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ペトロくんさんの投稿

日ごとの福音411

ペトロくんさん
2017.11.12 2:32
2017年11月12日(日知曜日)0:37‐2:30
年間第32主日
第一朗読(知恵6・12-16)
  知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
第二朗読(①テサロニケ4・13-18)
  わたしたちはいつまでも主と共にいることになります
福音朗読(マタイ25・1-13)
  目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
(~0:40)
 これから、今日のための参考資料を読んでいきますね。
  用意されたのは、いつもの「毎日のミサ」(月刊誌)とカトリック新聞の「キリストの光 光のキリスト」ですが、今日はサービスで《「主日の聖書解説」<A年>”雨宮慧”》で、黙って教会の信徒会館にある本を借りたのです。
(~0:47)ようやく準備した参考資料を読み終えました。(~1:25)

やはり、「毎日のミサ」と「キリストの光 光のキリスト」は、とんとんと読み進むことが出来ましたが、さすがに、「主日の聖書解説」では難渋です。
 細かいことは抜きにして、わたしがつねつね思い考えていることに、ストレートの答えが書かれます。
 借り本ですから、傍線が引けませんし、付箋の用意も忘れてその個所を探し出すのが苦労なんですね。
 …ええと、
 第一朗読の”知恵の書”の解釈で最後の項でこんな言葉にぶつかります。
 <…このような知恵が新約聖書でイエスに当てはめられていくのはごく自然なことです。聖書の述べる知恵は体験にもとづく処世術や理性による考察ではありません。神との親密な交わりがもたらす霊的な力なのです>とあります。

 ここでは、霊的の言葉を使いますが、聖書を読んでいつも考えることが、言葉の端々をまっとうに捉えて考えることです。
 綺麗な言葉では理性や常識、普遍的考え方です。
  それがそもそも間違いだと指摘するのですから、根本的なすれ違いですとはもちろん思っていても、そこが問題だと開き直っている自分を、どうしてくれるの、率直に言って直してといつも言っている自分に苦しんでいるのですから…

 …その事例が<キリストの光 光のキリスト>に出てきます。
   <一方、油を持つおとめたちの言葉は、冷たいように感じるかも知れません。…>
  と、そのように感じたわたしがここにいるのです。それ以後の知識の働きはなく思考停止の状態でストップです。
 せめて、ここで知恵の働きが”聖霊”によって導き出されればいいのですが。

 今回初めて読んで見ましたが面白いことに気が付きましたね。
今週の福音の解説があり、その次に◎があり<み言葉の味わい>コーナ?があります。
 ここには”寓喩的解釈の功罪”がありましたね。
”油”の話しです。<キリストの光 光のキリスト>では、「油は何を象徴しているのでしょう。これについては、愛、聖霊、イエス様の望みを実践する行動など、さまざまな意見があります。いずれにせよ…」はまさしく”寓喩的解釈”になりますが、新共同訳の「新約聖書註解」では、
 <例えば用意すべき「油」は聖霊であるというような寓喩的解釈は牽強付会になり、妥当とは言えない、とされています>とあり、その後から著者(雨宮慧さん)の考え方が付加されます。
 大変面白い所でして、これってカトリックとプロテスタントの解釈の違いなの、思わずため息が出る…??

 さらに面白いのは最後の言葉が<大切なのは、あらゆる解釈に心を開き、その根拠に耳を傾けることでしょ>と、軟着陸ですとばかり、八方美人でまとめます。
 …やはりカトリック的にま~るくおさめるのです。(~2:30)
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