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べんさんの投稿
べんさん
べん さんのつぶやき
2018.6.24 18:06
空襲

小学校入学直前まで台湾 花蓮に住んでいた。

初めての空襲は、父親が家にいたから日曜日だと思う。
「起きろ!!」
父親の大声で昼寝をしているところを、たたき起こされた。空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。
「お前らは家の向かいにある穴に入れ!」
家の前、道路の反対側に走るとき、右方を見たら海上に無数の黒い飛行機が見えた。
まだ防空壕は整備されてなく、畳1.5枚位の大きさで深さ1.5m程の素掘りの穴が
2か所並べて掘ってあった。そこへ父親が家から畳を持ち出して被せた。
被せ終わるころには上空に敵戦闘機が殺到していた。

「キュィ~~~~ン」なんとも気味の悪い飛行機の急降下音、
「バリバリバリッ」機銃掃射音
「クィ~~~ン」急上昇音
繰り返し、繰り返し響いていた。
「アイゴ~~ アイゴ~~ アイゴ~~」
対岸にある病院から泣き声が、途切れることなく聞こえてくる。

なぜか入った穴には子供達だけが四人だった。しばらくは穴の中で膝を抱いて、震えながら身を屈めていると、急に外の様子が変わった。畳の隙間から空を見上げると日の丸をつけた飛行機と、米軍機が入り乱れて空中戦を展開していた。それで地上攻撃は収まったのだった。
 
 逃げる米軍機を機銃掃射しながら追いかける日本軍機、と、その後ろに迫る米軍機。作り話にも聞こえそうな展開を、目の当たりにした。戦闘を飽きることなく見上げていた。
 まだまだ当時は日本軍が優勢のように見えた。多くの米軍機が黒煙を噴き出して、海上方面に飛び去ってゆくのが見えた。日の丸をつけた飛行機が黒煙を吹き出すのも見えた。どれくらいの時間がたったかわからない。
「もう、出てもいいよ」
被せた畳をわきに寄せて父親の声がした。

 恐怖の初体験は鮮明な記憶として忘れることはない。

昨日は沖縄戦没者追悼式典が行われた。無事に今を生きることに感謝したい。そして二度と
同じ体験はしたくない。
katsu625しょうくSf-star ☆☆☆ぽーちゃんジェンネ コロいのうえアカシア 8人がいいねと言っています
コメント
べんさん
べん さんのコメント
2018.6.25 9:18
サムライウーマンさん

そうです。生きていればこそです。
0人がいいねと言っています
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