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麦秋さんの投稿
麦秋さん
麦秋 さんのつぶやき
2017.11.14 19:36
○ 11月14日千葉市は小雨模様、気温は17℃。高校時代からの友人と千葉市美術館「画壇の悪魔派と呼ばれた北野恒富展」を鑑賞に行く。
○ 北野恒富は別に悪魔のような恐ろしい画家ではありません。ただ妖艶の女性を描いたから悪魔派と呼ばれたのです。
○ 北野恒富に活躍した時代は大正期、昭和初年期、平和な時代であった事に注目したい。
○ 北野の門弟の一人である女性日本画家四夷星乃は、北野の葬儀で読んだ弔辞の中で彼の人間性を「常日頃の先生の人格と作風をしたひて集ふ弟子たちの、出品画には自ら筆をとりて御なほし下され、發表の日には夜の更くる迄も共に入選を案じ下さる先生でございました。一度藝道の話となるや時の過ぐるも忘れ熱中いたされましたと表現している。
○ 北野恒富(1880–1947)は金沢の生まれ。はじめ新聞の版下彫刻を手がけますが、17歳で大阪に出て絵師に転じ、まずは新聞小説の挿絵で名をはせました。
○ 華やかな美人画ポスターでも人気を得ますが、明治43年(1910)の文展で《すだく虫》が初入選、翌年の同展でも《日照雨》が三等賞となり、日本画家としての地位を確立します。
○  大正3年(1914)再興第1回院展に《願いの糸》を出品、以後は同展を主な舞台に、東京の鏑木清方、京都の上村松園と並ぶ、大阪を代表する美人画家として活躍を続けました。
○ 高い技術と自由な発想を兼ねそなえ、また最初期は妖艶な女性像に挑んで「画壇の悪魔派」と呼ばれ、大正中期には《淀君》に代表される内面表現の深化を見せ、昭和に入るとモダンかつはんなりとした清澄な画風に到達するその多彩さも、他の画家にはない、独自の光を放ちます。
○  今回の展覧会は北野恒富の没後70年を記念し、官展や院展で発表された名品に加え、門下の作品や関連資料も網羅する久々の大回顧展です。妖艶と清楚、聖と俗の交錯する、恒富の魅力に迫っています。
○ また千葉市美術館所蔵の竹久夢二、上村松園、伊藤深水、鏑木清方の美人画も鑑賞できて嬉しかった。
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