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しょうくさんの投稿

馬はいつ頃から日本に

しょうくさん
しょうく さんのブログ[カテゴリ:しょうくの鶏肋日記
2019.2.12 7:50
2月12日(火)
 今朝窓際温度計は、6℃、湿度59%、はれ。昨日と同じくらいの冷たさ、でも空は晴れて気持ちの良い冬晴れといったところ。
 昨日、横浜歴博へ馬がわが国へ渡来したことに関する講演会を聞きに行ってきた、日本列島に縄文のころに馬がいたかどうかは、ハッキリしないし、その証拠も見つかってはいないようで、古墳が作られるようになってからは、多くの馬具なども見つかっているし、馬の骨?ももちろん見つかっている、騎馬民族渡来王朝説などが有名ですね。
 盛んに古墳が作られた時代、馬とともに渡来した騎馬民族が、征服王朝を築いたという説ですね。魏志倭人伝には、倭国は、牛馬なしと云っているから、その後になって馬を伴って渡来した民族が王朝を作ったという事ですが、現在余り確定的なことはわかりませんね。

 メジロが追い払われたのか、この頃は姿を見せずツグミや、メジロより大きな鳥たちが我が家のエサ台へやってきて盛んにエサを啄んでゆく。
 馬の話に戻ると、やはり馬に乗って行動は早いし、それに上から民草を見下して、いろいろのたまえば、権威も増してきたのでしょうね。
 横浜も、武蔵の国の方では馬を飼う「牧」があったようで、武蔵の国、石川牧,立野牧、などの名が延喜式に出てきているようでした。

 歴博のある都築のあたりでは、たまに大きな梅の木などもあり、花が盛りのようなところもありましたが、この頃はどんどん家が増えてきていました。
 大きな古墳に付属した小さな塚に馬が埋葬されている事例もあったようで興味深いものがありました。

 昨日はあまり天気が良くなくて、歴博近くを歩くつもりでしたが、鳥や雨て早めに日陰てきてしまいました、福寿草も半分閉じかけたようなのを見かけただけで、あまり写真を写すことも無く、早めに帰って、ゆっくり休んだことでした、どうやら今日は天気もよさそうで、何処かぶらりをしようかな。
りょうコキリコ信々亭ピエノセキサン2ホープ鳥のように白髪鬼 8人がいいねと言っています
コメント
ぎ~やんさん
ぎ~やん さんのコメント
2019.2.12 8:43
馬の噺で思いつくのは「馬と言うのは『顔が長いねえ』生まれつきなのか、それとも・・・?」
「馬に餌をやる『飼い葉桶が長く』毎度それを喰ってるうちに、顔が長くなった」
「・・・となると、馬にょりもエサを差し出す『桶(おけ)』の方が早くからあったのか?」
落語の世界では、誠に高尚な議論が続くのであります。
ちなみにこの珍論議は、人間国宝で上方の噺家桂米朝師の「饅頭こわい」のマクラです。
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しょうくさん
しょうく さんの返信コメント
2019.2.12 9:06
馬が先か飼葉おけが先か・・・・。
ソウデスヨ、カイバオケガサキデスヨ。
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コキリコさん
コキリコ さんのコメント
2019.2.12 8:34
馬を戦いの力として利用した「騎馬民族」が日本を征服したという
説、ありましたね。
江上先生がその提唱者。

土偶とか骨の出土とかの物的証拠がそろうの弥生時代以降だから、かなり説得力が
ありますが、「彼らが馬を用いたから征服した」というほど単純ではないかと
私は思ってます。

稲作に欠かせない優れた土木技術も併せ持っていたから、経済力と武力で
縄文人も納得ずくで国をまとめていったと考えています。
巨大古墳の築造も土木技術があって初めて可能となる。
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しょうくさん
しょうく さんの返信コメント
2019.2.12 8:44
騎馬民族の王朝説は、現在ではやや否定的のようですね。
馬がある種のステータスとしていたことは確かでしょうが、少し無理がありそうです。
矢張り軍事力だけではなく、食料の生産技術がものをいったような気がしますね。
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