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麦秋さんの投稿
麦秋さん
麦秋 さんのつぶやき
2017.11.14 23:23
11月14日NHK先人たちの底力知恵泉「ガラスの天井に挑んだ戦国女性たち淀」を見る。
○ プライドが高く気の強い女性だと言われ続けている幼名「茶々」淀殿。
私たちの知る所では淀殿は毀誉褒貶に大きい女性である。
○ しかし淀殿の視点で、その行動と時代を見つめると、現代にも通じる「逆境に陥った時の生き方」の知恵が見えてくる。
○ 淀殿は戦国大名・浅井家の姫として不自由ない暮らしから一変、両親の死、姉妹との別れなど、過酷な人生を歩んでいった淀殿。この辛苦が淀殿の性格に影響したに違いない。
淀殿の希望は浅井家の再興であった。
○ 淀殿は、そのどん底の経験から、秀吉の側室、そして秀頼の母として、その後の人生をどのような「思い」で生きたのか。
○ 淀殿は長男鶴丸を幼なく亡くしてから、次男捨丸後の秀頼を自らの乳で育て楽しい家庭を作ろうとし、最高の教育を受けさせる。
○ 豊臣秀吉の死後、淀殿は徳川家康と渡り合いなければならなかった
○ 淀殿は「関ヶ原の合戦」も家臣同士の戦いとして処理する。
淀殿の感覚では徳川家康は豊臣秀頼の家臣である。
淀殿は徳川家康に憤懣やることない思いを持つ。
しかし徳川家康は武将達の所領を自由に分配する。
○ 徳川家康は二条城に19歳になった秀頼を呼び寄せ面会する。家康は成長した秀頼を見て警戒する。そして豊臣家滅亡を決意する。
○ 徳川家康はほ京都、方広寺の鐘銘の文字に家康を呪う文字があると難癖を付ける。
徳川家康は豊臣家存続の3条件を出す。
1秀頼を江戸により寄せ挨拶させる。2秀頼を大坂城から出て他国に移る。3淀殿を人質として江戸に差し出す。
○ 淀殿はこのいずれの条件も受け入れない。
やがて徳川家康は大軍を率い大阪城を攻め落とし淀殿と秀頼は戦火の中に命を落とし、豊臣家は滅亡する。
六八彦左 2人がいいねと言っています
コメント
麦秋さん
麦秋 さんのコメント
2017.11.15 12:53
彦左さん見て頂き有り難う御座います。
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麦秋さん
麦秋 さんのコメント
2017.11.15 8:20
六八さん見て頂き有り難う御座います。思えば豊臣秀吉の朝鮮出兵、千利休の切腹、譜代の部下の不足、部下の仲違いなど多くの要因が豊臣家を滅ぼしたのではありませんでしょうか。もしかしたら秀吉は50歳後半には認知症であったかも知れませんね。
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