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ペトロくんさんの投稿

日ごとの福音352

ペトロくんさん
2017.9.14 3:17
(またまた、書き込み中にミスをして、初めからのやり直しです)
  <記憶では2:04‐から書き始めて、今の時間まで書き込んでいたのです。>

2017年9月14日(木曜日)2:42‐3:15です。
十字架称賛   祝日
第一朗読(民数記21・4b-9)
  蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。
または(フィリピ2・6-11)
  神は、へりくだったキリストを高く上げられた。
福音朗読(ヨハネ3・13-17)
  人の子も上げられねばならない。

 今日の「ネットの日ごとの福音」は<十字架称賛   祝日 >となっていますが、わたしにとってなじみの薄い”祝日”です。
 そこで、早速ラウダーテの教会カレンダーから剽窃です。(わたしは確信犯なんですね)

 <今日は、人々の救いと勝利の希望である、キリストの十字架を思い起こす祝日です。
十字架の崇敬は、335年にキリストの墓の上に立てられた復活聖堂の献堂の祝典に関連して定められたと言われています。
  エルサレムではすでに5世紀から、復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、キリストの十字架を礼拝する習慣がありました。これは次第に東方教会全体に広まっていきましたが、ローマ典礼にこの習慣が取り入れられたのは 7世紀になってからです。

この日の典礼は、また、いけにえの大切さを強調する旧約聖書にも根ざしています。
  旧約時代には、「第七の月の十日は贖罪日である。聖なる集会を開きなさい。あなたたちは苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携えなさい。」「第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。」「あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。」(レビ 23.27、34,42)とあるように、「第七の月」(今の9~10月)の10日は「あがないの日」として、大司祭が年に1度至聖所に入り、契約の箱に犠牲の血を振りかけ、民の1年の罪をあがなっていました。また、15日からの1週間は「仮庵の祭り」としてエジプト脱出における神の救いのわざを記念していました。

 新約では、ヘブライ人への手紙(9.6~12参照)の中で、キリストの犠牲とあがないの日の典礼を関係づけています。
 また、ヨハネ福音書で、イエスが「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」(7.37)と大声で言われたのは、幕屋祭(仮庵祭)の折でした。

十字架上で、イエスは多くの人々の罪のあがないのために、ご自身をいけにえとしてささげられました。ですから、イエスの十字架は、私たちにとって新しいいのちへの出発点ともなったのです。
  この十字架は、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(I コリント 1.18)。>

 ざっーと、この通りですが、なぜか私には”使徒パウロのフィリピの教会への手紙”のこの句が記憶に強く残っているのです。

 <イエス・キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした>

…で、その記憶をたどって見たのですが、なかなか思い出せないのです。
 
 また、今もって教会カレンダ―を理解できていませんわたしは、年間第23日木曜日と思っていましたが、祝日の9月14日(十字架称賛)を優先させます。ですから、月刊誌「毎日のミサ」の2011年版では<年間第23日木曜日>はなくなっているのです。もちろん今年の「毎日のミサ」でもないでしょうね?
 そこで、今年の年間第23日木曜日を「毎日のミサの友」(年間通しの一冊)で検索です。もちろんありました。それを黙読してこのブログから分かれます。(完)
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