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弟橘媛神社

桃花さん
桃花 さんのブログ[カテゴリ:歴史旅
2019.7.3 16:01
北茨城市磯原 天妃山「弟橘媛神社」
その前に弟橘姫の想い人「日本武尊」(小碓尊)の事を書かせてください

<九州・熊襲征討の実態>
小碓尊(18歳)は伊勢斎宮の叔母倭姫から壊剣を授かり 
次期斎王の弟橘から姫の衣装が渡されました
行ってみると 川上梟師と熊襲健は兄弟で地元民から信頼される人格者でした
小碓尊を迎えての祭典で 小碓は懐剣を胸に弟橘からの巫女の装束で舞いました
その美しさと感激から「卑しき身分も顧みず『日本武尊』の御名を献上仕奉る!」
その兄弟の誠意を受けその後「日本武尊」と称されます
<東征の事>
日本武尊の母親は早くに亡くなったので 叔母の倭姫に育てられました
一歳下の弟橘も斎王になるため倭姫から修行を受けてました
尊と弟橘は仲のよい兄妹のようでした
今回の蝦夷との交渉は多難が待ち構えてました
倭姫から天叢雲剣(三種神器の一)を授かり 弟橘から火打ち石が渡されました
日本武尊一行が出立した後 弟橘は倭姫に黙って里に帰り男装して尊を追いました
焼津で追いつき 尊に鹿狩りと偽った焼き討ちの奸計を知らせたのです
弟橘は火打ち石で「火伏せの神事」を行い 火の向きが変わり賊を一掃しました
尊から伊勢に帰り神に仕えるように言われても弟橘はうつむいて泣くだけでした
仕方なく黙認! 帯同する事になりました
船が上総に着く頃 浦賀水道で嵐に遭いました
船底でフラフラになりながら 弟橘は巫女の装束に着替え化粧し祈願します
日本武尊の近くに来て「日嗣ぎの皇子さま この波風を鎮めるため 神様のもとへ帰ります」
大波にさらわれるように海に身を投じました 

日本武尊は勿来で待ち 家臣が多賀城で話し合い 平和裡に終わりました
ですから焼津事件以来 所謂「東征」ではありません

天妃山「弟橘媛神社」 江戸時代に勧請されたようです
大洗にも「天妃山神社」があって弟橘媛が祀られてます
中国の「媽祖信仰」の影響もあるみたいです
まわりの民家の建物は先の東日本大震災で一階の部分が水没し流されました

 
勿来の関

(参考:不思議な記録 19巻)

次回は 福島県石川郡平田村「ジュピアランド平田」のあじさい・ゆり園からです
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✿かれんしょうく信々亭nabetoshi白髪鬼@スズジイ@真実一路草刈り真っ青nobuoコキリコ 16人がいいねと言っています
コメント
nabetoshiさん
nabetoshi さんのコメント
2019.7.3 16:40
弟橘姫を失い傷心の日本武尊がたどったであろう勿来関から多賀城へと続く道の途中にある天妃山「弟橘媛神社」。
後世、後醍醐天皇も難渋しながらたどり着いた磯原までの道行きが重なります。
天皇亡き後南朝の志士たちはさらに福島への道をたどりました。そしてその末裔たちに尊王の思いを残しました。
なにか物悲しい。
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桃花さん
桃花 さんの返信コメント
2019.7.3 18:09
弟橘媛の父親が田道間守(垂仁天皇の信頼厚い新羅系皇子)で 垂仁の娘が倭姫です
弟橘媛の母親は木花咲耶姫の伯父の系統なので 内裏に植えた「橘」を代々守ってました
その頃日本に入ってきて乗っ取ろうとした高句麗から来た氏族が蘇我氏です
天皇に不満を持つ者たちを利用し仏教を掲げて「神道」を壊しました
500年後に大化の改新で滅ぶまで日本の歴史をめちゃくちゃにしました
物部も潰された後だったので仏教が全盛になりました
未だに日本は乗っ取られている

鹿島から大洗 北茨城に尊の足跡に弟橘媛を祀る神社あるのは興味深いです
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nabetoshiさん
nabetoshi さんの返信コメント
2019.7.3 18:24
そうして導かれるように跡形を巡礼のように足を運び続けているのも不思議な事ですね。
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nabetoshiさん
nabetoshi さんの返信コメント
2019.7.3 18:30
随分長いことご一緒していますが、日本はまだまだ不思議なところがありそうですね。よろしくお願い致します
1人がいいねと言っています
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