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サマセット・モーム「赤毛」

にわたずみさん
トピック作成者:にわたずみ さん
2022.5.19
仕事で東南アジアをよく旅した。タイには本づくりのため、延べ3年ほど暮らした。いま振り返ってみると、南の国に魅かれたのは、湧き上がるような熱帯の情熱にだけではなかったように思う。
 
イギリスの作家サマセット・モームは、南太平洋に生きる人々を「人類でもっともかぐわしい容貌をもつ」と表現している。珊瑚礁に砕ける波の音を聞きながら、作家が描きあげた物語には美しい恋の話も多い。『赤毛』も恋の物語。
ここでモームは、若い二人の純粋率直な南海の恋を語る。「アダムが楽園で目をさまして、うるんだ目で自分をじっと見るイヴを見いだしたときに感じたのもこの恋だし、この世を奇蹟に化するのもこの恋、人生に深遠な意味を与えるのもこの恋だ」。モームは、この南海の恋は、同情とか共通の利害とか知的共通性とかから来る恋ではないと語る。
そして、皮肉なフランスの公爵の話を紹介する。「相愛の二人といっても、必ず愛するほうと愛されるにませるほうとがある」「時には二人ともが愛し、二人ともが愛されるにまかせるという場合だってなくはない。そういうときには、ちょうどヨシュアがイスラエルの神に祈ったときのように、太陽が運行をやめたように思えるのだ」(旧約聖書ヨシュア記一〇章一二~一三)
 モームが『月と六ペンス』の主人公のモデルとしたゴーギャンはタヒチで、まだ十三になるかならないかのタヒチの美少女、背が高く、金色の肌をもち、花束のように美しい娘と、ままごとのような所帯をもつ。
 南太平洋は、文明に疲れた男たちに、ひとときの夢を見せる媚薬を秘めているのだろうか。
 たとえばタヒチ島。島は17世紀にはスペイン人が訪れていたといわれ、その後イギリス、フランスが探検隊や宣教師を送った。1847年にはフランスが軍艦を派遣してタヒチの王制を廃し、以後正式にタヒチを支配下に置いた。
 モームが最初にタヒチを訪れたのは1916年のこと。モームは医師として第一次世界大戦中、野戦病院に勤務するが、まもなく情報部に転じ、イギリスのスパイとして活動中、体調を崩す。その後モームは、生涯を通じて南太平洋の島々やマレー、中国などアジア各地を訪ね、作品の舞台とした。
 フランス人画家ポール・ゴーギャンが最初にタヒチを訪れたのは1891年のこと。ゴーギャンはパリの画壇の新しい指導者の地位を約束されていたが、ある日ふと見かけたタヒチの案内記に刺激され、原始へ帰ることを願って42歳で南の島へ旅立った。その後、一度はパリへ戻るが、周囲の裏切りなどに合い、1一八九六年再びタヒチへ向かい、二度とヨーロッパに帰らなかった。
 冒険小説『宝島』で知られるイギリスの作家ロバート・ルイス・スティーブンソンは、アメリカ女性ファニーと恋に落ち、彼女との心地よい日々のなか、友人宅で南海の話を聞く。極彩に輝く強烈な光。光のなかの豊満なマンゴーやバナナの林。雲のようにゆるやかに流れるおだやかな日々。話を聞きながらスティーブンソンの心は、いまだ見ぬ南の光をたっぷりと浴びていた。
 スティーブンソンは晩年、楽園を求めて西サモアに居を構える。島の人たちに「ツシタラ(島の言葉で『語り部』の意)」と慕われ、密林に囲まれた邸宅で冒険に想いを巡らす。 スティーブンソンはいま、サモアの港を一望する山の頂から、自分で見つけた「宝島」を眺めながら眠っている。
 モームやゴーギャン、スティーブンソンのように、もっともっと、感じたい。
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にわたずみさん
2022.5.20 18:32
>>[1] みね さん
みねさん
はじめまして
コメントをありがとうございます。
わたしも若いころ、東南アジアを旅したことがありますが、熱気のなかにモームのいう「かぐわしさ」を感じました。
モームは学生のときにすこし学んだものですから、詳しくなりすぎてわかりずらいと思い反省しています。失礼しました。
次回はわかりやすくご案内したいと思います。
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みねさん
2022.5.20 3:04
にわたずみさん、はじめまして。
長文の投稿、ありがとうございます。私はシンガポールとグアムにしか行ったことがありませんが、うだるような熱気に圧倒されました。

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