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桃花さんの投稿

藤沢京

桃花さん
桃花 さんのブログ[カテゴリ:歴史旅
2017.12.29 7:41
「藤原京」は「藤沢京」だった

京田辺の「竹取翁博物館」(国際かぐや姫学会)がYouTubeで発表したところの
インタビュー映像に対して「桃花ど素人歴史愛好会」が考証しました
神奈川県藤沢市に続いた都を橿原市に移したという説です
つまり「大化の改新」の現場は神奈川県の出来事だったという驚愕の話です
「飛鳥時代」は奈良の明日香だと誰もが思い込んでました
しかし教科書に載ってることって嘘が多いことも確かです
戦後教科書を黒く塗ったり 新しい発見があると書き変わったりします
国際的には為政者の都合で 無かったことも記念日や少女像になりますよね
不可逆的合意と言いながら 自ら平気でひっくり返す某国もありました
残念ながら近隣国ではごく当たり前のことですね 我国でも同じようなものです
藤沢京からの遷都について地理的に調べてみました
私の好きな「ライン引き」を 藤沢から橿原に引きました
藤沢朝廷の「鵠沼神明皇大神宮」が起点になります
藤原京までの直線距離347km
途中通過する地名は茅ヶ崎「八雲神社」ヤコブを祀る・垂仁天皇宅・キリスト居候
相模川河口(千の川・旧アスカ川)  二宮・吾妻宮  箱根山・オシホミミ尊御陵
一志・白山ひめ神社   宇陀・鳥見山   初瀬・長谷寺    
オイコラッ!「キリスト居候とは何事だ」とお思いのバテレンの方に(笑)
イエス・キリストが来日したことは 日本の皆さんならご周知の通りです
竹内文書にもありますが 青森は新郷村戸来に墓がありますので晩年過ごされました 
しかし日本のどこで修行したかは判りませんでした
富山の皇祖皇大神宮だと思ってましたが ここは歴代のセレモニーの場所なのですね
いつも詰めてるわけではありませんので 垂仁邸が八雲神社境内地なら話は早いです

もうひとつ 当時の日本語はヘブライ語だったという話です
だからキリストは来日しても不自由なく会話できたというのですね
あれから2千年、、、今の日本語に変わってきたのです
「母父の言葉」→ → ふぶの言葉 → → ヘブライ語

歴史的背景から見てみましょう
伊勢原大山の「阿夫利神社」 お札に神代文字で「あふりかのかみ」と書いてあります
エジプトの宰相「ヨセフ」のことです
BC1700年 家系は アブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブ、ヤコブの子ヨセフ
そしてヨセフは祖先がいる日本に来ます 「伯母さまBS」の所がヨセフの御陵です
今は何もありません、、、、そうそう茶碗1個ありました 少し掘ってみたかった〜

イエスの先祖がヨセフですから イエスははるばる日本に来てヨセフの霊と出会います
八雲神社(ヤコブを祀る)と阿夫利神社で修行しました
垂仁天皇がヤコブを祀るという事は同じ家系となるのでしょうね
神武天皇はシュメールから来ました 地元ではスメルと発音しますからスメラミコトです
元々は日本人ですがアブラハム系の血筋です
つまり垂仁もイエスも同族筋なのです
神武は奈良に入らず相模の大和に来ました そして大山の入り口「比々多神社」で即位します
知ってても知らなくても人は血筋で動きます サラブレットも同じですよね
しっかし「キタサンブラック」は強かったですねえ 最強サブちゃんの血筋です(笑) 

徐福が来たのはBC300年頃でしたね
不老不死の薬を求めて来ました しかし何故か童子3,000人を連れてきましたね
住んだのは伊勢原の隣 秦野でした
わざわざ辺鄙な所に来たのではなく 神奈川が蓬莱国の中心だったから来たのです
後から秦始皇帝が来るので彼の都作りのために童子たちを先発したのです

これらの事からも「藤沢京」が奈良の藤原京の前身だった可能性が高いのです
なぜ藤沢を捨てたかって? それは富士山が活発な活動を始めたからです
天照神の孫アスカホノアカリ尊が築いた奈良の都に避難合流するためです
天照神のもう一人の孫瓊々杵尊は九州を統治していました
時を経て神武の後継者が神武がなしえなかった奈良入りをしたのです
欠史八代とか十代とか言いますが 奈良にはいなかっただけで神奈川には存在したのかもしれません
「記紀」はデタラメです 明治政府は帰化人たちの大嘘を国史にしました
「明治維新」は日本にとって不幸の夜明けだったのかもしれません
<前編おわり>

「国際かぐや姫学会」のYouTube映像はとにかく面白いです
歴史好きの貴方も貴女もひっくり返って喜びます(笑)


彦左コキリコふぐのひれ酒ぬる湯アカシアnobuo 6人がいいねと言っています
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