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鳥のようにさんの投稿

子供の頃の思い出

鳥のようにさん
2019.5.15 3:57
生家は海岸に近い三軒長屋、夏休みになると、海水パンツに裸足で毎日のように海に行ってた。
海が遊び場であった、海水浴場だったから7月1日が海開き、7月25日からが夏休み、夏休み前には学校でツベルクリン反応を調べる為の予防接種の様なのがあって、どの子も反応が陽性である事を願ったものである、ツベルクリン反応が陰性だと、多分結核?に抵抗力が無いと、海に入る事を禁じられたから楽しい夏休みでは無くなる訳だ。
そのツベルクリン反応の結果で、校区の水練学校への入学が左右されるから非常に重要なイベントであった、背は高いが痩せ型の私であったが毎夏、海に入っても良い許可が貰えた。
終業式が済んで家に帰ると、通知簿も宿題のドリルもプリントも放り投げて海水パンツに履き替えた。

土の道路でも午後になると裸足では、じっと立って居られない程焼けてくる、しかし友達の誰もが裸足で海へ向かう、履いて行くと、置いた場所が分からなくなるし、波に流されたり、捨てられたりするから裸足で行くので有る。

それでも、いきなり海に飛び込んだりはしなかった、友達同士が輪になって準備体操を必ず行った、体操が終わると、小指に唾気を付けて耳に入れて耳に水が入らない様に、此れってほぼ呪い程の効果であったであろう、当時水中メガネも浮き輪も耳栓も余程裕福な家の子で無いと持ってなかった。

話は変わって、浜の子は朝が早い、寝坊な子はあまり居ない、
明け方は沖へ漁に出るポンポン船の音で目が覚めて、地引網を引く声に誘われる様に、まだ朝ご飯の前なのに浜に行った、それには理由があってブリキのバケツを提げて行くのである、地引網を引くのを手伝うと小さな雑魚は自由に貰えるからだ、それを持って帰って、それが今日のおかずになる。
思い出したらキリが無いけど、続きます。
✿かれん@スズジイ@真実一路飛翔ほなっ日記流星ラベンダーコキリコクレマチスシーホース 17人がいいねと言っています
コメント
topkatさん
topkat さんのコメント
2019.5.15 16:22
鳥のようにさん、こんにちは。

ホントに子供の頃は楽しかったね、幸せだった・・。
妙に里心が付くというか、郷愁に満ちた想いに駆られますね、今回は。

海の子は海に育てられ山の子は山に育てられたんだろうな、あの頃。
昔は自然がありました。
今の子は自然が無いので苦しいのでしょう。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 17:12
こんにちは
本当にあの頃に戻りたいです、
そして皆んなで、語り明かしたいですね。
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きぃたんさん
きぃたん さんのコメント
2019.5.15 14:39
うちは縁側から釣りができました。
引き潮だと川の魚
満潮だと海の魚がかかる
代々漁師でしたが食っていけないので
京都の山奥へ
山で育ちました。
今は都会暮らしです。

有明は満ち引きが激しいのでクラゲが
取り残されるので子供の頃はそれを食べてました。
https://beachmollu.exblog.jp/23006722/
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 17:08
こんにちは
所謂、汽水域でのお育ち、羨ましいです、居ながらにして川魚、海魚、贅沢ですね(^^)

クラゲは矢張り、引き潮の跡に海藻に絡んで沢山、逃げ遅れたのか打ち上げられたのか
沢山、転がって居りました、

でも食べる勇気は無かったです。
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クレマチスさん
クレマチス さんのコメント
2019.5.15 11:55
今度生まれるなら、田舎の海辺がよいなぁ!
陸で野菜を作り、父がとって来た魚を食べる。
そんな暮らしがしてみたいです。
今、もし私に子や孫が居なかったら、海がある田舎に越したいです。
海まで歩いて行けた子供時代、羨ましいですね。
私は、川でドジョウをとったり、芹をとったりしましたが・・・
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 12:07
山も良いし、海も良いですよ!
今は知らないですが昔は漁師さんが、くれました、
新しい魚は刺身もだけど、煮付けがとっても美味しいですね〜

どうして急にお父さんになるんでしょう(^^)
御主人でしょう(^^)
ああお父さん、魚獲りが得意だったのかな?
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クレマチスさん
クレマチス さんの返信コメント
2019.5.15 12:11
だって、私が子供なら、漁をするのはお父さんでしょう。
亡くなった父は、何でも得意でした。
鮎漁の投網も、綺麗な円形に開いたし、
私にとって、スーパースターでしたから。^^
夫も釣りは得意でしたよ。
川でしたが。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 12:19
投網は中々、綺麗な丸に打つのって難しいです
相当の達人様ですね。

ああそうですね、幾らシッカリ者でも生まれた時は子供さんだ(^^)
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ふぐのひれ酒さん
2019.5.15 11:30
しみじみとしたいいお話です。
そうですね、ごく一部を除いて、皆等しく貧しかったそんな時代でしたが、
子供達は活き活き溌剌と生きられた素敵な時代でしたね。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 12:26
こんにちは
ですよね、ぎ〜やん様が言われる様に、心は豊かだった気がします、
有り難うございます、
思い出は尽きないです、また書きますので御笑読下さい。
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ほなっ日記さん
ほなっ日記 さんのコメント
2019.5.15 7:53
そーうでんなぁ
なんやぁー今より 心は満たされてましたなぁ
他人様との関りも もっとたくさんしてて楽しく・・・

  うんうんっ
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 9:18
おはようございます
独り暮らしが続くと、夜明けまで起きている事がありまして、
明け方になると当時の町の音が聞こえて来ます、
「おはようさん、行ってくらよ〜」
はははは(^^)お迎えも近そうでんな〜
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@スズジイ@さん
2019.5.15 7:30
おはようございます!
海には懐かしいものがあります。
情景が見えるような気がいたしました。
私のところは古い町中でしたが、海岸から100mだったので
毎日のように魚釣りをしていました。
隣り町の浜では地引網がありました。
自然に抱かれた故郷を思い出させていただきました。
ありがとうございました。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 9:10
スズジイ様おはようございます!
海で育った者は幾つになっても、海が忘れられませんよね、
スズジイ様ならご存知だと思います「助松海水浴場」なんですよ(^^)
今は埋立地になって大きな倉庫が建ち並んでしまってますが、
当時の防波堤が今も地面から頭を出して、当時を偲ばせてくれます、
時々南海電車に乗って海まで歩きます、随分と様変わりしていて驚く様な次第です、
このコメントがお目に留まり、御返信いただけたら幸いです。
茅渟の浦和の鼻垂れ坊主より(^^)
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@スズジイ@さん
@スズジイ@ さんの返信コメント
2019.5.15 19:47
おくれて参上しつれい致しました。
「助松海水浴場」でしたか。泳いだことがあります。
大阪で勤め始めたときアパートが被災して、一時居候
したのが、兄夫婦が入居したばかりの助松団地でした。
マラソンのアベベ選手が26号線を走った頃です。
浜へ行くときは途中の助松神社へお参りしていました。
尊敬していた七つ違いの兄は私の高校の同級生5人を
就職させながら38歳で過労死。いま義姉は岸和田です。
私の郷里は鳥取県の西先端で、西の中海です。
東は弓ヶ浜(夜見が浜)北は島根半島で海に囲まれて
育ちましたので、海を見ると幸せを感じます。
お言葉に甘えて脱線してしまいましたが、
お蔭様で、善き時代を思い起こさせていただきました。
ありがとうございました。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 19:50
こんばんは
お立ち寄り有り難う御座います、
差し支え無ければどの辺りの海だったのでしょうか?
身勝手ですが知りたくて……
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@スズジイ@さん
@スズジイ@ さんの返信コメント
2019.5.15 22:28
こんばんは~♪
助松の海水浴場のことですか。
団地からまっすぐ北助松駅を通って、助松公園あたり
でしょうか。今は埋め立てられて工場地帯ですね。
後年釣りに行ったとき変わっていてビックリしました。
郷里の海は中海です。アサリや手長エビ取りで遊んだ
浅瀬も小学校時代に埋め立てられて変わりました。
のちに、環境破壊が言われるようになって、島根県側
の大掛かりな埋め立ては中止されましたが、元には戻
りません。やっぱり、自然こそが財産だと思います。
1人がいいねと言っています
鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 23:08
こんばんは
助松団地
助松神社、北助松界隈は、校区が違い行った事がありますが、馴染み薄い地区でした、
アベベが26号線を裸足で走りましたよね、私も見ていました
工場地帯、の辺り一帯が遠浅であった所です
岸和田、に親戚が居ます
北助松、私の最寄駅は松之浜でした
アサリ、他に赤貝、ワタリガニ、ガッチョ、キス等など豊富に獲れました、
環境破壊、私が中学生2〜3年のに埋め立て工事が始まりました、
同じ土地に、同じ時代に暮した方が此のスローに居られたのは、奇跡的です感無量です、
有り難うございます。
またメッセージなど差し上げて差し支え御座いませんでしょうか、
鳥取県は割と良く夏場に行ってました。
また改めますので、宜しくですm(_ _)m
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ぎ~やんさん
ぎ~やん さんのコメント
2019.5.15 5:47
物質的には貧しくとも、心(気持ち)は豊かな時代だったと記憶します。
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鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 6:12
おはようございます
大阪で云う『あかんたれ』は居りましたけど、特定の子を執拗に虐める様な子も事件も、
おませなんだな〜、子供なりに下級生〜上級生ちゃんと秩序があって、上級生の言う事はよう聞いて、また上級生がちゃんと下級生を面倒見てくれましたな、ですから下級生でも弟や妹を連れて遊んでました、それをちゃんと、上級生の姉ちゃんがフォローしてやって、安心な世の中でしたわなぁ、時がゆ〜っくりと、子供を育ててくれました。
いっつもおおきに、ありがとさんでおます。
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✿かれんさん
✿かれん さんのコメント
2019.5.15 4:01
おはようございます、
子どもの頃はおおらかでしたね。
海が近かったのですか。
我は海の子。そんな子供の頃のような
感じだったことでしょう。
海の潮騒の音が好きです。
2人がいいねと言っています
鳥のようにさん
鳥のように さんの返信コメント
2019.5.15 4:06
おはようございます、
海水浴場みたいな浅い海でも、潮騒は聞こえてきました、海の息遣いの様に、
直線距離だと150メートル位でした。
今でも明け方は海を思い出します(^^)
0人がいいねと言っています
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