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大黒屋光太夫 吉村昭 毎日新聞社
江戸時代にロシアに漂流して帰国した大黒屋光太夫の物語
女帝エカテリーナにも拝謁している
日本にロシア事情を知らしめた功労者でもある人の物語
17名で漂流して、帰国できたのは僅か3名という過酷な運命に翻弄された。
江戸時代にロシアに漂流して帰国した大黒屋光太夫の物語
女帝エカテリーナにも拝謁している
日本にロシア事情を知らしめた功労者でもある人の物語
17名で漂流して、帰国できたのは僅か3名という過酷な運命に翻弄された。
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「やんちゃな独創 糸川英夫伝 的川泰宣」を読む。
○ 国産ロケットの父と呼ばれる糸川英夫(1912〜1999)の伝記である。
○ 終戦後の混乱で物もお金も設備もない中、糸川が最初に作ったのは長さわずか23cmの「ペンシルロケット」であった。
糸川英夫は他人の真似をしなかった。逆境こそ成功の始まりだと考えた。
そこからわずか3年で、世界トップレベルの観測用ロケットの開発に成功する。
○糸川英夫の東大辞任の背景に朝日新聞の虚偽の情報による連続キャンペーンがあった。
○ 糸川英夫は幼時、東京・青山練兵場で見た曲芸飛行に魅せられて航空の道に進み、中島飛行機で名機「隼」を設計した。
戦後は国産ロケット打ち上げに尽力する。
占領軍から大学研究室で航空機、ロケットに関する書籍を読むのを禁止された。
驚くべき事に糸川はアメリカ大使館に行き英語の航空機、ロケットの書籍を読み研究した。アメリカ大使館は快く糸川に図書館を解放してくれた。
○ 一方で、糸川英夫は諏訪根自子のストラディバリウスを借りてバイオリンの音響の秘密を探り、ついには自らバイオリンを作る、というマルチぶりにも驚く。やんちゃで向日性の人柄がまぶしい。
○ 国産ロケットの父と呼ばれる糸川英夫(1912〜1999)の伝記である。
○ 終戦後の混乱で物もお金も設備もない中、糸川が最初に作ったのは長さわずか23cmの「ペンシルロケット」であった。
糸川英夫は他人の真似をしなかった。逆境こそ成功の始まりだと考えた。
そこからわずか3年で、世界トップレベルの観測用ロケットの開発に成功する。
○糸川英夫の東大辞任の背景に朝日新聞の虚偽の情報による連続キャンペーンがあった。
○ 糸川英夫は幼時、東京・青山練兵場で見た曲芸飛行に魅せられて航空の道に進み、中島飛行機で名機「隼」を設計した。
戦後は国産ロケット打ち上げに尽力する。
占領軍から大学研究室で航空機、ロケットに関する書籍を読むのを禁止された。
驚くべき事に糸川はアメリカ大使館に行き英語の航空機、ロケットの書籍を読み研究した。アメリカ大使館は快く糸川に図書館を解放してくれた。
○ 一方で、糸川英夫は諏訪根自子のストラディバリウスを借りてバイオリンの音響の秘密を探り、ついには自らバイオリンを作る、というマルチぶりにも驚く。やんちゃで向日性の人柄がまぶしい。
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「映画女優 吉永小百合 大下 英治 」を読む。
私は吉永小百合さんの大ファンです。吉永小百合さんが 12歳の時1957年ラジオドラマ「赤胴鈴之助」で千葉周作の娘「千葉さゆり」を演じておられました。
吉永小百合さんは素晴らしいスイマーなんです。だから私も水泳が好きなんです。(爆笑)
吉永小百合さんは映画女優の道、ただひとすじに生きておられます。 この本は2015年公開・通算119本目の映画『母と暮せば』(山田洋次監督)制作秘話をはじめ、本人を含む芸能界・映画界多数の証言で浮き彫りにします。その純粋でひたむきな半生を綴った初の本格評伝です。
<吉永さんの人生そのものが映画なんだ。俳優を生きる、映画を生きるということは、こういうことなんだな>
吉永小百合さんの言葉「わたしも俳優として、そして表現者として、戦争の悲惨さを語りつぎたい、次の世代に残していきたいという思いは強いですね。」
【主な証言者】
吉永小百合・渡哲也・石坂浩二・松方弘樹・高橋英樹・宍戸錠・笑福亭鶴瓶・小池栄子・浜田光夫・浅野忠信・山田洋次・行定勲・阪本順治・成島出・舛田利雄・西河克己・出目昌伸・深町幸男・大林宣彦・澤井信一郎・和合亮一・吉田正・木村大作 他
私は吉永小百合さんの大ファンです。吉永小百合さんが 12歳の時1957年ラジオドラマ「赤胴鈴之助」で千葉周作の娘「千葉さゆり」を演じておられました。
吉永小百合さんは素晴らしいスイマーなんです。だから私も水泳が好きなんです。(爆笑)
吉永小百合さんは映画女優の道、ただひとすじに生きておられます。 この本は2015年公開・通算119本目の映画『母と暮せば』(山田洋次監督)制作秘話をはじめ、本人を含む芸能界・映画界多数の証言で浮き彫りにします。その純粋でひたむきな半生を綴った初の本格評伝です。
<吉永さんの人生そのものが映画なんだ。俳優を生きる、映画を生きるということは、こういうことなんだな>
吉永小百合さんの言葉「わたしも俳優として、そして表現者として、戦争の悲惨さを語りつぎたい、次の世代に残していきたいという思いは強いですね。」
【主な証言者】
吉永小百合・渡哲也・石坂浩二・松方弘樹・高橋英樹・宍戸錠・笑福亭鶴瓶・小池栄子・浜田光夫・浅野忠信・山田洋次・行定勲・阪本順治・成島出・舛田利雄・西河克己・出目昌伸・深町幸男・大林宣彦・澤井信一郎・和合亮一・吉田正・木村大作 他
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「トヨタを創った男豊田喜一郎 野口均」を読む。
後のトヨタを創った男、豊田喜一郎(1894〜1952)の物語だ。彼は豊田織機株式会社内に自動車部門を作り遂にトヨタ自動車株式会社を創業した。
彼は技術者として、経営者として、卓抜した先見性と行動力によって日本産業の歴史を創り、日本の自動車産業を育成した。当時日銀一万田総裁でさえ「自動車なんかは輸入すればいい・日本に自動車工場は要らない。」と言った。
「一人勝ちトヨタ」の秘密は原点にあった。最強の法則「ジャスト イン タイム」「現地現物主義」を生んだ創業者・豊田喜一郎は自動車王国実現の直前に倒れた。豊田喜一郎は国産自動車は日本の独自技術によって生み出すべきだ。また彼はみずからの技術力と情熱を信じてゼロの状態から乗用車開発に取り組んだ。彼は新しい産業を開拓するとの信念で、ついに自前技術による乗用車開発に成功して産業化への道をつけた。だが、彼は本格的量産車の開発を目前にして倒れる。彼の理想はトヨタのDNAとして受け継がれた。
後のトヨタを創った男、豊田喜一郎(1894〜1952)の物語だ。彼は豊田織機株式会社内に自動車部門を作り遂にトヨタ自動車株式会社を創業した。
彼は技術者として、経営者として、卓抜した先見性と行動力によって日本産業の歴史を創り、日本の自動車産業を育成した。当時日銀一万田総裁でさえ「自動車なんかは輸入すればいい・日本に自動車工場は要らない。」と言った。
「一人勝ちトヨタ」の秘密は原点にあった。最強の法則「ジャスト イン タイム」「現地現物主義」を生んだ創業者・豊田喜一郎は自動車王国実現の直前に倒れた。豊田喜一郎は国産自動車は日本の独自技術によって生み出すべきだ。また彼はみずからの技術力と情熱を信じてゼロの状態から乗用車開発に取り組んだ。彼は新しい産業を開拓するとの信念で、ついに自前技術による乗用車開発に成功して産業化への道をつけた。だが、彼は本格的量産車の開発を目前にして倒れる。彼の理想はトヨタのDNAとして受け継がれた。
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「あさが来た」 上 原案 古川智映子 脚本 大森美香 ノベライズ 青木邦子
NHK出版 2015.9出版
NHKの朝ドラを元に小説化した本です
従って、下巻は放送終了後に出版されるでしょう
ほとんど、放送に忠実に小説化してあります
NHK出版 2015.9出版
NHKの朝ドラを元に小説化した本です
従って、下巻は放送終了後に出版されるでしょう
ほとんど、放送に忠実に小説化してあります
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