とんとん さん
とんとんさんの投稿
昨日のテレビの映画
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とんとん さんのブログ2017.12.21 11:38
今の時代は1/3が愛着障害かもしれないのだとネットに書いてあった
共働きなんていう言葉はもうなくなったのかな
私が子どもの頃、母親が働きに行っている家は少なかった
子どもの顔を見る暇が無いほど働く母親のもとで、保育園の先生は、子どもと接触する時間の長さは問題じゃなく、密度の問題だと言ったけど
疲れ切っている母親に、子どもの表情の違いがそんなにわかるはずはない
そういう子育ての中で、愛着障害は、きっと前より増えているというのも頷ける
私はお金があったら、母は働きに行かないですむのにと思った
隠してあったカギを開けて独りぼっちで夕方を待つとき
学校での困ったことを話す相手も居なかった
母親は子どもを愛さないわけがない、なんて言える人は
当たり前と思っていたんだろうなと、思うけど
当たり前なんてことないのにね
私は母がお金がないから働いているんだと思ったし
私はお金が足りなくても家にいたいと思った
私の子ども達の時代は、余所のお母さんはほとんどみんな働いていたのに
そして60にもなって、みんなが定年という頃
働いておかなかったことが悔やまれた
何の経験も無く今ごろからは働けない
子どもの頃、長姉が玉子の殻と千代紙でおひな様を作ってくれた
次姉に女の子が生まれたとき、母は今ならおひな様が買えるからと、七段飾りのおひな様を買った
私に娘が生まれたときも
夫の母の手前があるからと七段飾りを買った
大きくなれば、借家から今の家になったら和室もなくておひな様飾るとこなどなくて
タンスの上に置けるような箱に入った小さい豆雛で良いのにと思った
共働きとおひな様を一緒に書くのも変だけど
無から有 大から小 居ないから居る 居るから居ない
その繰り返しをするものなのだろうか
手に職、キャリアがあれば、家を出ることの選択だって出来たのに、なんてことはタラレバだけれど
昨日の夜、テレビで映画を観た
「湯が沸くほどの熱い愛」
宮沢りえが主演で、余命3ヶ月とか言う時になって
家出していた夫を探し、探した夫には一夜だけで生まれたという娘が居て、母が迎えに来るのを待っている
娘は高校でいじめに遭っていて、その娘を励ます母
だけど、その娘は本当は自分の娘ではなくて
タカアシガニを食べに行って母親に会わせる
その母親が聾唖で、娘はいつか役に立つときが来るからと、手話を娘に習わせていて、初対面でも実の親と手話で話が出来る,実の親が号泣してた
夫の子どもだという女の子も、迎えに来るからという言葉を信じて待っていたけど、その言葉は母親自身の子どもの頃の記憶と同じだった
実の母親を探偵に頼んで見つけるけど、母親はそんな娘は居ないという
玄関から家の様子を見て思わず窓ガラスに石だか置物だかを投げて、ガラスが割れて、慌てて探偵が抱きかかえるようにみんなで逃げて、このくらいのことしたって当たり前だ、なんて思った私
母親が亡くなると言うことを家族全員で、受け止めて、ばらばらにいた者を集めて
お葬式も素敵なお葬式だった
良いなあ、こういう映画、人生、余命3ヶ月なんてわかる病気だったら、辛くて痛くて苦しんでも、やりたいことがやれるなんて思った
自分が産んだ子でもそうでなくても本当の母親って、こういう人のこと言うんだって・・・
私が良い親だったなんて言うつもりは無いけど
親って子どもを産むだけじゃないんだって
食べさせれば良いわけじゃないんだって
お金で買えないことでいっぱいにする努力も必要なんだって
子どもに、親に愛されなかったなんて思わせちゃいけないんだって・・・
共働きなんていう言葉はもうなくなったのかな
私が子どもの頃、母親が働きに行っている家は少なかった
子どもの顔を見る暇が無いほど働く母親のもとで、保育園の先生は、子どもと接触する時間の長さは問題じゃなく、密度の問題だと言ったけど
疲れ切っている母親に、子どもの表情の違いがそんなにわかるはずはない
そういう子育ての中で、愛着障害は、きっと前より増えているというのも頷ける
私はお金があったら、母は働きに行かないですむのにと思った
隠してあったカギを開けて独りぼっちで夕方を待つとき
学校での困ったことを話す相手も居なかった
母親は子どもを愛さないわけがない、なんて言える人は
当たり前と思っていたんだろうなと、思うけど
当たり前なんてことないのにね
私は母がお金がないから働いているんだと思ったし
私はお金が足りなくても家にいたいと思った
私の子ども達の時代は、余所のお母さんはほとんどみんな働いていたのに
そして60にもなって、みんなが定年という頃
働いておかなかったことが悔やまれた
何の経験も無く今ごろからは働けない
子どもの頃、長姉が玉子の殻と千代紙でおひな様を作ってくれた
次姉に女の子が生まれたとき、母は今ならおひな様が買えるからと、七段飾りのおひな様を買った
私に娘が生まれたときも
夫の母の手前があるからと七段飾りを買った
大きくなれば、借家から今の家になったら和室もなくておひな様飾るとこなどなくて
タンスの上に置けるような箱に入った小さい豆雛で良いのにと思った
共働きとおひな様を一緒に書くのも変だけど
無から有 大から小 居ないから居る 居るから居ない
その繰り返しをするものなのだろうか
手に職、キャリアがあれば、家を出ることの選択だって出来たのに、なんてことはタラレバだけれど
昨日の夜、テレビで映画を観た
「湯が沸くほどの熱い愛」
宮沢りえが主演で、余命3ヶ月とか言う時になって
家出していた夫を探し、探した夫には一夜だけで生まれたという娘が居て、母が迎えに来るのを待っている
娘は高校でいじめに遭っていて、その娘を励ます母
だけど、その娘は本当は自分の娘ではなくて
タカアシガニを食べに行って母親に会わせる
その母親が聾唖で、娘はいつか役に立つときが来るからと、手話を娘に習わせていて、初対面でも実の親と手話で話が出来る,実の親が号泣してた
夫の子どもだという女の子も、迎えに来るからという言葉を信じて待っていたけど、その言葉は母親自身の子どもの頃の記憶と同じだった
実の母親を探偵に頼んで見つけるけど、母親はそんな娘は居ないという
玄関から家の様子を見て思わず窓ガラスに石だか置物だかを投げて、ガラスが割れて、慌てて探偵が抱きかかえるようにみんなで逃げて、このくらいのことしたって当たり前だ、なんて思った私
母親が亡くなると言うことを家族全員で、受け止めて、ばらばらにいた者を集めて
お葬式も素敵なお葬式だった
良いなあ、こういう映画、人生、余命3ヶ月なんてわかる病気だったら、辛くて痛くて苦しんでも、やりたいことがやれるなんて思った
自分が産んだ子でもそうでなくても本当の母親って、こういう人のこと言うんだって・・・
私が良い親だったなんて言うつもりは無いけど
親って子どもを産むだけじゃないんだって
食べさせれば良いわけじゃないんだって
お金で買えないことでいっぱいにする努力も必要なんだって
子どもに、親に愛されなかったなんて思わせちゃいけないんだって・・・
こんばんは^^
農家さんだったのですね^^朝ドラのひよっこのようなことですよね・・・
家は田舎にいても田畑がある家ではなかったので
父は長男だけれど、財産なかったし・・・
男の子は、父親に反発することが生きる目標になる場合もあるんですね
女の子は母に反発・・・
ご夫婦2人ですか
私のお友だちにもたくさん居ます、お子さんに恵まれなかったと
子育て時代がない2人が今まで仲良く居ることに、素敵だなと思います
共に頑張ったはずなのに、どうして夫婦仲が良くなくなってしまうのか・・・次男が居てくれなかったらどんなことになっていたかと思います^^;
こんばんは^^
うんうん、昔は働くのが当たり前だったのね
遊ぶ事なんて考えなかった、毎日が一杯一杯で
私は昭和27年生まれだけれど、この頃から悪くなったとか、変わったとか言われてきたような気がする
丁度境目にいたみたいな
働くのが当たり前の時代と、そうでない時代、やはりその中に組み込まれていく事って有ると思う・・・時代だからと言うしかない・・・
昔は洋服の穴が空いたところのつぎあてはちゃんとした家庭と言うことだったけど、私が大きくなっていく頃、つぎあてなんて誰もいなかったもの・・・
昔のこと母親と言えば・・・今の母親と 如何違うのかな・・・
nobuoっち 母親良く働いたよ
親父が 土方の親方で 若い衆20~30人位使い 土方仕事
ほとんど 家に居ない 旅から旅・・・nobuoおばあちゃん子だった
三度三度の大家族の 飯炊きやっていた母親・・・頭下がるよ
遊ぶこと無く 遊ぶところもなく・・・一体何を糧に生きていたのかな
みんなそうだけれど 素朴で 質素に生きていたんだよネ 時代と言えば その二文字に
尽きるのかな。