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麦秋さん
麦秋 さんのつぶやき
2019.1.13 12:50
「原始日本語のおもかげ 木村紀子」読む。
○ 希望としては万葉集等古典詩歌の言葉から現代文の比較、考察を多く行って欲しかった。
軽くエッセイ風に書きながら、論拠として記紀万葉から鎌倉期までの文献に幅広く目配せが利いている。学術的に言える範囲で古代日本語の面影が書かれていて良心的な本です。ふだん古典文学を読むときに、ともすれば現代語訳を見て分かった気になってしまいますが、実は一つ一つの言葉には深い背景があることが分かる。今後の読書においてもう少し深い読みができるための入門書となる。
○ 最初の新書ということもあり、小ネタ集的な入門書になっている。以下、面白かった処を取り上げよう。
・ムラも共同体としての本来の言葉が、「年越し派遣村」という言葉として蘇った。昔のコエが今に生き続けることがある。
・茸方言分布地図(『日本方言大辞典』小学館昭和30年代の調査)。キノコ(東日本)、コケ(越の国の範囲)、タケ(吉備国の範囲山陰含む)、ナバ(九州・四国・西中国)で分かれている。
・この世のあらゆる現象の、その転々するままを表現する動詞が「ナル」である。ナルは、日本語を話したり書いたりすれば、半ば無意識のうちに頻繁に使っている。日本語の根幹を為す動詞の一つである。それゆえにまた、「ナったことは仕方ない」とばかりに「ナリ行き」に任せて責任をぼかし、諦めの早い国民性のもとになっていると思われる。
・「したたる塩、つもりて嶋と成る」といったナルなら、現代の語感と何ら違和はないが、「高天原に成る神」等の「神がナル」という言い方は、今は言わない。「風になる・母となる・顔が赤くなる」といったト・ニ等の助辞や形容詞による補語をとる言い方でないものは、現代語では「柿の実がなる」などの場合に限られ、神や人や鳥獣が(この世に)ナルとは言わない。
・アリとナルの用法は交錯してもいる。現代語でも「こうナリたい」と「こうアリたい」とは、ほぼ同義語であるが、「ナリたい」が時間軸上でなりゆく先を希求するのに対して、「アリたい」は、あくまで今の状態に沿った希求を言う。アラゆるものは、またナッたもの、ナリ行くものである。
・(松尾芭蕉の言では)「おのずとナル」句の方が、「みずからスル」句よりも上位であるとの説。(略)人の意図的な作為(スルこと)など、千変万化する(ナリゆく)造化の営みに比べれば何ほどのものでも無いと断言している。
・ことほどさように、古来「ナル」に対する否定的な文言は、あまり見出すことが出来ない。もとより「ナル」とは、抗えず否定出来ないこの世の万象の現実である。
ほなっ日記白髪鬼 2人がいいねと言っています
コメント
白髪鬼さん
白髪鬼 さんのコメント
2019.1.13 16:44
自分も昔やってみたことがあります。
昔言葉は単音から変化してきたものが多いいと思っております。
ナル ナ(現在の成るに近い意味)からの変化、、とか。
今年の干支イノシシは。
 猪(イ)のシシ(肉(しし))  現在でも太り肉(ふとりじし)などと使う。
   猪の肉は稲の害獣として食していた、、、いのしし、、とも考えたことがあります。
 あくまでも屁理屈晩期高齢者の独善です、、ごめんなさい。
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一の糸さん
一の糸 さんのコメント
2019.1.13 14:01
うーむ。
難しい話です。
興味はあるのですが。
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