何気なく 過ごす毎日 感謝して 「て」「で」
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トピック作成者:メタボッチャン さん2025.11.11
中村雅俊の「いつか町で会ったら」という歌
冒頭が
何気ない毎日が 風のように過ぎていく
この町で君と出会い この町で君と過ごす
この冒頭部分が大好きで、高校の時はしょっちゅう口ずさんでいました。
あの頃「われら青春」とか「俺たちの旅」「俺たちの勲章」などですっかり頭は雅俊漬けになっていて、高校卒業するまでは本気で教員になろうかと思っておりました(笑)。
まあ、何気ない毎日というのは本当にありがたいものです。
毎日事件ばっかりだと気が休まりません。
また、私は頼まれても主人公ってものになりたくない性分で、ヒーローってのは見て楽しむものだと割り切っています。
日々を何気なく過ごせることこそが、最高に幸せなことだと思います。
冒頭が
何気ない毎日が 風のように過ぎていく
この町で君と出会い この町で君と過ごす
この冒頭部分が大好きで、高校の時はしょっちゅう口ずさんでいました。
あの頃「われら青春」とか「俺たちの旅」「俺たちの勲章」などですっかり頭は雅俊漬けになっていて、高校卒業するまでは本気で教員になろうかと思っておりました(笑)。
まあ、何気ない毎日というのは本当にありがたいものです。
毎日事件ばっかりだと気が休まりません。
また、私は頼まれても主人公ってものになりたくない性分で、ヒーローってのは見て楽しむものだと割り切っています。
日々を何気なく過ごせることこそが、最高に幸せなことだと思います。
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リコメ 有難うございます
♪人の嫌がる軍隊に志願で出てくるバカもいる
なんて替え歌もありましたけど
世の中の風潮ですね
「国を守る為に少年兵に志願する」周りがそんな空気だったら
「よし俺も行く」となるのです
志願兵の年齢は15歳まで引き下げられていました
終戦が遅かったら、私も行ったかも知れません
生死は紙一重
「戦争反対」なんて言おうものなら、内部からチクられます
学校では「そんな奴は親と言えども博多湾に叩き込め」と言われました
♪人の嫌がる軍隊に志願で出てくるバカもいる
なんて替え歌もありましたけど
世の中の風潮ですね
「国を守る為に少年兵に志願する」周りがそんな空気だったら
「よし俺も行く」となるのです
志願兵の年齢は15歳まで引き下げられていました
終戦が遅かったら、私も行ったかも知れません
生死は紙一重
「戦争反対」なんて言おうものなら、内部からチクられます
学校では「そんな奴は親と言えども博多湾に叩き込め」と言われました
3
>>[1]
一の糸
さん
本当に壮絶な経験ですね
日々の小さな事で一喜一憂する我が身がなんと贅沢なことかと感じます
明日があるかどうかわからない、そんな体験をされた方の言葉は説得力があります。
こんなとんでもないことがほんの数十年前に起こった、ということが信じられません。
日々感謝して過ごしたいと思います。
本当に壮絶な経験ですね
日々の小さな事で一喜一憂する我が身がなんと贅沢なことかと感じます
明日があるかどうかわからない、そんな体験をされた方の言葉は説得力があります。
こんなとんでもないことがほんの数十年前に起こった、ということが信じられません。
日々感謝して過ごしたいと思います。
2
>>[1]
一の糸
さん
ご返信ありがとうございます。
一の糸さん、また、戦争を経験された方にとっては、何気ない毎日は代えがたいものでしょう。
また、近年多い天災による被災者の方、犯罪、事故、病気・・・いろいろなことで何気ない毎日は失われる可能性があります。
日々に感謝です。
ご返信ありがとうございます。
一の糸さん、また、戦争を経験された方にとっては、何気ない毎日は代えがたいものでしょう。
また、近年多い天災による被災者の方、犯罪、事故、病気・・・いろいろなことで何気ない毎日は失われる可能性があります。
日々に感謝です。
1
何気なく、何事もなく過ごせる毎日
どんなに有難いか
私が15歳の時
終戦の時
敵の爆撃で一瞬のうち無に帰する
軍隊に召集令状が来て前線に送られる
人生の物語が、そこで途切れてしまう
それが当たり前にあった時代
あの「不世出の投手」と言われた「沢村投手」さえ戦場の露と消えた
チャンと物語のエンデイングが書ける今がどれだけ幸せか
若者よ感謝しろ!
どんなに有難いか
私が15歳の時
終戦の時
敵の爆撃で一瞬のうち無に帰する
軍隊に召集令状が来て前線に送られる
人生の物語が、そこで途切れてしまう
それが当たり前にあった時代
あの「不世出の投手」と言われた「沢村投手」さえ戦場の露と消えた
チャンと物語のエンデイングが書ける今がどれだけ幸せか
若者よ感謝しろ!
