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太宰治のエッセイ[もの思う葦」

にわたずみさん
トピック作成者:にわたずみ さん
2022.6.12
太宰治は若いころよく読んだが、いまそれほど興味はない。
太宰治のエッセイ集は、全集ではみかけるが、単行本、文庫本として独立して刊行される機会が少ないと聞いていたが、なじみの古書店で偶然、エッセイ(随想)集『もの思う葦』(新潮文庫)をみつけた。「はしがき」に「「当りまえのことを当りまえに語る」とあった。

文芸評論家の奥野健男の「解説」によると、「太宰治は小説家である矜持に賭けて随筆を書くことをいさぎよしとしなかった」。

そうはいうが、一読すると、軽い衝撃を受けるほどのすばらしい文章にあふれているように思う。
奥野健男は「太宰治は、きわめて批判精神の強い、批評家的ないし思想詩人的な作家で」、ここには「強烈なアフォリズム(警句、金言など)」がちりばめられている」とある。

何をアフォリズムとして受け止めるかは、読者におまかせするところだが、
ぼくは、ここに、太宰治の一貫した自己に対する「素直さ」のようなものを感じた。

その例のひとつ。
「私は田舎のいわゆる金持ちと云われる家に生まれました。……… 例えば恋愛にしても、私だってそれは女から好意を寄せられることはたまにはありますけれども、自分がそんな金持ちの子供に生まれたという点で女に好意をもたれているに過ぎないというように、人から思われるのが嫌で、恋愛をさえ幾度となく自分で断念したこともあります」

といいながらも、太宰治は「わが愛する言葉」としてつぎのように記している。
「どうも、みんな、佳(よ)い言葉を使い過ぎます。美辞を姦するおもむきがあります。(森)鷗外がうまい事を言っています。『酒を傾けて酵母を啜(すする)るに至るべからず』。故に曰く、私には好きな言葉はありません」

酒を飲んでいるときに、酵母など難儀な話はするな、ただ楽しんで飲もうということか。あるいは、酒が好きだからといって、酵母をうまいと感じるようになってはいきすぎであろう、ものの好きにも限度があるというのか。

先の太宰治の「恋愛」を受けて考えれば、
恋愛は理屈ではないと言っているようにも思えるが、どうであろう。

これを読み終えた、とくに太宰治ファンにとっては、太宰治の小説にもりきれなかった思いを発見するにちがいない。
そうでない方も、「新しい太宰治」をみることになる。
ぼくも、そうであった。
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