といえども大衆を抑えることが困難になります。
 多分そんなケースなんでしょうが、”神”というシンボルが揺らぎます。

 モーゼは早速”神様”にお願いして”民”をなだめます。
可愛いモーゼのため”神様”は手をさし伸べます。モーゼはそれを記念として、その場所をマサ「試し」とメリハ(争い)と名所古跡に指定します。
 ざ~と、冗談ぽく言い換えるとこうなるのですが、福音朗読でもその故事にならった出来ことをベースにしてお話しです。

 イエスがサマリア地方に来ます。
 イスラエル人とは口も利かない大昔の仲間です。そこでの出来事ですが、イエスさんも今は人間様ですから”のど”が渇きます。
 そこのサマリアの女が”水をくみに”にきます。

 もう、耳に胼胝ができるほど、聞かされた聖句のひとつですが、何度聞かされても鮮度は保たれています。
 今日の福音朗読は大変長いのですが、福音書全体では大変短い個所になりますが、いろいろな教えが秘められています。
 ここは一度でなく、二度三度とよんで味わいところです。しかしわたしには最後の聖句が気になるところです。

 サマリア人は女から聞かされたイエスさんのお話を、女から直に聞かされたのですが、彼女に失礼なことを言うのです。

 <わたしたちが信じるのは、もうあなたが話されたからではない。”わたしたちは自分で聞いて、この方が本当の世の救いの人”であると分かったからである>

 これって、サマリアの女からの話しは??であるがイエスさんからのお話しや接触したから信じられるってことなの?
 これを置き換えると、間接的に聞かされることは”なかなか”信じてもらえない事なの?
これをもう一度、ひねって考えると、神父さんや聖書のお話しは”なかなか”信じてもらえられない事なの??

 やはりそうなんでしょうね、何事も信じることは難しいのです。
 
あっきん 1人がいいねと言っています
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