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久野古墳群と、ミカン狩り

しょうくさん
しょうく さんのブログ[カテゴリ:しょうくの鶏肋日記
2015.11.29 16:04
11月29日(日)
 今朝窓際温度計は12℃、湿度66%、ただし計測時間が30分遅れ。昨日小田原へ古墳群とミカン狩り、少し変な組み合わせ、緑のトラスト財団のお誘いで、行ってきました、孫たちが夕方にはわが家へ来るので、少しせわしないことだったが、行ってきました。

 小田急のあしがえらえき下車、歩いて木の古墳群まで、トラスト財団の方とご一緒、丘陵の斜面の住宅街を抜けると、小田原厚木道路を隔てて、丹沢山塊がきれいに見える。

 右の端の、整た形の山が大山、きれいなパノラマを楽しんで、しばらくすると、久野古墳1号墳と名付けられた大きな円墳、直径は60mというからずいぶん大きいし丘陵の端の高い部分に作られていることから、多分、このあたりを収めた首長の墳墓だろう。発掘調査がされていないので、はっきりしたことはもちろんわからないが、古墳が作られたのは、6世紀から7世紀ではないかと思われる。
 奈良や飛鳥あたりではそろそろ巨大古墳が作られなくなってきているころ、こちら東国で、左官胃古墳が築かれ始めたころのものではないかと思う。
 
 丘陵のあちこち、ミカン畑が見え始める、ここからさらに丘陵沿いにはたくさんの古墳が点在し、ミカン畑などを手入れしたり開発したりすると、いろいろな埋蔵物が出土し、畑の工作を休止せざるを得ないような事態が起こるので、皆あまり大規模な開発や、ミカン畑の手入れをしないとかいうことで、ずいぶん参ったミカンの木などが散見される。

 このあたりで数少ない発掘調査が行われた4号墳を見る。川原石が積まれ、天井部分は相当大きな石の屋根が作られている、まんじゅうを二つ重ねたような形だったそうで、鉄剣なども出土したという。

 現在も個人所有の土地なので、個人の責任での管理が行われているそうでした。横穴を掘りそこに川原石などを積んで石室を作り棺を安置するような形式、近畿地方などの巨大古墳の初期のもののように小山を築きその山頂あたりに棺を安置する形式ではない、古墳時代後期の形式のようだった。

 数少ない調査済みの古墳を見てから、今度はミカン狩り、少し実のつけ過ぎそんな気が多かった、摘果もあまりしないような話だった。
 たくさん取っては食べ、1㎏ちょっとだけはザックに収め、残りは宅急便で送ってもらうことにして早々に引き上げ。
 
 家へ帰るのがあまり遅くなると、孫たちを待たせるので、丘陵からただ下るだけの道を駅へ急ぎ、15:00には何とか小田原着、家へ着いたら16:10分くらい,しばらくして孫の襲来、お土産のミカンは1人2個まで。
 食後は、孫と久しぶりに一緒にふろに入る、どんどん私の手間などかけずにふろに入るようになり、ふろから上がったら、こちらは、昼間の疲れで杉の布団に入る、孫が起こしに来て,TVでスケートを
一緒に見ようというが、半分くらいでこちらは寝てしまった。
信々亭tshodongかべ鴉@スズジイ@ 4人がいいねと言っています
コメント
アセビストさん
アセビスト さんのコメント
2015.11.29 18:49
しょうくさん こんばんは。

古墳群のご紹介 興味深く拝見しました。近畿地方の大きな古墳には行ったことは
ありませんが、時代も全く違う土器などの出土品には子供のころ興味があって、
故郷のお寺の御住職が引率して、子供たちを近くの遺跡に連れて行ってもらったこと
を思い出しました。

ミカン狩りでのお土産をもって、お孫さんとのひととき 賑やかだったことでしょうね。
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