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楽しいことは、忘れちゃってもいいのですよ
でも悲しいことは、身に危険な事、それはしっかり学習して、安全を図らなくてはいけません。
人は悲しみを消化するために、詩を書き、歌を詠む
他人はそれを読んで、自らを慰める
悲しい歌の方が心に響く
悲しみを乗り越えて生きる勇気を与えてくれる
それが「詩」それを声にして読むとき自ずから「歌」となる
歌って歌って興が乗るとき、手が舞い足を踏み鳴らす「舞」となる
でも悲しいことは、身に危険な事、それはしっかり学習して、安全を図らなくてはいけません。
人は悲しみを消化するために、詩を書き、歌を詠む
他人はそれを読んで、自らを慰める
悲しい歌の方が心に響く
悲しみを乗り越えて生きる勇気を与えてくれる
それが「詩」それを声にして読むとき自ずから「歌」となる
歌って歌って興が乗るとき、手が舞い足を踏み鳴らす「舞」となる
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歌詞に共感を得て
懐かしい思いをもったものがありました
中島みゆきさんの「時代」から抜粋です
まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
いかがでしょうか ^_^
懐かしい思いをもったものがありました
中島みゆきさんの「時代」から抜粋です
まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
いかがでしょうか ^_^
5
>>[4]
そらがすき
さん
自分では純粋に理想を追いかけて居るつもりなのに
現実は、もちろん誰が悪いとかと言うのではないけれど、いろんな現実が立ちふさがり
その想いが遮断するから( ´∀` )
それを納得せざるを得ない自分が切ないからだね、きっと。
自分では純粋に理想を追いかけて居るつもりなのに
現実は、もちろん誰が悪いとかと言うのではないけれど、いろんな現実が立ちふさがり
その想いが遮断するから( ´∀` )
それを納得せざるを得ない自分が切ないからだね、きっと。
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3
今にして思えば、私が小さい頃のフォークソングって、明るい旋律だけど、歌詞の内容はメッチャ過酷というか深刻というか、絶望的なものが多いんですよね。
「花嫁」なんて明るい曲だけど、親の許しも得られない若い二人の逃避行みたいなもんだよね。
「あの素晴らしい愛をもう一度」曲はすごく明るいのに、歌詞は分かれた二人の思い出を懐かしんだ歌だし・・・
「木綿のハンカチーフ」も、曲は明るいのに、恋人から別れを言われているのに、それでも最後の贈り物をねだるなんて、良い根性しているわ・・・と、歌詞だけ見たらそう思ってしまう。
やっぱり、恋愛成就よりも悲恋、失恋、の方が歌としてインパクトが強いんでしょうね。
「花嫁」なんて明るい曲だけど、親の許しも得られない若い二人の逃避行みたいなもんだよね。
「あの素晴らしい愛をもう一度」曲はすごく明るいのに、歌詞は分かれた二人の思い出を懐かしんだ歌だし・・・
「木綿のハンカチーフ」も、曲は明るいのに、恋人から別れを言われているのに、それでも最後の贈り物をねだるなんて、良い根性しているわ・・・と、歌詞だけ見たらそう思ってしまう。
やっぱり、恋愛成就よりも悲恋、失恋、の方が歌としてインパクトが強いんでしょうね。
2
ラブソングは何故か悲しい曲が多いのよね。( ´∀` )
切なさ、焦がれ、挙句に別れ それが心に響くんだよね。
Happy!な曲は、誰かに任せて置けって感じだな。
切なさ、焦がれ、挙句に別れ それが心に響くんだよね。
Happy!な曲は、誰かに任せて置けって感じだな。
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既視感
どこかで、あったような気がする
歌の文句は、それで懐かしい
物語のヒーローになれる
しばし陶酔の時間
「俺ってうたうまいなー」
なんてね、カラオケマイクはそういう仕掛けがあるのです
どこかで、あったような気がする
歌の文句は、それで懐かしい
物語のヒーローになれる
しばし陶酔の時間
「俺ってうたうまいなー」
なんてね、カラオケマイクはそういう仕掛けがあるのです