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風葉さんの投稿

恭仁京(くにきょう)遷都の光景

風葉さん
風葉 さんのブログ[カテゴリ:歴史
2019.7.13 7:27
 わが市に「恭仁京址」があります。僅か5年弱の都でしたが、遷都から平城京へ
の帰還までを記してみました。

 740年(天平12)9月、太宰少弐藤原広継が挙兵しました。僧玄昉と吉備真備を朝
廷から除外せよとの要求です。

(大宰府政庁址)


 ただちに征討将軍を命じた聖武天皇は、にわかに関東に行幸しました。途中伊勢
国で広継捕獲の報を受けた聖武帝は、斬刑を支持してから美濃・近江を経て山城国
相楽の橘諸兄の別荘に来たのです。

(諸兄の別荘跡)


 あたりの風景を見て聖武帝は、「ここに都を作ろう」といいだしました。苦労知ら
ずで気まぐれお坊ちゃんの面目躍如です。辺りは木津川が蛇行してできた小盆地です。

(木津川)


 大極殿には、平城京の大極殿を解体して運ばせました。都城・宮殿の建設には、畿内
から多くの役夫を徴用しております。僧になりたいという修行者である優婆塞は、完成
後に僧になれるので、無償で働きました。

(平城京の大極殿)


 しかし、744年になると、今度は難波に行くといいだしたのです。難波は古くから何度
も都になったところです。

(難波の宮跡)


 さすがに百官に不満の声が出はじめました。天皇は今恭仁京の朝堂院に百官を集め、恭
仁と難波どちらを都にすべきかと問いました。皆難波行きは反対です。天皇が紫香楽に行
くと山火事がひんぴんと起こりました。反体制の抵抗です。

(紫香楽宮跡)


 745年5月、天皇は百官を集めてまた下問しました。みな一致して「平城京に帰り都とす
べきです」と答えました。念のため、平城京の薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺に使いを派
遣して質問すると、当然のように平城京へ帰還すべきという返事です。

(恭仁京址)


 こうして聖武天皇は平城京に帰還しました。藤原広継の乱の最中に出発してから、満4年半
が経っていました。今は原野が残るばかりです。

(恭仁京原野)
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