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いのうえさん
いのうえ さんのブログ[カテゴリ:人権とは
2018.5.14 7:30
ボランティア中心の生き方になったきっかけは、
41歳で始めたアムネスティ。

午前中は放射線技師、夕方から塾という生活で、
結構、自由時間があった。

ボランティア中心と言っていいほど、
ボランティア三昧の生き方になった。

アムネスティから初めて、教育や福祉や原発や、
市政への関わりなど、できることは大体やったという感じ。
しかし、成果と言えるものはない。
一人の力など、知れている。

アムネスティをする前、
死刑問題は、考えたこともなかった。
人を殺したら、相応の報いを受けるのは
当然と思っていた。
今でも多数意見だろう。

死刑囚や犯罪者の手記などを読むにつれて、
普通人と犯罪者には、違いがないと実感。

永山則夫さんも、ごく普通の人。
ただし、生い立ちは異常。

私は吃音という障害があったので、
中学くらいから、こころの問題に関心があった。
色々な本を読んだ。

私の学んだ結論を簡単に言うと、
人は皆、例外なく、こころの問題を抱えている。
心の偏執的こだわりとも言える。

多くは、自分の問題に気付かないままで死ぬ。
各人の違いは、生活や仕事や人間関係が普通にできるか、どうかの違い。
普通にできない人は、病人になるか、犯罪者になるか、
世間の厄介者になるか、など。

様々な依存症の人々もいる。
薬物、アルコール、ギャンブル、セックス、など
お金への依存症は、現在社会ではあまり問題とならない。
モノへの依存症も問題とならない。
今の時代、お金やモノに、特別な価値を与える時代だから。

昔は女性を虐待しても問題とならなかった。
ハラスメントも普通だった。

こころの問題は、ひどくなれば障害となる。
たとえば、殺人への異常な嗜好性があったとしても、
殺人が褒められる環境では、問題とならない。

障害となるかどうかは、
時代や生活環境で異なる。
異常なサディストでも、環境さえ良ければ、立派な人となる。

こころの問題は、各人それぞれ多様で、
一概に評価できない。
その人の成長に役立つ障害もあれば、
堕落させる障害もある。

犯罪者になるかどうかは、
生育環境と遺伝と、生まれながらの本人の資質と、
それに本人自身の感じ方、努力、友人関係によるだろう。
普通の人と同じだ。

どんなに優れた人でも、
犯罪者になりえる。
冤罪もある。

誰から見ても悪人のような人でも、
立派なことをすることもある。
このたびの金さんが良い例になるかどうか。

私の実体験から言えることだが。
人には、偉いも賢いもない。
もちろん、悪人も善人もない。

安部さんも、どう見ても、誠実とは言い難いが、
政治家としては有能かもしれない。

もし、賢い人がいたとして、
その人のこころを知るなら、
たぶん、びっくりするだろう。

今日見たブログで、
後期高齢者くらいの年齢になれば、
職業の貴賤などという偏見はなくなるという、内容があった。

職業の貴賤。
あるいは、
人の容貌、美醜。
学歴や学校の成績。
人は、簡単に騙されるいきもの。

たぶん、自分自身のこころに騙されやすい。
世の中には、
「自分はいい人」だと思い込んでいる人がいかに多いか。
しょうく海食崖ふぐのひれ酒星空おー 5人がいいねと言っています
コメント
おーさん
おー さんのコメント
2018.5.14 15:07
なるほど、人は誰も50歩100歩目くそ鼻くそなのかもしれません。
だからといって、みそくそ一緒でいいと言う理屈にはなりません。

そもそも社会という群れを作るのは、参加者が共生するからです。
ところが、その社会に他人の不幸を望み傷つける人や、社会自体を壊したい人、他人から何かを奪う人がいたら、社会が成り立たなくなったり、共生ができなくなります。
その基準は変遷することはありましょうが、その理屈は一緒であり普遍的なものです。

また、自分で責任を持てない人に、自由など与えるべきではありません。
それによって、他の人が不幸になることがあり、それは社会悪だからです。

もう一つ、同じ50歩100歩でも少しでも100歩に近づこうとする人もいれば、どちらも変わらないのだから何の努力もしない人もいるでしょう。努力を怠る者がいい人になろうと努力をする人を批判するようではいけないと思います。
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