千昌夫さんの「津軽平野」という曲を歌って見ました。
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トピック作成者:-2021.11.15
この曲は1984年3月に発売された、千昌夫さんのシングルです。
作詞・作曲は歌手の吉幾三さんです、この曲は知ってましたが
特に意識もせず、ただ漠然と頭にあった曲でした。
私は3歳の時に母を亡くし、私と姉2人は父親に育てられたの
ですが、当時は北海道でも極寒の地のボロアパートに住んでいて
家は経済的にも暮らしは大変だったのです。
私の父は生活の為、冬になると小学生の子供3人を家に残して
出稼ぎに出ていたのですが、父は一体どんな気持ちで仕事を
していたのかなと、この年になって思うのです。
この曲を聴いていると父が出稼ぎに出た朝の事を思い出します。
私の家の近くに函館本線が走っており、私が近くの踏切横で父の
乗った列車を待っていると、父が列車の窓から私の名前を呼び
キャラメルの箱を投げてくれたことがありました。
キャラメルの箱は大きく逸れて、雪山の中に沈みましたが、私は
膝まで雪に浸かりながら、必死でそれを掘り出しました・・・・笑
そして遠く小さくなっていく列車を見て、泣きながら家に帰った
あの日の情景が頭に浮かんでくるのです。
千昌夫さん「津軽平野」お聴き頂けると嬉しいです。
https://www.youtube.com/watch?v=lzhQ4ydhi9U
「津軽平野」 千昌夫 cover by ichi
作詞:吉幾三 作曲:吉幾三
作詞・作曲は歌手の吉幾三さんです、この曲は知ってましたが
特に意識もせず、ただ漠然と頭にあった曲でした。
私は3歳の時に母を亡くし、私と姉2人は父親に育てられたの
ですが、当時は北海道でも極寒の地のボロアパートに住んでいて
家は経済的にも暮らしは大変だったのです。
私の父は生活の為、冬になると小学生の子供3人を家に残して
出稼ぎに出ていたのですが、父は一体どんな気持ちで仕事を
していたのかなと、この年になって思うのです。
この曲を聴いていると父が出稼ぎに出た朝の事を思い出します。
私の家の近くに函館本線が走っており、私が近くの踏切横で父の
乗った列車を待っていると、父が列車の窓から私の名前を呼び
キャラメルの箱を投げてくれたことがありました。
キャラメルの箱は大きく逸れて、雪山の中に沈みましたが、私は
膝まで雪に浸かりながら、必死でそれを掘り出しました・・・・笑
そして遠く小さくなっていく列車を見て、泣きながら家に帰った
あの日の情景が頭に浮かんでくるのです。
千昌夫さん「津軽平野」お聴き頂けると嬉しいです。
https://www.youtube.com/watch?v=lzhQ4ydhi9U
「津軽平野」 千昌夫 cover by ichi
作詞:吉幾三 作曲:吉幾三
書き込み
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千昌夫
吉幾三
ichi-2 さん
何か狙ってませんか?
北国ビッグ3
イイですね
明治生まれの男は苦労したのですね
私の父も山陰の生まれ14歳で父に死なれ、母は子供を親戚に預けて再婚(美人だったそうだ)
立身出世を夢見て旅に出る、、、
よく聞かされました。
吉幾三
ichi-2 さん
何か狙ってませんか?
北国ビッグ3
イイですね
明治生まれの男は苦労したのですね
私の父も山陰の生まれ14歳で父に死なれ、母は子供を親戚に預けて再婚(美人だったそうだ)
立身出世を夢見て旅に出る、、、
よく聞かされました。
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ichi-2 さんの回想を読んだ後、いつの間にか歌と画像に入り込んでいました。
いままでの強烈な演歌の歌い方・歌声より、ichi-2 さんのソフトな声の方が心にしみる感があります。
ありがとうございました。
いままでの強烈な演歌の歌い方・歌声より、ichi-2 さんのソフトな声の方が心にしみる感があります。
ありがとうございました。