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人生論

みはまさん
トピック作成者:みはま さん
2015.11.13
幸福とは、決断の方程式など、人生の生き方の本の読後感はここに
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11ページ
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みはまさん
2017.8.11 19:39
「マンガでやさしくわかる アドラー心理学」 岩井俊憲著 日本能率協会マネージメントセンター
 2014年7月初版

アドラー心理学は、自己啓発の心理学である、どうすれば自己啓発できるかを科学的に分析した学問である。子の本は、漫画でアドラー心理学をやさしく解説してある。分かりやすい本である。
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12
みはまさん
2017.7.12 19:54
「103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」 篠田桃紅著 幻冬舎
墨を用いた抽象表現で著名な著者は、103歳の現在でも活躍中である。
勿論、健康でボケなど関係がない。
この本は著者の短編エッセイを集めたものである。
103歳の知恵が随所にちりばめられています
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11
麦秋さん
2017.1.11 19:03
「ほめ言葉の魔法力 臼井由妃」を読む。
著者臼井由妃さんは亡き夫が経営していた会社を継ぎ株式会社健康プラザコーワ代表取締役社長として活躍されています。
○ 著者は子供の時吃音だった。学校もさぼった。両親は叱らなかった。
両親は「ゆっくり話したら分かって貰えるよ。由妃ちゃんの声は綺麗なんだから」「あなたは何でもできる子なんだから」と言ってくれた。
○ ほめ言葉ひとつで、会話が弾み仕事も人間関係もうまくいくものです。職場、得意先、プライベートなど、シチュエーション別に具体例を紹介する本です。
○ 著者は「一日三誉め」を実行しています。
○ 「良い言葉」は幸福を運ぶ。「良い言葉」の最高峰が「ほめ言葉」です。
○心にも無いお世辞は駄目です。その人の良い所を心から誉める事が大切なのです。
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10
みはまさん
2016.11.16 10:33
[老いたる父と」 杉原美津子著 文芸春秋 1989年刊
老いたる父母が、長年の不和を解消して、熟年離婚した。
母は、いきいきと生活していくが、父は次第にボケがすすんでいく。
兄弟姉妹の誰も、父母の面倒をみない。
著者が、父母の面倒を懸命にみる。
父の老いていくさまを悲しみで記述していく。
読むのが辛い本でもある。
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9
みはまさん
2016.10.3 13:55
『玄冬の門」 五木寛之 読後感

中国では人生を青春、朱夏、白秋、玄冬の4段階に分けて考えるという、著者の五木寛之も私も玄冬の時期にいる。
これからの人生をどう考えるかを突き詰めた人生論の本である。
退場、いつか来る道である。
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8
麦秋さん
2016.6.24 22:54
「中村天風伝 松本幸夫」を読む。
中村 天風(1876〜1968)は日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎である。
中村天風の波乱万丈の人生を丹念にたどり、その生きざまと、そこから生み出された「天風哲学」について、わかりやすく説く。
中村天風は日露戦争の軍事探偵として満蒙で活躍。帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病し、心身ともに弱くなった事から、人生の真理を求めて欧米を遍歴する。
失意のなか帰国を決意。その帰路、奇遇にもヨガの聖者と出会いヒマラヤの麓で指導を受け、「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在だ」という真理を悟ることで、病を克服し運命を切り拓く。帰国後は実業界で活躍するが、大正8(1919)年、病や煩悶や貧乏などに悩まされている人々を救おうと、自らの体験から“人間の命”の本来の在り方を研究、「心身統一法」を創見し講演活動を始める。この教えに感銘を受けた政財界など各界の有力者の支持を受け「天風会」を設立。その後50年にわたり教えを説く。第二次世界大戦に反対する。そして捕虜のアメリカ軍兵士を救う。昭和43(1968)年、92歳で生涯を閉じる。

 

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7
麦秋さん
2016.6.15 17:37
「少年画家ひとり町をいく 加太こうじ」を読む。
加太さんの少年たち向けて書かれたリラックス人生論です。加太さんの少年時代は太平洋戦争の時代でした。戦争と貧困の無い世の中の大切さを訴える。
○加太 こうじ(1918〜1998)さんは紙芝居作家でした。
加太 こうじさんが昭和初期、4歳頃から16歳ころの紙芝居作家を始めるまでの家族や友人たちの生活を書いた少年時代の自叙伝です。丁寧にわかりやすく書かれていて面白い本です。
戦後生まれた方々に知って貰いたい戦前、戦後の時代を追体験するには良い本です。



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6
麦秋さん
2016.4.28 15:41
「生きるという贅沢 淀川長治」を図書館で借り再読しました。
淀川長治さんは映画が好きで好きで大好きで、映画の伝道者と言うべき人です。
これは淀川長治さんの自伝です。淀川 長治 さん(1909~ 1998) は、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家であ る。約32年にわたって「日曜洋画劇場」の解説を務め、チョーさん、ヨドさんの愛称のほか、サヨナラおじさんとして親しまれました。
4歳の頃から活動写真(映画)を見る。そう言えば私が子供の頃には明治生まれの人は映画の事を「カツドウ、カツロウ」なんて言っていましたっけ。淀川長治さんは幼稚園のころの先生に初恋をする。微笑ましいな。
東京に行き大学に入ったが学校に行かず映画雑誌「映画世界」の編集部に入る。1929年に日本でトーキー映画が公開。淀川長治さんはトーキー映画にびっくり仰天する。アメリカの映画会社ユナイテッド・アーチスト社の大阪支社に採用になる。そこでチャールズ・チャップリンと一対一で42分間話しをし感激する。その後同社東京宣伝部に転勤する。「駅馬車」の他多くの洋画の宣伝をする。黒川明監督の「羅生門」がアカデミー賞を貰った時授賞式に招待されアメリカに行く。淀川長治さんの言葉「私は、まだかつて嫌いな人に会った事がない。」淀川長治さんは幸せな映画人生送った。



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5
麦秋さん
2016.4.8 21:06
「涙の川を渉るとき 遠藤実自伝」を読む。
この本は遠藤実の遺言書である。遠藤実はこの本を書いた翌年に他界した。
1945年日本は太平洋戦争に敗北、私達は貧困と絶望のどん底だった。飢えて死ぬ人も多くいた。こんなにも貧しい日々を生きた少年がいた。遠藤実(1932 〜2008)だ。
貧しさに挫けず夢を抱き続けた遠藤実だった。心の歌は彼の掌の中で温められた小さな希望から生まれた。「からたち日記」から「北国の春」まで遠藤メロディーの水脈を辿る旅。
舟木一夫の歌う「高校三年生」の作曲家遠藤実は貧乏で高校行けなかった。少年時代の遠藤実の貧乏生活は想像を絶する。14歳で紡績工場に就職するも、歌の好きな彼は地方に来た楽団に入団し、星幸男として歌手デビュー。しかし楽団もすぐに解散し、その後は日雇い仕事やら門付け芸人の放浪芸、農家の年季奉公と極貧生活がつづく。だが歌手になりたくて17歳の時、家族に黙って東京へと出奔する。   
東京では「流しのえんちゃん」として売れない流しの歌手生活。その間オーディションを受けるもことごとく落ちる。あるとき審査会場からきり忘れたマイクを通して声がする。「あんな汚い格好で、しかもあの顔で歌手になれると思っているのかね」。レコード会社の連中は見てくれで判断していたのか。よし、歌手は諦める。作曲家になると決意。だが楽譜が読めないし書けない。そのためギターで1音1音確かめながら血のにじむような努力でマスターした。
作曲家としての初ヒットは「お月さん今晩わ」。その後島倉千代子の「からたち日記」、こまどり姉妹の「三味線姉妹」と続く。舟木一夫の「高校三年生」を作曲した時のようすはこんなふうだ。
「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声」
遠藤実は歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い、校章に似た付録のバッジを防止につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。…そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。遠藤自身の「失われた青春」に対する哀愁であった。
あとがきでこう書いている。「本書のタイトルを『涙の川を渉るとき』としたのは、遠藤実の人生は音楽を心の支えにして夥しい涙の川を越える旅であった。遠藤実にとって涙は人生の友であった」。本書を読むと、まさに「涙の人生、涙を友に」の苦労人生であったことがよくわかる。本書の出版が2007年。翌2008年、遠藤実は76歳で逝去している。


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4
麦秋さん
2016.3.12 20:02
「心の本 心に良いこと、悪いこと。 美掘真利」を読む。
幸せは、「心の扉を開ける」ことから始まる。一人一人が「愛」「ややさしさ」「思いやり」等に目を向けられるようになれば、世の中本当の価値がわかるようになる。
全て事には多面性がある、良い面に注目すれば良い事に巡り会う。
愚痴は不幸の呪文だ。愚痴を止めよう。自分の心と対話しよう。「何して欲しいの」「寂しいの」。悩み一人で抱えない。短所は片目で長所は両目で。笑顔は一番。人生を複雑に考えずシンプルに生きよう。
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3
麦秋さん
2016.3.5 17:22
「内村鑑三の代表的日本人 童門冬二」読む。
著者 童門冬二は1945年に17歳の特攻隊飛行兵として死ぬ運命だった。敗戦に命を拾い「内村鑑三の代表的日本人 」に出合い人生の再出発をする。
童門冬二にとって内村鑑三のこの書は一期一会だった。童門冬二はその取上げられた偉人五人「西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮」の伝記を書くために歴史作家になった。童門冬二は内村鑑三のこの書に深い共感を感じた。内村鑑三は西欧化の嵐に打ち拉がれた明治期、日本的な心の強さ・美しさを説いた「代表的日本人」を英語で記述した。そのエッセンスを童門冬二が語る。 内村鑑三の執筆当時の心情に関する解説は、軍国主義に侵されつつあった日本の精神的美徳を海外に正しく伝えようとした、と同時に国内に警鐘を鳴らそうとしたのである。
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2
麦秋さん
2016.2.5 23:45
「頭のいい子より賢い子育て方 星一郎」を読む。
アルフレッド・アドラー(1870〜 1937)の心理学では、個人の創造性を大切にする。
私たちはIQ(知能指数)大切にしてきたようだ。しかし人間として生きるために必要な事はEQ(賢さ)なのだ。
「頭のいい子」より「賢い子」がなぜ伸びる子だ。子どもの将来を願うならEQに注目せよ。
人生で得をする子どもにとっての幸せはIQの高さではないEQの高さだ。。
「賢さ」とは、いざというとき頭が働くことだ。「賢さ」とは、人まねでない考え方ができることだ。「賢さ」とは自分の無知を知る事だ。「賢さ」とは少しでも世の中に貢献する事だ。
賢さとは、能力ではなく学ぶものである。体験から学べないのは、愚かな人間である。
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1
麦秋さん
2016.1.8 6:52
「笑いの天使に愛される生き方 越智啓子」を読む。
著者 越智 啓子さんは精神科医、別名「笑いの天使」。
北九州生まれ。1978年、東京女子医科大学卒業。東京大学付属病院・精神科で研修後、ロンドン大学付属モズレー病院に留学。帰国後、国立精神神経センター武蔵病院、東京都児童相談センターなどに勤務。1995年、東京で「啓子メンタルクリニック」を開業。その後沖縄に移住。
○たくさんの過去生でためてきた思い、我慢してきた感情のエネルギーの流れを変えるのが、笑いのパワーです。あふれる笑いが「奇跡」と「幸せ」を引き寄せます。
これからは「人生を楽しむ!」と決めてください。人生は自分の思いで、創り上げているのです。人間の特権である、自分で決められることを大切に使いましょう!
思った通りに、人生が展開しているのです。
ーーーーーーーーー
○笑いの天使に愛される生き方 -目次-
第一章 笑いへの道
超まじめから笑いへ子どものころは、「スーダラ節」笑われて喜ぶ私まじめから笑いへジャンプ私がたどりついた道化師の心道化の旅で羞恥心オフ!笑いは心地よい振動
第二章 なぜ笑いが効くの?
笑いは「インナーチャイルド」の癒し笑いは「幸せのパロメーター」笑いの内容で人生観がわかる笑いで潜在意識がきれいに!人生、一切無駄なし!笑いで遺伝子のスイッチが変わる笑いで難病を癒す笑いで昇天(笑天)!
第三章 毎日が笑いの実践
いちいちおかしい!思いがけないアドバイス愛と笑いのハグ笑いでうつも解放!解放の歌ラクダは楽じゃない?普通やらないことをやってみる!笑えないときこそ笑いを!
第四章 あなたも笑いの天使になれる
誰でも笑いの天使に!どこでユーモアを勉強されたのですか?笑いは「発想転換」引き寄せリズム考えることはギャグだけサスペンスも笑いで!すべってもうまくいっている!三回目で引き寄せる!笑いの天使になってみる!
第五章 愛と笑いの天然平和に!
愛と笑いの癒し四千年ぶりの再会過去生のヒントで笑い飛ばせる!愛と笑いを医療に!笑いながら「これでいいのだ!」と言ってみる天然まで意識が突き抜ける!人生は舞台!笑ってアセンション(次元上昇)!アセンションはわくわく!アセンション・プリーズ!付録 わっはっはワーク10

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